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ナダールと19世紀パリ#05/共和主義者の血

ナダールは、その自伝の中で、父ヴィクトルを経営者でいるにはあまりにも夢想家だったと書いています。揶揄ではない優しい視線で、そう書いている。
父はシャルル・フーリエの信奉者でした。
フーリエはリヨン出身の「空想的社会主義」の提唱者です。まだマルクスもエンゲルスもいない時代のひとです。
実はフーリエですが、彼自身は自らの提唱にこの言葉を使用していません。後年の社会主義者が、聊か稚拙な・・しかし総体として同音異句な彼のアプローチに対して、その先駆性を認めながら「空想的である」として、そう名付けているだけです

社会主義的な協同体意識は、ママ純粋な心を揺さぶります。ちなみに我が家は、娘たちが10代の頃にはエドガー・スノーの「中国の赤い星」に触れさせなかった。若い魂に社会主義/共産主義は劇薬です。バランス感覚を失います。

・・世の中は性善な人々だけで出来ているわけではない。もちろん性悪な人々だけでもない。二つは混在して並行しているのです。それでも「神の見えざる手」は、総体として社会を善の方向へ持っていってる。個々に勧善懲悪は無い。しかし総体的には確率論的に勧善懲悪へ納まっていくのです。実は善なることは(囚人のジレンマのように)極めて功利的なんです。悪でいることは単層的なので効率が悪い。ファウストの質問に悪魔はこう答えている。「お前は何者か」「我は常に悪を欲し、善を為す力の一部である」と。

ナダールの父は聡明な良い人でした。聡明な良い人は、いとも簡単に社会主義の罠にはまるのです。父が故郷リヨンを出奔したのは、どうやらフーリエの言葉に揺さぶられて官憲とトラブルを重ねたためだったようです。ナダールは、それを自伝の中で匂わせています。

いずれにせよ時流に乗った家業の印刷業/出版業はパリでも、そこそこの成功を収めました。
ナダールは、そんな父ヴィクトルの生き方を教師として、そして反面教師として育って行きました。ナダール自身が生涯痛烈な共和主義者であり、反権力的で、先進的なものに強く魅せられる人生を送ったのは、間違いなく父の影響でしょう。

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