抗がん剤の副作用と「がん友」の支え
翌日はいつも通り、何も問題なく過ごした。カフェRに行ったら「ちょっと遅いけど退院祝いね」と、マスターがコーヒーゼリーのあんみつを出してくれた。ランチでいっぱいになったお腹を、2人してあんみつでさらに膨らませる。よく全部食べられたなあ、と感心するほどいつも通りの食欲だ。
念のため、抗がん剤当日から1週間ほど仕事を休ませてもらうようお願いしていたが、これなら大丈夫なんじゃないか。このまま穏やかに3週間が過ぎて、何事もなく3度目の抗がん剤に挑めるように思っていたが、その次の日から父の体には様々な症状が現れ始めた。
まず、便が出ない。1日だけなら仕方ないと寝る前に便秘薬を飲むが、次の日も出ない。その次の日も、またその次の日も出ず、父はどんどん落ち込んでいった。私自身、10代から20代半ばまではまあまあの便秘症で、1週間便が出ないこともあったので、たかが便秘くらいで何故そこまで落ち込むんだろう、と正直なところ理解出来なかった。が、「習慣」があることで心のバランスを保っているようなところがある父にとっては、毎日出ていたものが出ないと気持ち悪いのだろう。実際お腹も張ってきて苦しいようで、食事に関してワガママを言うようになる。便秘3日目までは「家で食べたい」と言われても「便秘には運動もいいんやから、散歩がてら行っておいで」とカフェRに行くように促した。「食べられるかどうかわからん」と言いつつ完食しているので、どれだけ苦しいのか、そもそも本当に苦しいのかどうかこちらにもわからない。が、4日目にはこちらが勧めても「もう、よう行かん」と居間から出ようとしない。じゃあ作るから何がいい?と尋ねると「パン」と答えるので「もっと消化にいいもの食べて、ちゃんと便が出るようにしないとあかんよ」と無理やりおかゆを食べさせた。
Hクリニックの副院長にも電話で便秘薬の使い方を相談し、毎食後に便を軟らかくする薬、昼食後に液状の薬、さらに寝る前に腸に刺激を与えて便を押し出す薬と3種類の便秘薬を使い、5日目の早朝にやっと出た。が、次の日はまた出なくなってしまった。
その後、ちゃんと毎日出るようになっていくのだが、点滴をした後の副作用の出方や出る期間は大体パターンが決まっていた。それなら「○日間は便が出なくても仕方ない」と割り切ってくれればいいのだが、毎回「便が出ない、出た、また出ない」「ごはん食べたくない、外に出たくない」を繰り返し、言う側も言われる側もうんざりすることが続いた。
便秘と同時に、右の太もも、足の甲が時々しびれると言い出した。たまたまじゃないかと思っていたが、翌日には両足の膝の上の部分がガクガクして、歩くと痛いという訴えに変わった。それも日中はそこまでひどくはないように感じたが、夜になるとだんだん辛そうな様子に変わってくる。カフェRの行き帰りにも突然立ち止まり、しかめ面で中腰になって膝を押さえ、また歩きながらそれを何度か繰り返してやっとのことで家に帰り着く。湿布を貼ってみたものの、あまり効果はないようだ。そして、ガクガクし始めてから3日目の夕方、とうとう部屋で転んでしまった。
Hクリニックの院長が整形外科専門なので相談してみたところ、座ったままで出来る足の体操を教えてくれた。ガクガクして危ないからと歩かなくなったら、足が弱ってしまうからね、と。帰って早速父と一緒にやってみた。毎日続けるといいよと伝えると、しばらくの間は続けてくれていたようだ。
この膝のガクガクも1週間と少しで徐々に落ち着いていくのだが、恐れていたあの症状がとうとう出てしまった。手のしびれだ。
足のしびれを感じた翌日の午後、手も少ししびれると言ったが、その後しばらくして消えたそうだ。が、2日後の夜、つまり部屋で転んだ日、寝る前になって再び手がしびれると言い出し、それからずっと続くようになってしまった。膝のガクガクが改善されても、手のしびれの訴えは続き、食器がうまく運べず味噌汁をこぼしてしまった日や、古新聞の紐かけが出来ない、夕食に出した空豆の皮が自分でむけないという日も出てきた。
M先生は「しびれは今後も出ないかも知れない」と言っていたのに、何故…。3度目の抗がん剤投与の日の診察で相談すると「そうか、しびれが出てきてしまったか…」と、先生も言葉に詰まった。しびれているのは指のみで、手のひらには違和感はなく、作業がしづらいと感じることがあっても、食器洗いや服のボタンかけなどは今まで通り出来ている。しびれを改善するビタミン剤を毎日飲むようにして、投与量を調節しながら抗がん剤を続けていこうということになった。
父の場合、しびれと言っても長時間正座した後のようにビリビリと電気が走るような感じではなく、指の感覚が鈍っているような感じらしかった。人によってはビリビリとした感じが続いたり、熱いものを持ってもそれが熱いかどうかしばらくの間わからなかったりするらしい。また、抗がん剤を続けていくとしびれが蓄積され、しびれの範囲も徐々に広くなっていくそうだが、父はとても軽い方で範囲も狭いらしく、もっとひどい人はお茶碗やお箸も自分で持てなくなったり、洋服のボタンも留められなくなったりするという。
「お茶碗が持てなくなったら困る…」診察室で父はそうつぶやいたが、自分はまだマシな方だからがんばろうと思い直したわけではないようだった。毎日毎日事ある毎に手がしびれる、しびれると訴え「1月9日(2度目の抗がん剤)以降みんなだめになってしもうた」とこぼした日もあった。
辛いのかも知れない。私達はその辛さを身をもって理解することは出来ない。味噌汁はお盆に載せて運べばいいし、古新聞は紐でくくるのではなくビニール袋に入れればいい。空豆は予め皮をむいてから食卓に出せばいい。それ以上の日常生活に支障がないなら、抗がん剤を続けていくことの方がずっと大事だと思っていた。
3度目の抗がん剤は1月30日、午後からの予約だった。昼食を家でとり、この日も夫が休みだったので車で病院へ向かった。
診察内容は件の通りだが、嬉しいことがあった。入院中に隣のベッドだったTさんも診察に来ていて、採血コーナーでばったり出会ったのだ。Tさんも術後の抗がん剤治療のため3週間に1度通院しているそうだ。父が退院した翌日に電話で話したきり、もう会えることはないかも知れないし、あまり何度も連絡するのもご迷惑になるかも知れないと思っていたので、私達は約1ヶ月半ぶりの再会を喜んだ。Tさんは、もう抗がん剤も必要ないのでは?と言ってしまいたくなるくらい元気で明るく、毎日スポーツジムに通って体力作りをしている話や家族のために料理を作っていることなどを楽しく聞かせてくれた。そして父を激励してくれた。次の予約日も同じだとわかり、また会いましょうと言って別れた。父も嬉しそうにはにかんでいた。
時間帯がずれていると会えないこともあったが、予約日が重なることはこの後もしばらく続き、私達はそのたびに採血コーナーや診察の待合コーナーでお互いに励まし合った。投与する抗がん剤は違っていたので点滴にかかる時間も違ったが、どちらかが先に終わると、カーテンをそっと開けて「じゃあまたね」と声をかけてから帰った。入院中もそうだったが、Tさんの存在に、こうして外来で何度も出会い励まし合えたことに、父も私達もどれだけ救われたかわからない。
「僕達は”がん友”だからね」と入院中にTさんが言ってくれたことがあったが、まさにそうだ。私達は、程度は違えど同じ悩み、苦しみを共有する「がん友」だった。