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受験二日前の塾への手紙

入塾から受験日まで10か月という短い期間でしたが、塾の皆様には大変お世話になりました。

本人が中学受験をしたいと言ったとき、地元の公立中学に行けばいいと反対しましたが、本人の意思は固く、どうしても中高一貫校に行きたいということで通塾させることになりました。お陰様で塾で勉強することが楽しいと風邪で学校を休んでも夕方からは塾に行くほどでした。

オール3という可もなく不可もなしという学校の成績が三学期には算数4、国語5になり、何より驚いたのは当初の稚拙な作文が見違えるほどになったことです。
塾のアプリで毎回授業報告を読むのも楽しみでした。講師の皆様には感謝の気持ちしかありません。ありがとうございました。

今、話題の中学受験を描いた漫画『二月の勝者』に共感し、時には感動しながら読んでいます。その主人公黒木校長の「内に秘める願い」を100の言葉にした『二月の勝者 中学受験生に伝えたい勉強よりも大切な100の言葉』(おおたとしまさ著)という本があります。
その冒頭に「中学受験生はかわいそうというのは、余計なお世話だよね」という言葉が出てきます。
私も実は小学生が受験というのは酷だと思っていました。著者は言います。

「たしかに過酷な努力を無理矢理押しつけられるのはかわいそうです。でもそれはスポーツな音楽の練習でも同じです。中学受験だけをかわいそうと決めつける大人は、自分の勉強嫌いを勝手に子どもたちに投影しているだけではないでしょうか」

私は本人が熱心に塾(夏期講習や冬期講習なども含めて)に通う姿を目にし、考えを改めました。ある目標に向かって努力することは子どもであっても大人であっても、その過程は苦しくても(いえ、苦しいからこそ)幸福なことに違いありません。そのことを思い出させてもらいました。
そして以下の著者の言葉にはとても首肯できます。

「これまでの私の取材経験をもとに言わせてもらえば、中学受験をする親子には必ずそれぞれのドラマがあります。人間の成長ドラマです。子どもだけでなく、親も成長します」

塾で志望校入試問題傾向の説明会に参加した時に強烈な知的好奇心を感じたこと。

志望校の説明会で校長が言われた「うちの生徒で一番評価されない生徒がいるとすれば、失敗したことのない生徒じゃないかと思います」の言葉に感銘したこと。親子で参加したオープンスクールの模擬授業で言われた社会科の先生の言葉は忘れることができません。

「うちの生徒と口喧嘩しても絶対に勝てません。なぜなら例えば『いじめ』とは何かと意見を出させて、それをとことんまで定義させるからです。
しかし、学ぶ人は相手に合わせることが大切です。自分が相手をコントロールすることではありません。学ぶ人は傲慢であってはなりません。謙虚であるべきです。
知識があるということと頭がいいということは違います。しかし知識を否定しているわけではありません。
料理に例えたら材料は知識です。知識を使って何を作り出すかが重要です。それが学ぶということ、ひいては本当に頭がいいということです」

私は「巨人の肩に乗る」という言葉を思い出しました。先人が学んだ知識を学び、それに自らが学んだ知識を加えると遠くまで見渡すことができる、ということを。
私は生きている限り学びたいと痛感しました。

子どもの受験を通して親としての私も様々な学びがあったのです。

そして何よりも嬉しかったのが子どもが学ぶ喜びを知ったことです。学力が上がることによって自分はできるという自己肯定感、成功体験を積むことによる努力することの価値を知ることの喜び。そして勉強することで自らの世界が際限なく広がるということ。

そのようなことを小学生という早い段階で知ることができるのは素晴らしいことです。それは大人になった時に大きな力となるに違いありません。
子どもは塾で出された論述問題によってインスパイアされ、関連する本を読み、親子で政治や社会問題を話し合うこともあります。このことも思ってもみなかった喜びです。

中学受験は一度きりなので、その意味では大学受験より厳しいのではないでしょうか。
もし不合格になっても12歳で知る初めての挫折という経験はその後の子どもの人生に益になると信じています。
受験当日は、ただただ今まで学んだ知識を答案にぶつけてくれたらと願うだけです。

最近では街でリュックを背負った塾の行き帰りの小学生を目にすると「頑張れよ」とつぶやいてはなぜだか目頭が熱くなるのは歳をとったせいでしょうか。

どうしても感謝の気持ちをお伝えしたく拙文を綴らせていただきました。

ありがとうございました。

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