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好き

皆様のご機嫌をうかがって参りたいと思います、おにぎり夫人と申します。

徒然なるままに、ひぐらし、パソコンにむかひてキーボードを叩きつつ、心に移り行くよしなしごとをそこはかとなく書きつくっていきたいんですが

とにもかくにも

チケットが手に入らなかったですよ今回も!


ぴえん会いたい


何だ、何事なんだ、こんな経験初めてなんだ、ファンクラブに入っているのにチケットが取れない人を愛したことがないんだよ私は!

モテる人って苦手だし、私なんかが相手にされるわけないって思ってるから
あんまりそういう人好きにならないの

おにぎり夫人談

いや知らんがな!こんなことに引用ブロック使うんじゃないよほんとに。何が『おにぎり夫人談』だ!なんのインタビューだよ!


すいません、取り乱しました。

今まで私がライブに行くっていうのは、オールスタンディングのライブだったりで席が決まってるわけじゃなかったんです。

そういうのにはほとんど行ったことがなくてね、


Fuji Rock Festival 公式Instagramより

入れないみたいなことがないわけ。あとはフェスとかだから自分の頑張り次第でいくらでも前に行けちゃうとかね。

何なんだバンタン、何なんだSUGA/AgustD。

人気者すぎてわけわかんないよ、とまどいが隠し切れん。

ファンダムってなんなの⁉すごい世界だ、宇宙のようにどこまでも広がっていくのがBTSなのか⁉大きさが計り知れないよ……。

もうMy Universeなのよ


くじけそう…

もう正直何にくじけそうなのかも分からない。

大好きでいることはやめられないじゃん。前の記事、『初恋』でも書いたけど(あ、まだご覧になってない方はぜひ)


好きなもんはもうしょうがないわけでさ。やめるとかやめないとかの話じゃないじゃん。

『ファンがしそうな行動をやめる』とかはやめるやめないの話だと思うんだけど。

「もうグッズ買わない!」とか「もう出待ちしない!」とか「もうトレカ作ったりしない!」とか?

好きは減ったり増えたり、消えてしまったり突如湧き上がったりすることはあると思う。

そして好きのコントロール、私は出来ない。


じゃあ何にくじけそうかって

『情報を追い続けること』だろうか。

常に新しい情報を追うこと。


この通知から逃れられない私


これ、すごく大変じゃないですか?

供給の波が半端じゃなさすぎる。

こんなの経験したことないんだって。


四角い教室の中で


一旦ここで話を変えてみる。


ひとつのクラスがBTSのファンで構成されているとしよう。

ARMY〜!

あるグループの子たちはいつも情報に敏感で、その情報を処理するのも早い。経験も豊富なために何を聞いても答えてくれる。

またあるグループは情報を多角的にとらえたり、深堀するのが得意だ。考察が得意だったりするので、驚きや発見をくれたりする。 

また違うグループの子は、自分の好きな分野にBTSを落とし込んで発信するのが得意だ。ファンアート、手芸、お菓子作りなど、「こんなすごいことが出来るのか」とワクワクさせてくれる。

でも大半の子は、「好き」だけで存在するんだと思う。

チョヌン BTSガ チョアヨ

毎日の登下校に音楽を聴く。インスタで動画や画像を見る、保存する。

「昨日のあれ観た?かっこよかったよねー!」と言って友達同士で盛り上がる。

そして、上記のような分野に長けた子たちと交流しては新たな感動を得る。

毎日好きなだけでワクワクするんだ。

毎日『dynamite』のMVを繰り返し見ている子

『タリョラバンタン』を繰り返し見て、これまでの音楽を聴いていれば幸せって子

自分が買うことが出来たLIVEの円盤の、いちばん好きなやつばっかり繰り返し見ちゃうんだって子もいる

ここまで書いた、一つの教室に居る子たちは、皆、誰一人すべからく、差がついたりすることなく紛れもないARMYなんだ。

みんなそれぞれの『好き』で構成された教室。その中に私もいる。

『好き』に差ってあるのかな?

例えば、私はユンギペンだから(オルペンだけど)、ナムペンさんよりはナムさんを想う熱量は低いかなって思うんだよ。


でもナムさんのこと大好きだよマジで


それは、ユンギをタンク満タン100で好きと表現した場合、99.8くらいかなみたいな話。

でも、私と同じユンギペンさんは、みんな自分の最大限好きじゃん(皆って言ったらまたアレかもしれないけど)(アレとは)

そこに差はないと思うわけだ。

「この人より私の方がユンギのこと好きだし!」

もないし、

「あー、私全然彼女よりユンギのこと知らないから好きで負けてる」

もないと思うわけ。

昔こんなことがあった

高校生の時にお付き合いしていた方が、非常にこの、「好き」の具合が私とは合わない方だったんですよ。

映画『黒崎くんのいいなりになんかならない』より※画像はイメージです

例えば、同じ『テレビ』というものでも、

同じ音量30でも、音の大きさが違うのわかります?

私のテレビは、30はちょうど良い音量なんですよ。

でも彼は、30っていったら音が大きすぎてビックリしちゃうぐらいの数字なんです。

容量が違うって言うのかな。

私は巨大水槽くらいの『好き』タンクを持ってるとします、(例えばですよ)

でも彼は、20Lの灯油のタンクくらいの『好き』タンクなんです。

彼はそのタンクパンパンに好きなんです、私の事。最大限パンパンに好きが詰まってる。

でもそんなの、巨大水槽を持ってる私からしたら、

「え?たったのそれだけなの?全然私の事なんか好きじゃないじゃん」

になっちゃってたんですよね。(若かったからね)


でも彼の『好き』、は彼の形をしていて、とても素敵で温かいものではあった。

それを『私の中にある'好き'』と『全く同じもの』であると信じて疑わなかったから、

自分と比べては、

「あなたは私があなたを想うほどは、私の事を好きでは無いのね」

になってしまっていた。

言葉として『好き』という音で括られるから同じに見えているけれど、

それぞれ入れ物の大きさ、形、『好き』の実態すら人によって違う。

だから自分の中では差別化したりは可能でも、

人とは決して比べられないし、

比べてはいけないし、

人の好き、は尊重して大切にしなければならないものだと思うのです。

教室の中の彼らもそう

何が出来るからあの人の方が好きが大きい

あの子はただ黙ってYouTubeのコンテンツ見てるだけだから、色んなこと知ってる私の方が好きが大きい

まだアミボム持ってない私はアミじゃない

そんなことないんだって。

違っていいじゃん好きなんて。

私の『好き』、大切にさせてよ、って。

結局何が言いたいかって

私自身に言いたいことなんですよ、

「情報追えなくても、ちゃんと大好きだろ私!しっかりしろおおおおおおお!」

ということで、

Twitterやってると、

「やべ、話についていけない」

とかついつい思っちゃう方なの私。

ダサいでしょ(笑)?

ダサいんだけどさ、性分でもあるから仕方ないんだ。

でも疲れたら休むことを覚えないととほんとに思うし、

離れることも必要なこともわかってる。

でもユンギから離れられないんだよ。

ああ罪、罪な男민윤기。

MR.ギルティ민윤기ラブ


ああそうじゃなくて、そんなこと言いたいんじゃなくて(笑)、

皆さんも、皆さんの『好き』に自信があるとかないとかでもなく、

皆さんの『好き』は皆さんだけのもので、

誰かに否定されたり比べられたりするようなことじゃないんですよ。 ナンセンスなんですって。

あれができないからダメとかないです、

ちゃんと皆さんには皆さんの好きがあります。

ここまで長々と書いておいて怖いのはさ、

当たり前の事しか言ってないことだからね(笑)  

もの凄くとっ散らかった回になってしまいました、ごめんなさい。

何か書きたかったんです、色々溜まってました。長々と読んでいただいてありがとうございました。


またちゃんとしたもの(って何かわかんないけど)書きに来ますね、


ユンギええ顔しとんなあ

ラブユアセルフ〜あんにょん。














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