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旅行に行こう!

 6月1日、父のCT検査に行く前に、産婦人科の健診に行った。エコー検査では赤ちゃんの形がもうはっきりと見え、もにょもにょと手足を動かす姿が映っていた。かわいい、と率直に思った。
 つわりの症状はだんだん治まり、楽になってきていた。幸い私は軽くで済んだが、それでも、1日中ムカムカと吐き気がして食べる物も選ばなければならなかったり、においに過敏でスーパーの惣菜コーナーのそばを通るだけでえづきそうになったり、近所の空き地に生えている雑草の匂いまでもが辛く感じられたのは大変だった。一体いつまで続くんだろうと気が遠くなりそうだったが、2ヶ月弱で治まってくれて本当によかった。程なくして便秘に悩まされたり、肌が乾燥してボロボロになるなど、様々なマイナートラブルが出てくるのだが。
 パート先の薬局では、早めに他のスタッフさんにも事情を説明することになった。まだ仕事も覚えたてなのにこんな報告をすることになってしまい心底申し訳なかったが、みんな「つわりでしんどかったろうに、よくがんばったね。赤ちゃん楽しみだね。産休のことは何とかなるよ」と応援してくれて、いい職場に恵まれたと感謝の気持ちでいっぱいだった。
 これから安定期に入る。予定日は12月半ば。それまでの間、赤ちゃんを迎え入れる準備をすると共に、今のうちにやりたいことをやっておかないとねと夫とも話していた。
 
 CT検査の次の日、父が「テレビで小豆島のことやるらしいで」と教えてくれた。夕食後に3人で見ることにする。
 私が好きな映画の中に小豆島を訪れるシーンがあり、結婚した翌年に夫と2人で旅行に行ったのだが、自然の豊かさと食べ物のおいしさ、現地の人の温かさに触れて感激し、それ以降毎年島を訪問していた。偶然にも父が定年まで経理として勤めていた調味料メーカーが小豆島に工場を持っており、昔何度か研修にも行ったことがある、工場で働いている人のことも何人か知っていると言うので、今年は父を連れて3人で行きたいねと夫と相談していた。何より、父と私は今まで家族旅行というものをしたことがない。子どもが生まれたら、ある程度の年齢になるまでは旅行自体が難しいだろうし、今回が最初で最後のチャンスかも知れなかった。
 テレビを見終わった後、父を誘ってみる。
「お父さん、旅行行こうや。みんなで小豆島行かへん?」
 父は「船酔い(ふらつき)するからなあ…」としぶい顔をした。
 翌日もそれとなく「旅行する気にはならんかなあ?」と尋ねてみるが、「しびれやふらつきがあるから不安や」と気が進まないようだ。
「小豆島は船で行くんやから、乗る前から船酔いしてるんやったらほんまに船酔いすることはないから大丈夫やって!」と夫がブラックジョークをかますが、「秋になって涼しくなったら…しびれがなくなったら…」と消極的な答えしか返ってこない。ひとまず説得は中断することにした。でも私達は諦めない。何が何でも父を旅行に連れ出すつもりだった。
 CT結果説明の日、今後の治療の相談が一通り終わったところでM先生に尋ねてみる。
「あのう、旅行に連れて行ってもいいですか?」
「ああ、どうぞどうぞ!」と即答の先生。そう、先生はきっと「行っておいで」と言ってくれるはずだから、その言葉を頼りに父を再び説得にかかろうと思っていたのだ。
 が、私の隣でモジモジしている父を見た先生に「嫌がってるやん」とツッコまれてしまう。「不安やから行きたくないって言うんです。歩き回ったり山登りするわけじゃないし、大丈夫って言ってるんですけど…」
「まあ、嫌がるのを無理に連れて行ってもねえ…。で、どこに行くつもりなん?」
「小豆島です」
 すると、M先生の態度が一変した。
「へー!僕ね、昔小豆島のマラソン大会に毎年参加してたんですよ。あそこはいいところやね。道を歩いてたら、色んな香りがするよね。お醤油や、そうめんや、オリーブもあるし…。景色もきれいやし、今の季節なら鱧がおいしいよ、瀬戸内の鱧鍋。ね?え、僕こんなに旅行会社ばりに説得してるのに、行く気にならない?」
 先生は若い頃、小豆島の病院で当直のアルバイトをしていた経験もあり、私達以上にテンションが上がって島の魅力を父に語り始めた。「もともとふらついてるんだから、船酔いしないでしょ!」なんて、夫と同じジョークまでぶちかましてきた。
「行っておいでよ!行っておいでって!行くならその前の抗がん剤スキップしとこうか?ていうか僕が行きたくなってきたわ。寒霞渓とかあるしね。ほんまに景色もきれいやし、食べ物もおいしいし、人も優しいし…」
 こんな一面があるなんて知らなかった、というくらい先生は興奮して私達以上に父に小豆島の魅力をプレゼンテーションしてくれ、30分近くも診察室に滞在してしまった。とりあえずこの日はいつも通り抗がん剤の点滴を受けて帰り、旅行のことは考えておいてと、少し日を置いてから再度説得を試みることにした。
 副作用が落ち着いてきた6月下旬、これ以上遅れると夫と私のスケジュール調整に支障が出るため、そろそろ返事をしてもらわないと、と再び父を説得する。
「お父さん、秋は僕の仕事が忙しくて、1日も休みがないねん」
「それが落ち着いたら、もう私は出産。赤ちゃんがある程度大きくなって、お父さんと私達と3世代でゆっくり旅行出来るとしたら、5年くらい先やわ。5年後、75歳で、船に乗って小豆島行ける?今よりしんどいはずやで?」
 75という数字を聞いて、あり得ないという風に父は首を横に振った。
「しびれだって、まだしばらく抗がん剤続けなあかんのやから、秋になったらよくなるとは限らんよね。もしかしたら今以上にひどくなるかも知れない。それやったら、今が一番元気やと考えて、夏になる前の、今の涼しい時期に行っておくのがいいんじゃない?」
 なかなかひどいことを言っているなあと自分でも思ったが、これくらい言わないとこの親父にはわかってもらえないのだ。そうして懇々と説明し、とうとう「ほな、行ってみよか…」という言葉を引き出すのに成功した。よっしゃ!じゃあ、船と宿を予約するからね、と夫ときゃっきゃ喜んで、1泊2日のスケジュールを着々と組んでいった。
 気になるふらつきは、抗がん剤の点滴のときに「血圧の変動が原因では?」と看護師さんに指摘されたこともあり、もともとのかかりつけだった内科へ行き、昇圧剤を服用してみることになった。胃がんがわかるまでは血圧が高いと降圧剤をもらっていたのに今度は昇圧剤?という感じだが、血圧が高いのは外出先や歩いた後などで、普段は上が100前後とむしろ低い方だった。ふらつきを感じるのも立ち上がるときなどに多いということから、血圧が安定すればそういった症状も改善出来るのではないか、という考えだ。
 胃薬としびれの薬、便秘の薬に加えて昇圧剤も飲むことになり、「ようけ飲まなあかん…」とぐちぐち言っている父。
「お父さんは少ない方や。例えば、透析してる患者さんなんか、もっともっと沢山飲んでるねんで。この便秘薬だって、お父さんは1回2錠やけど、1回10錠飲まなあかん人もおるねんで」と、医療事務ならではのフォローをしてみるが、父はそのときは「10錠!へーえ…」と聞くだけで、すぐに忘れてまた愚痴り出す。とにかく、旅行までに少しはふらつきが改善されてくれることを祈った。
 旅行の日程は7月7日、8日。それまでの間に、母の17回忌があったり、インスタントコーヒーくらい自分で淹れられるようになりなさいと父にレクチャーしたり、血圧が全然高くならないので昇圧剤の量を増やしたり、カエル腹やと自分でも言うくらい父の下腹部が膨らんでいて腹水を疑ったり、9回目の抗がん剤の点滴を受けたり、食事量が若干減って心配するが、昇圧剤を飲み始めてから元気になったような気もしたり(本人的には全く変わらないようだったが)、色んなことがあった。夕食の肉じゃがを食べ過ぎて「おいしかった。お腹いっぱいで動けない」と満足そうにしていたり、からあげをリクエストしてきたり、と楽しいことも沢山ある。カフェRが休みの日にハワイアンカフェに連れて行ったら、おしゃれカフェに杖と帽子のおじいさんは全くそぐわず、チキンプレートを食べる父を違和感を隠し切れないまま見つめてしまった。
 旅行の用意も2日前から始めている。枕が変わると眠れないので、昇圧剤と一緒に睡眠薬ももらってきた。いつものことながら準備万端だ。

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