夜の淵で
夜中、ひとりベッドに潜り込んでこれを書いている。
夜中に日記をつけはじめたのは、13歳くらいの頃だった気がする。心が張り裂けてしまいそうな夜中がたくさんあった。夜中というか、あれは夜の淵みたいな時間だった。あの頃のわたしが書いていたものは、日記と呼ぶにはあまりにも断片的なものだったかもしれない。月の光、雨の音、季節の匂い、好きな歌詞。まるで宝物を隠すみたいに、わたしだけの小さな光を書きとめた。だれにも奪うことのできない、わたしだけのお守りがほしかった。
わたしの中には歪さがあると気づき始めたのは、もう少し成長してからだった。それはまるで意思をもった生き物みたいに、わたしを内側から揺さぶった。わたしがだれかとすこやかな信頼関係を築いていくこと、おいしくご飯を食べること、ひとつずつ目標を叶えていくこと、そういうことを嫌い、あの手この手で邪魔をしてきた。わたしは何度も夜の淵に連れて行かれては、途方にくれていた。なんとか踏みとどまれるときもあったけど、ずるずると引きずられてしまうときの方が多かった。
だけど何回夜の淵に連れ戻されても、わたしはかならず帰り道を見つけることができた。
帰り道を照らしてくれたものは、ずっと日記に閉じ込めてきた小さな光や、断片的な記憶たちだった。満月が綺麗だった夜、好きなひとと過ごした時間、家族とのクリスマス、ひとりでみたレイトショー、旅先で出会った友人との日々。そういう瞬間が粒みたいに転がって、夜の淵をぽつりぽつりと照らしてくれた。帰り道はこっちだよ、と。
大人になったいま、歪さはすっかり身を潜めてくれている。それでも時々「あ、そこにいるな」と思う日もあるけど、もうあまり気にしていない。自分の歪さを嘆くよりも、光る瞬間をひとつでも多く見つけることに、もっと一生懸命になりたいと思っているから。
本をつくりたい。手紙が入ったボトルを海に漂わせるように、ずっと集めてきた光の粒を世界にそっと置いておきたい。もしかしたら、ボトルから飛び出した粒がずっと遠くまで転がって、知らないだれかの夜の淵までたどり着くかもしれない。そんなことを、今夜こっそり考えている。
( 2024年 7月7日 日記)
この日「つくりたい」と思った本が、もうすぐ完成します。
12月8日(日)第5回「日記祭」で、直接販売させいただけることになりました。
本のタイトルは『すくいあげる日』です。
12年間の日記から、129個の日記をすくいあげています。
本と日記祭については、こちらの記事を読んでいただけたら嬉しいです。