草間 柚佳
たまにふらりと
海のある街
ひとり暮らしの日々
12月8日(日)第5回「日記祭」に出店します。 本のタイトルは『すくいあげる日』です。 12年間の日記から、129個の日記をすくいあげました。 本のことを、少しご紹介させてください。 どんな瞬間にもとどまることができない。 だからいつも慌てて、記号みたいな言葉を書きとめている。 完璧な夕暮れ、さえない日のコーヒー、冬の匂い。 ときどき光の粒みたいな瞬間に出会う。 とどまりたいと願わずにはいられない瞬間。 両手ですくおうとしても、指の隙間からこぼれ落
夜中、ひとりベッドに潜り込んでこれを書いている。 夜中に日記をつけはじめたのは、13歳くらいの頃だった気がする。心が張り裂けてしまいそうな夜中がたくさんあった。夜中というか、あれは夜の淵みたいな時間だった。あの頃のわたしが書いていたものは、日記と呼ぶにはあまりにも断片的なものだったかもしれない。月の光、雨の音、季節の匂い、好きな歌詞。まるで宝物を隠すみたいに、わたしだけの小さな光を書きとめた。だれにも奪うことのできない、わたしだけのお守りがほしかった。 わたしの中には歪さ
11月7日(木) 薄紙に包まれたお菓子を、指先でそうっと取り出す。コインのような形で、表面に小さな白鳥が型どられていた。強くつまめば簡単に割れてしまいそう。口に入れると、ふわりとシナモンが香り、あっというまに舌の上でほろほろ消えた。 いつもより丁寧に髪をおろして、ベージュのタートルネックを着る。ブラウンのプリーツスカートを合わせて、首元には白いスカーフを緩く巻いた。顔周りに白が入るだけで、素朴な色合いが華やかになる。緑杢色のMITTANのウールニットコートを羽織り、足元は
2024年11月5日(火) 新幹線の中、ウェールズの『タイムマシン』をひらく。この秋は児童文学を読みたい気分。この本は栃木のbullock booksさんで購入した。 新幹線で暗闇を移動する自分と、タイムマシンで時空を移動する主人公を重ねながら、臨場感たっぷりで読み進める。 物語は名古屋駅に着く頃に最高潮の盛り上がりに差し掛かり、京都へ到着するぎりぎりのところで、幕を閉じた。 いや、面白かった。 ウェールズはこの物語を、まだ自動車や飛行機さえ存在しない時代に書いたの
2024年10月19日(土) 不安やプレッシャーを感じるとき、わたしは眠りすぎてしまう。 深く眠るのではなくて、意識の一部を保ったまま、浅い夢の中をふよふよと泳ぐような眠り。文字通り、時間が「溶けていく」のを実感しながら、それでも眠りに逃げてしまう。起きてからはもちろん、眠っているあいだも、どこか後ろめたさを感じている。 - 夕方、最寄りのスタバで本の作業。グランデサイズのアイスアメリカーノと、温めてもらったカスタードアップルパイをお供に、短い文章を時間をかけてじっく
いちばん好きな季節を、残しておかないと。 先週、はじめて金木犀の香りがした。連休は新宿御苑でピクニックをしたり、帰りに伊勢丹でオレンジワインを買っておうち晩酌をしたり、別の日に美味しいタコスを食べに行ったりした。 10月のはじめ、姉と岩手へ行った。津波で更地になった場所に、あたらしい町が出来ていた。記憶が遠くなる前に、早く旅の記録を書きたい。 パリや台湾のことも書きたい。早くしないと、どんどん色褪せてしまう。本も読みたい、美味しいものも食べたい、何も考えずに眠ったり、歩
昨日、会社の飲み会で、はじめて話したひとに「noteを書いています」と話したら「聞いてもいいですか」「自分は発信をしないのですが」と、ふたつの前置きがあってから「発信するときは、どういう気持ちで、誰に向けて発信しているんですか?」と聞いてくれた。 その質問がとてもまっすぐだったから、わたしもまっすぐ答えたいと思って、言葉を選びながら、こう伝えた。 「発信したいわけではなくて、置いておきたい、という感覚なんです。置いたものを、誰かが拾ってくれる。出会ってくれる。そういうイメ
9月19日(木) 夏の最後の足掻きだろうか。暑さがまたぶり返した。今日は健康診断。看護師さんたちに「はい、次は聴力検査」「はい、次はX線です」と案内され、あれよあれよというまに、もうおしまい。 朝から空っぽだった胃に何か入れたくて、祐天寺でジェラートを食べる。体が「みずみずしい何かが欲しい」と言っている。梨とヨーグルトにした。上手に選べた。朝から何も食べていなかったから、身体中にぐんぐん染み込んでいく感覚。 9月21日(土) babajiji houseさんで、はじめ
9月16日(月) 渋谷のスタバでコーヒーとドーナツを買って、レンタカーに乗りこむ。外はあいにくの雨。でも雨のドライブは好き。わたしは運転ができないから、音楽を選ぶ。ユーミンの『雨のステイション』。 まずは宇都宮へ。車中は餃子リサーチ。行列のできるお店が美味しいとは限らないんだよね、彼が言う。たどり着いたのは生きてる餃子バリスさん。焼き餃子とホタテ水餃子、牛肉のフォーを注文。一口食べておいしさに目を丸くして互いに顔を見合わす。 もう1件は行列店に行ってみたけど、バリスさん
8月25日(日) 1本のバゲットを切り分け、トースターで表面がカリッとするまで焼く。そこにバターを塗り、昨晩のグリル野菜と冷蔵庫にあったリコッタチーズをのせる。父が淹れてくれたコーヒーを飲みながら、リビングでそれを食べる。母は同じテーブルでパソコンを開いて、海外の通販サイトを眺めている。マゼンタピンク、結構派手だね、でもママなら似合うかも、と話す。 9月1日(日) 中目黒の『onibus coffee』でどしゃぶりの雨を眺めながら松浦弥太郎さんの『いちからはじめる』を読
生まれて初めてのパリ旅行は、カネコアヤノの『タオルケットは穏やかな』を聴きながら、ぶ厚い曇り空の下を歩くこと以外には、なにも出来なかった。 4月のパリは寒くて天気が悪くて、カネコアヤノの泣くような、祈るような歌声がよく似合った。 このアルバムを聴きながら、どれだけの距離を歩いたのだろう。 色々なことが混沌としていた時期だった。なんでも記録したがるわたしなのに、その頃はなにも書けなかった。心がうまく動かなくなってしまっていたから。 出来事の渦中にいるときの心境も、そこか
8月15日(木) 「8月の東京出張はなくなってしまった」と連絡が。すぐ返したら、さみしい気持ちがそのまま言葉にのって、伝わってしまいそうだったから、一旦オフィスへ。 昼休み、もう一度LINEを読み返す。短い文面のあちこちに、優しい気遣いが隠されていた。朝は気付くことができなかったから、時間を置いてよかった。やさしい気持ちも、さみしい気持ちも、隠しても言葉にはにじみ出る。 すべてをさらけ出すのは愛ではないと思っているから、さみしさを彼に預けたくない。わたしのさみしさは、わ
8月17日(土) 夕方の海を見ていると、もうなんでもいいや、という気持ちになる。裸足で砂浜を歩いて、波に足をつけて、適当な場所に座って、夕陽が沈んでいくのを眺める。やがて日が沈むと、夜になる前の特別な青色が広がって、そのなかに白い月を見つけることができる。 こういうのばかりでいいよ、夕方の海より好きなものはないよ、ここで本を読んで暮らそうよ、とわたしの声が聞こえる。 8月20日(火) さっぱりした気持ちで満月の夜を歩きたいから、急いでシャワーを浴びて髪を乾かして、さら
7月25日(木) 昼、キッチンから香ばしい匂いが。一階に降りるとチャーハンができていた。具材がたくさんで美味しい。台湾で買ったホタテの調味料を入れたみたいで、旨味もしっかり。一緒に買ったものが食卓に出てくると、なんとなく嬉しくなる。 18時半、今度はスパイスの香りが。キッチンで彼がカレーを作っていた。野菜をブレンダーで滑らかにしている。冷蔵庫をのぞくと、ジップロックの中で漬け込まれたブロック肉もある。期待。 昨働かざる者食うべからずなので、せめてもの気持ちで、洗濯物を取
昨日の出来事を何度もなぞることは、タイムリープ映画みたいだと思う。同じ日を生き直すことはできないけれど、何度もなぞることで、はじめは気付かなかった部分が見えてくる。 本当は、そのときの生ものみたいな感情や言葉を大切にしたいけれど、どうしても向き合えない日がある。まだ言葉にならない、言葉以前のもにょもにょした何かが、自分の中に渦巻いているとき。 脳内はわーわーと騒がしいのに、心はぴたりと動きを止めてしまうような感覚。そんな日の日記には「なにを食べた、だれと会った、どこへ行っ
7月24日(水) 朝、桃を食べながら「巡行って何時からだろう」と調べたら、もうはじまっている!と気づいて、慌てて家をとび出す。 ああ、呑気に桃をほおばっている場合じゃなかった。 今日も恐ろしいほどに暑い。じりじりとした肌の感覚は、いくら日焼け止めを塗っても不安になる。 地下鉄で四条まで。到着すると、人、人、人の渦。湿気と熱気でサウナみたいだ。しばらくすると、遠くからお囃子の音が聞こえてきた。最初にやってきたのは『南観音山』。中心に高く高く、真松が。 その次にやってき