術前診察と入院準備
12月5日。
夫が車で迎えに来てくれた。偶然とはいえ、診察日と夫の休みが重なっていて本当に助かった。タクシーを呼んで父と私の2人で行っても大丈夫だったろうが、事が重大になってしまい、私だけで父に付き添うのでは心許なかった。
最初に麻酔科から呼ばれる。手術の際に全身麻酔を用いるので、その説明と簡単な問診だ。若い先生、早口な説明で私でもよくわからない。思わず「お父さん、この説明でわかる?」と言ってしまった。父もサッパリだったようだ。とりあえず説明の用紙と同意書の束をもらって診察室を出る。
そして消化器外科、M先生の診察。名前を呼ばれて診察室に入るなり、「お手柔らかにお願いします」と言う父。夫も私も思わず笑ってしまった。
先日受けた検査結果は、手術をするにあたっては全く問題ないとのことだった。が、心臓の弁に逆流している箇所があったり、足に古い血栓があったりと、げっぷ以外は今まで元気に過ごしてきたとはいえ、やはり70歳にもなると色々出てくるんだなあと思わされる結果だった。一度に沢山説明されても理解出来ない父のために、検査結果を印刷してほしいと先生にお願いする。
検査結果の次は、手術の説明。前に話していた通り、まずは腹腔鏡で腹膜播種がないかどうかを調べ、なければその場ですぐに胃を全摘するとのことだった。全摘にかかる時間は3~4時間ほど。父は「初めての入院やから怖い」を繰り返している。望みは薄いが、とにかく腹膜播種がないことを祈るばかりとなった。
診察が終わると、今度は事務員さんから入院の説明と、看護師さんからも説明が。こんなに沢山の説明を次から次へと聞かなければならないなんて、父の頭の中はもういっぱいいっぱいになっていることだろう。
遅めの昼食を、とのことで、せっかくだからとカフェRに行く。この間と同じように、マスターと店員さんが出迎えてくれる。
「トンカツ定食」と注文する父に「アカン!」と怒ったのは、前回のランチで「お父さん元気?」と聞いてくれたパーマヘアの店員さんだ。「でも、肉が食べたい…」「ほんなら、豚肉焼いてポン酢かけるのんにしとき。揚げもんはあかん」とマスター。もじもじとそれを聞き入れる父。メニューにはないものを、父のために特別に作ってくれるのか、と感心していたら、豚肉もわざわざ近くのスーパーまで買いに走ってくれたようだ。食べている間もマスターが「荒井さん、3日の辛抱やで。手術して3日間はしんどいけど、それ越えたら楽になるから」と声をかけてくれる。何ていいお店なんだろう。父は10年近くもの間、こうしてこの店にお世話になってきたのだな。だから、朝食と夕食がいい加減でも何とかやってこれたし、娘が全く口を聞いてくれなくても、ここでこうしておしゃべりして発散出来たのだ。
カフェRを出て、そのまま車でショッピングモールへ行き、入院グッズを買い揃えた。パジャマや下着、フリースのガウン、タオル、洗面器、ティッシュ、スリッパ…などなど。父が一度にこんなに沢山の買い物をしたのは何年ぶりだったのだろう。帰りに出会った母の妹に「もう、山のように買い物したわ」と言って笑われていた。
1時間以上あちこち見て回って、父の体力が持つかどうか心配だったが、何とか大丈夫だった。帰って少し休憩し、入院のしおりなどを見ながら買い忘れがないか確認していく。いつの間にか日が暮れていて、とりあえず夕食を作って食べ、次は入院の書類や手術の同意書に目を通し、署名していく。食事の後胃が痛い、背中が痛いとしばらく手で押さえていたので気になったが、すぐに「マシになった」と。今日はげっぷは少なめだった。
それにしても、あまりにも目まぐるしく物事が動いていく。つい2週間ほど前にHクリニックに呼んで胃カメラを受けさせたばかりのはずなのに、がんが見つかり、それも相当悪く、手術すら出来ないかもしれないと言われているのだ。夫は「あとは(病院に)ぶち込むだけやで。そうすればひと安心。なるようにしかならんって」と明るく振舞ってくれているが、現実味はない。私達ですらこんななのだから、父は一体どんな気持ちでいるのだろう。
次の日「明日には入院、その次の日には胃がなくなってしまうかもしれないから、今日はごちそうにしよう」と、すきやきを作った。牛肉は夫が黒門市場まで行き、買ってきてくれた。父は嬉しそうに、取り皿に4杯分もよそって食べ、箸休めのトマトといちごも食べた。案の定食べ終わった後にげっぷを連発し「やっぱりあかんな…」と横になり苦しそうにしている。
もし、胃を全摘したら、食道と小腸をつなぎ合わせて、小腸がある程度胃の役割も果たしてくれるとのことだが、食事は少量を何回にも分けて食べなければ、ダンピングなどが起こり、最悪の場合ショック症状を起こしてしまうこともある。一度に「お腹いっぱい」食べられるのは、もう今日が最後かも知れないのだ。グルメとは言えないが「大食い」と言われるくらい食べることが好きな父には本当に酷な話だ。最後においしいものを沢山食べてほしかった。おやつに買ってきたたこやきも喜んで食べてくれていた。何より夫が明るく振舞ってくれ、父にもよくしてくれるので、入院や手術への不安も幾分やわらいだ。