[1分小説] 愛|#聖なるウソを呟いて
小さい頃から慕っていた近所のお兄ちゃん・英司くんが町を離れることになった。
ううん、町を離れるというというより、遠い所に行っちゃう。行先は東京―。
「里穂、聞いた?英司くん、都内の大学に進学するんですって!」
母親が、自分の息子の吉報のごとく、晴れやかな表情で伝えてきた。
『お母さん、私の心は全然晴れやかじゃないよ』
私は思わず自分の部屋のベッドにもぐり込んだ。
・
小学生くらいまで、英司くんの目はたいていゲーム機のモニター上を彷徨っていた。
それが、中学校に上がって周りの女の子たちからチヤホヤされるようになって、英司くんは手癖の悪い男になっていった。
だって、英司くん、かっこいいんだもの。
それは学校中の、いや、この地域のみんなが認める事実だった。
背が高くて、渋谷とか颯爽と歩いてそうな、鼻筋の通った今っぽいキレイ系の顔っていえばいいのかな。
とにかく爽やかで華やかな顔立ちだった。
でも、英司くんを一番昔から知ってるのは、この私。
そんなささやかなプライドがあったから、私、人目も憚らずいつだって彼の後をついて回っていた。
「里穂、ウザい」って言われても、全然平気。
「ぬいぐるみには癒やしなんか詰まってねーよ」ってひどいこと言われても、大丈夫。
英司くんがちょっとでも元気になってくれるなら嬉しかった。
眠くても彼の愚痴を聞いたし、顔を合わせば「今日もかっこいいね」って口にしてた。
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とはいえ、高校生にもなると英司くんの周りには、常に何人かの彼女さんがいるようになった。
彼の人生の舞台の上には、たくさんの登場人物がいる―。
人気者で、女の子からモテて、英司くんはいつでも舞台の主役みたい。
それならいっそ、私は黒子で構わない。
英司くんが幸せなら、私はそれで幸せなの。
近くにいてくれれば、それだけでいい―。
それなのに…。
だから、英司くんが東京に行っちゃうという知らせは、私には耐えがたいものだった。
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春。英司くんの出発の日は、あっという間にやって来た。
前の日、英司くんに「幼稚園の隣の教会に来てね。朝5時!ぜったいだよ。来なかったら、荷造りしたスーツケース大破しに行くからね!」ってテキストメッセージを送った。
通っていた幼稚園の隣の教会、小さい頃ふたりで一緒にこっそり忍び込んで、見つかっては怒られてた場所。
そして、そこは英司くんが私にキスしてくれた思い出の場所。
最後にそこで、ふたりきりで会いたかったの。
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来ない可能性の方が高い。そう心積もりをしていたのに、当日英司くんは来てくれた。
それだけで私、泣きそうだった。
「…眠いんだけど」
自宅に戻ったらまた寝るつもりなのか、まだ目は閉じ気味、かつパジャマのままで現れた彼に、
私は前触れもなく口づけをした。
「…は?」
「私、好きな人できたから!
もうキスなんてしてあげないんだからね」
泣かずに言うのが精一杯だった。
私はすぐに走ってその場を後にした。
午前中の見送りにも、行かないと決めていた。
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教会の裏、英司くんから見えないところで、泣き崩れた。
好きな人なんて、できるわけないじゃない。
でも、英司くんが幸せでいてくれれば、それでいい。
小さなウソを胸にしまって、私はその場から立ち上がった。