確定申告が終わった。申告から見えてきた「去年の自分」
昨年1年間の領収書類をまとめ、税理士さんに預けて来たのは3月1日のこと。毎年の事なのに年末あたりから提出まで、落ち着かない気分の毎日を過ごす。個人事業主の宿命とは言え、あまり良い気分ではない。
自分は領収書をまとめて税理士さんに預ける作業をするだけだ。多少の事務処理が出来る人で、書類をまとめる作業が苦にならないのであれば、自力での申告は多分難しくはない。だけど、数字に極端に弱いみけ子なので、申告作業は税理士さんにお任せしている。手間の割には少ない金額でお願い出来ているので、ひとまずはそれが正解だと思っている。
書類が返って来る前に、担当税理士さんからは3月15日までに納付する税金の金額を電話で知らせてくれる。昨年の倍、までは行かなかったけれど実質的に倍近い金額だった。零細個人事業主のみけ子には、痛い金額である。
色々お世話になって、儲からないのに毎年確定申告を引き受けて下さっている税理士さんへも、当然報酬の支払いがある。どちらもグズグズせずに振込みを済ませる。
納税額がアップ=稼ぎが順調(?)
って事なんだろうが、そう言う実感はほとんどない。必要なものを買って、食べて暮らして必要な所に支払いをする。結局自分がやっていることはそれだけだ。それなのに預貯金の残高はタダ減り。これはどうした事か?
昨年は、パンデミックがひとまず落ち着きを見せ、人の動きも活発化した。感染症のランクが下がる事が決定する直前、その一報を耳にした人々は一斉に動き出した。昨年3月の民泊の混み具合は半端なかった。正に目の回る忙しさだった。
3月だけではない。その後のゴールデンウィークも夏休みも、かなりの混雑具合で民泊はフル回転に近かった。移動手段の交通機関も、他の宿泊やレジャー関係の産業もかなり経済的には復活し潤ったんではなかろうか。
移動やレジャーを制限せざるを得なかった約3年間。抑えつけていた気持ちを一気に爆発させるように、人々は動き始めた。それが昨年の春以降の忙しさに直結したのだろう。そして、自分の仕事量の増大に繋がった。
仕事が引も切らず、は嬉しいことではある。しかし、今振り返ってみると忙しさで足元をキチンと見る事も叶わず、かなり浮ついた消費に回ってしまった感じがある。忙しいからとちょくちょく外食したり、お惣菜を買って済ませる毎日の食事。1回の支出が少ないからと骨休めに素泊まり温泉にもだいぶ行った。必要だからそうした訳で決して贅沢でそうしたんじゃない。だけどそういったことがだいぶ重なってしまったことは否めない。確定申告の数字と、預金残高にそれがハッキリと現れている。
ちょっと冷静に考え、分からないなりにも分かる範囲で良いから考えて分析してみる。その中からきっと何かが見えてくる。気づく事がある。自分が経験し、自分の頭で考え気づいた事を大切にする。それが人生の宝になる。
みけ子程度の、大して賢くもないBBAが、それでもこの国の一角で何とか食い扶持を稼いで行けることには感謝せねばなるまい。これ以降も大金を稼げるようには到底なれないだろうが、ひとまず飢えて死ぬ事はなさそうな見込みである。これはとにかくありがたいと思って生きなければ、罰が当たるわ。
↓昭和初期頃の夢二晩年の木版画ハガキです。保存状態も刷りも良い、紙の宝石のような一品です。