企業にとってMVVが必要な理由~人事・各部門マネジメントとしての役割~
近年、理念やパーパス、MVVの設定がブームになっており、「MVVを設定すれば良い企業になる」「組織がうまく機能しないならMVVを設定しよう」「企業ブランディングは必要だ」そんな風潮が見られるように感じています。
しかし、それはなぜでしょうか。企業にとってMVV(ミッション、ビジョン、バリュー)が必要な理由は何だと思いますか?
この問いに対する正解は存在しないかもしれません。ただ、経営者から従業員まで、それぞれがこの理由を深掘りし、自分なりの「なぜ」を見つけたときに初めて、MVVが真に浸透・機能するのではないかと考えます。そして人事・各管理職とは、この支援を行う役割りだと捉えています。
作業・仕事・自己実現
ここで、一つの寓話を紹介したいと思います。フランスの作家アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ(『星の王子さま』の著者)に関連付けられることもある、石切職人の寓話です。
ある旅人が街を通りかかり、そこで教会が建設されている現場を見かけました。興味を抱いた旅人は、石を切っている職人に「何をしているのですか?」と尋ねました。すると、職人は不満げに答えました。
職人Aさん:
「この忌々しい石を切るのに苦労してるんだよ。」
旅人はさらに歩き、別の石切職人に同じ質問をしました。
職人Bさん:
「私は教会を造っているんだよ。」
さらに進むと、もう一人の石切職人が生き生きと働いていました。旅人が同じ質問をすると、その職人は目を輝かせて答えました。
職人Cさん:
「私は、多くの人々の心の安らぎの場となる素晴らしい教会を創っているんだ。」
では、みなさんに問いかけます。Aさん、Bさん、Cさんの中で、誰が最も幸せに見えるでしょうか?仕事を依頼するなら、誰に頼みたいと思いますか?
そして、Cさんのようになるにはどうすればよいでしょうか?
ポジティブ心理学の先駆者であるマーティン・セリグマンは、著書『Authentic Happiness(本当の幸せ)』や『Flourish(幸福と充実感の実現)』で、喜びの追求、夢中の追求、意味の追求という3つの要素を通じて「幸福」を理解しようとしています。
具体的には、セリグマンは以下のように説明しています。
喜びの追求(The Pleasant Life): 日常の楽しさや快楽、感覚的な満足を追求すること。
夢中の追求(The Engaged Life): 自分の強みを生かし、時間を忘れるほど没頭できる活動を通じて夢中になること。
意味の追求(The Meaningful Life): 自分を超えた大きな目的や価値観に基づいた生き方を通して、人生に深い意味を見出すこと。
セリグマンによれば、これら3つの追求の中で最も持続的で深い幸福感をもたらすのは、意味の追求だとされています。自らの仕事や役割に意味を見出すことで、持続的で深い幸福感を得られるということです。
また、興味深いデータとして、ギャラップのエンゲージメント研究では、従業員のエンゲージメントに影響を与えるのは仕事の種類や地位ではなく、職場の環境や上司との関係、チームの文化、仕事に対する意義であることが明らかにされています。エンゲージメントの度合いは、社会的な評価や給料と必ずしも相関せず、仕事に対する意義や自己実現感が大きく影響することも分かっています。
さらに、Mihaly Csikszentmihalyiの「フロー理論」によると、エンゲージメントや仕事への没頭感は職業の種類に関係なく、仕事に意味を見出し、強みを活かせるかどうかに依存しています。
結局のところ、「どのような仕事をしているか」が私たちの「働きがい」を決めるのではなく、「その仕事の先に何を見ているか」が「働きがい」を決めるのではないか、ということを私自身、自らを通し、そして多くのクライアント様、従業員の方々と接する中で感じています。
では、私たちは自らの仕事に意味を見出そうと努めているでしょうか。忙しい毎日に忙殺され、日々のルーティン作業をこなすことでいっぱいになっていないでしょうか。上司からの指示を待ち、作業をこなすことが仕事だと捉え、レンガ積み職人になってしまっていないでしょうか。
一人目の職人『レンガを積んでいる』:作業
二人目の職人『教会を造っている』:仕事
三人目の職人『人々の心の安らぎの場となる教会を創っている』:やりがい・生きがい(自己実現)
そして、上司は、部下に対して、私たちが達成しようとしている崇高なビジョンを掲げ、登る山を示し、仕事に意味を見出すための支援を行えているでしょうか。ただ、石を切るスピード、正確性についてのフィードバックで終えていないでしょうか。
例として、私が従事する人事の領域においては、営業等とは違いダイレクトに定量的なアウトプットが現れるわけではないため、定量的な評価や効果測定が難しいと捉えられることが多いです。チームは本来、MVV(ミッション、ビジョン、バリュー)を達成するという「WHY(目的)」のために構成され、MVVを達成するための戦略実行を行うべきですが。採用に関しては、採用KPIに追われ、採用プロセスを回すこと自体がゴールになってしまうケースも少なくありません。候補者の発掘や面接までの手配、面接実施後の社内共有などのタスクに追われてしまい、また、人材育成においても、育成プログラムを企画・実施すること自体に満足してしまうケースが多いように感じています。実際、研修登壇に追われている時などは、私自身そうなってしまうケースもあります。
さらに、研修の効果測定はとりわけ難しいと考えられることも多いですが、実際には企業の研修や教育プログラムの効果は、カークパトリックの理論に基づいて4つのレベルで評価することが可能です。
まず第1レベル「反応」で、参加者が研修に対してどれほど満足し、ポジティブに受け止めたかを評価します。次に第2レベル「学習」では、参加者がどれだけ新しい知識やスキルを習得したかを測定します。ここからが本番です。第3レベル「行動変容」では、研修後にその知識やスキルが職場でどの程度実際に活用されているかを評価します。そして、最後の第4レベル「成果」では、研修が組織全体にどのような成果をもたらしたかを評価します。
しかし、実際には、研修後の「行動変容」を定期的に観察し、「成果」まで見届けている企業は多くはないように感じています。本来、採用を通し、事業戦略を達成できる人員が獲得できたか、それによりMVV実現に近づいたかを観測する必要があり、人材育成においても従業員の知識・スキルの体得により、「行動変容」にまでいたったか、さらには、戦略を実行し成果を生み出しているかまで見ていく必要があるのです。ただこれは、多くの企業にとって、まだ難しい課題であると感じています。
このように、私たちは日々の業務やタスクに追われ、視野が狭くなってしまうと、アウトカム(自己実現)ではなく、アウトプット(仕事)もしくはプロセス(作業)に満足してしまっていることも少なくないと感じています。そのため、そもそものWHY(目的)やゴールを自らリマインドし続けることが必要になってきます。また、部下に対しても同様に、目的意識を促すことが大切です。ではどうするか。人材マネジメントでは、『直接の人へのアプローチ』と『仕組み』が重要だと言われています。そして、そのために有効な仕組みが、評価制度です。
評価制度の役割
多くの企業様への評価制度導入のご支援をしておりますが、評価制度の目的は、MVVに沿った人材の成長支援、そして目的意識を持ち仕事に取り組むことでエンゲージメントを高めるためのシステム(仕組み)だとお話しをしています。
評価制度がうまく回りだすと、従業員全員が目的意識を持ち、仕事に取り組むことができるようになります。アウトカム目標を達成するために、半期ないしは1年でどのような成果を出し、そのためにはどのようなプロセスを踏むべきかバックキャスティングで考えるためです。
目標設定の研修や、目標設定の添削等もご支援するケースも多いですが、評価制度構築直後は、前述のように日々のルーティンに追われプロセスの達成を目標に設定しているケースも多いです。しかし、回を重ねるごとに、目標設定の精度は上がり、プロセス達成思考(フォアキャスティング思考)から目的意識を持ったバックキャスティング思考への思考の転換が見られるようになります。目的意識を持ち、半期ないし1年のスタートダッシュを切り、仕事へ取り組めるようになるのか、はたまた先の見えないルーティン作業(プロセス)の繰り返しになるのか、行っていることは同じでも従業員のエンゲージメントにどのように差がつくのかは、容易に想像が付くと思います。(この辺りはジョブクラフティングの概念にもつながるかと思います。)
但し、評価制度がうまく機能していないケースも多々見受けられます。これは、会社が定める目的・WHY(MVV)と、本人の目的・WHYがアラインできないケースです。
Start with Why(なぜから始めよ)
WHYに関連した話で言えば、サイモン・シネックの「ゴールデンサークル(Golden Circle)」という考え方があります。成功するリーダーや企業がどのように考え、行動し、コミュニケーションするかを示すモデルです。シネックはこれを3つの円で表現し、それぞれが「WHY(なぜ)」「HOW(どうやって)」「WHAT(何を)」という問いを表しています。
1. WHY(なぜ)
最も内側の円で、企業や個人の存在理由や信念、目的を表します。なぜその活動をしているのか、何を目指しているのかという根本的な問いに答えます。多くの成功した企業やリーダーは、この「WHY」に基づいて行動しています。シネックは「人は『何を』ではなく、『なぜ』に共感して行動する」と強調しています。
2. HOW(どうやって)
中間の円で、「WHY」を実現するための手段やプロセスを示します。具体的な戦略や行動計画、他社との差別化ポイントなどがここに当てはまります。これは「WHY」を実行に移すための方法です。
3. WHAT(何を)
最も外側の円で、企業や個人が提供する商品やサービス、または達成した成果を指します。多くの企業はここから説明を始めがちですが、シネックは「WHY」から始めることの重要性を説いています。
「ゴールデンサークル」の考え方は、「WHY」を中心に据えることで、より深い共感を生み出し、長期的な成功につながるとされています。マーケティング等で取り入れられることも多いこの理論ですが、マーケティングも営業も人事であっても、対外的にも対内的にも、抽象度を上げると、相手とマクロなWHYを共有することで、深い共感を生み出し、相手を動かせるという理論です。(ミクロな視野になると思考・嗜好が細分化され、想い・考えをひとつにするには難しいと感じています。)
企業にMVVが必要な理由
先に述べた企業のWHYと従業員のWHYがアラインしない理由。これは、企業としてのアウターブランディンクさらにはインナーブランディングが確立しておらず採用戦略がうまく機能していない、または社内の従業員にWHYの訴求が充分できていない(もしくは表面的に策定したWHYに魂が入っていない)という会社側の課題も考えられます。
マーケティング戦略であれば市場を細分化しセグメンテーションを行い、ターゲットを見定め、自社の優位性や特徴を訴求し、ポジショニングを行います。採用戦略でも同じように、自社の優位性や特徴を訴求しなければなりません。これがMVVにあたる会社側のWHYです。これに共感してくれる候補者を獲得し、社内の従業員に対してもWHYの訴求を行い、評価制度に落とし込む必要があります。目標設定の際にも会社・上司はビジョニングを行い、部下の視野がミクロなプロセスに向かないように、アウトカムを意識させ、意味を示す必要があります。
企業側の課題に対し、従業員側の課題もあります。日本の人事慣行は、終身雇用、年功序列、労働組合の3種の神器に代表されるよう、雇用が守られた環境の中、従業員自らがキャリアデザインを行い、キャリア自律を行うということに慣れておらず、普段から仕事においての意味を考え自らの中にWHYを見出せずにいる従業員も少なくないように思います。この場合、会社・上司は部下に対してのコーチングを行い、部下の興味・関心の所在を探り、仕事を通しての目的意識の醸成を行う必要があります。これが可能になるのは、普段からの上司部下のコミュニケーションと、そして正しい評価制度の運用であると考えます。
まとめ
私たち一人ひとりが仕事を通して幸福度を上げ、エンゲージメントを高め、成長することで、個々人の成長は会社の成長につながります。個々人が仕事を通した幸福度を高めるためには、会社と個々人がMVV(WHY)でつながる必要があり、そのためには、経営陣・マネジメントは従業員にWHYを訴求し続け、従業員側はその中に自らの意味を見出すということが必要になるのではないでしょうか。
このような企業・組織という枠組みの中で、採用、研修、評価制度全ての施策をプロセスで終わらせるのではなく、従業員が生き生きとエンゲージメントを高め、毎日職場に迎えるよう、彼らが自らの意味を追求するための支援を行っていくことが人事、そして各部門のマネジメントの役割、そしてアウトカムではないかと捉えています。
組織・人事従事者として、今後も人事の意味についても深く追求し続けていきたいと思います。
みなさんは、各々のポジション(部門・レイヤー)として、どのような意味を見出し、チームメンバーに波及していきたいですか?