「どうせ自分は……」っていつも心の中で思っていた、以前の自分。
今はよく「自己肯定感」って言葉を聞く。自己肯定感って「ありのままの自分を肯定する感覚」だと言う。
みけ子はずっと「自己肯定感」が低い人間だった。何をするにも「どうせ自分なんか」「やっぱり自分はできない」って思っていた。何かで落ち込んだりすると、中々立ち直れなくて延々と落ち込み続け、何をするのも億劫で体に力が入らない。
確かに発達障害気味で人並みよりは一般的な能力は劣っていたと思う。勉強もできないし体力はそこそこあったものの、体の動きの統一性が取れず球技なんかはさっぱり。周囲を見回しても自分は学習の習得も遅れていたと思う。「出来ない。自分はダメだ‼️」と思ってしまうのも無理はなかった。
そういう気質が多少なりとも変化し出したのは、もう40代半ばを過ぎたあたりだったかと思う。何かちょっとしたイヤな事があると、ズド〜ンと落ち込んでしまう。気持ちが落ち込んで体が動かない。そんな自分がものすごく嫌だった。どうしたら変われるのかと、自己啓発書を手当たり次第読んだりスピリチュアル系のセッションを受けたり講座に通ったりした。
そういう試行錯誤も多少は効果があったのかも知れない。そんな時に気づいたことがあった。「身体を動かさないと気持ちが理由もなく落ちて行く」と言うことに。
自分はスポーツは全然得意ではなかったし、身体を動かすのも好きではなかった。小学生の頃から体育の時間が憂鬱だった。歩くのや自転車に乗るのは好きだったが、積極的にスポーツをしたりはしなかった。スポーツが楽しいと言う思いを抱いたことがなかったのだ。
だけど朝起きて、パソコン作業を長時間続けていると特に理由が無いのに気持ちがなんとなく落ち込んで行くのだ。過去の些細な失敗を思い出して、その時のイヤな気分に頭の中が支配されてしまう。
「これってもしかして身体を動かさないせい?」と気づき、特に用事がなくても外に出ることを意識し出した。自転車に乗って買い物に行くのもよし、時には早起きして近所をウォーキングしたりした。そんなことを習慣にしているうちに、自己肯定感が低く、些細なことで落ち込みがちだった自分の気質が変わり始めた感じがした。
気持ちが落ち込んでしまうような出来事があった時。外で疲れてもうウチに帰って寝る事しか頭になかった時。一休みしてから動きやすい服に着替えて、近所をウォーキングして回った。外の新鮮な空気を吸い周囲の風景を眺めながら身体を動かす。こういう気持ちよさに目が醒める思いだった。
いつの間にか「どうせ自分なんか」と思わなくなっていた。自己肯定感はどうだか分からないが、自分のことを多少は認めることができるようになった気はする。今は特に運動やスポーツをしている訳ではないが、民泊の仕事は基本的に体力勝負でこなさなければいけない仕事なので、身体を動かす度合いはかなりなものだと思う。仕事を終えた後の充実感が何事にも代え難い。
人って幾つになっても変われる。きっかけはちょっとした気づきだったり、目にした本だったり色々だろう。今の自分が満足のいく自分でなかったとしても、「変わりたい、良くなりたい」と言う気持ちがあれば、きっと今より良い方向に変化していけると思っている。
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