今までした一番の痛恨regretfulのこと
前職のとき。冬のシンガポール。ホテルラッフルズ。気の置けない同業者との会食の席。全員が欧州人である。彼らが僕に注目していた。
僕はナフキンで口を拭いてから、座ったままおもむろに話した。
「日本の冬は寒い。特に北日本の冬は寒い。だから日本には酒を温めて呑むという習慣がある。欧州北の国々と同じだ。」
そう切り出すと全員が意外そうな顔をした。僕は話を続けた。
「その酒を温める酒器がある。酒を小分けして入れる徳利Totkuryというものと、薬缶kettleだ。薬缶はとても重要でアルマイトanodizeで出来たものが良い。特に少しくらい経年変化してベコベコが良い。大きさはなるべく小ぶりなものが良い。」
そう言いながら手でメロンを抱くようなふりをすると、全員の表情が緩んだ。
実はその席、年に2回、同業者が集まるものだった。
そしてその会では、食事のときに誰かが思いつきで出した「お題」で、各自が短いスピーチをするというのが慣例になっていた。
この日の「お題」は「今までした一番の痛恨regretful」だった。
金融屋の痛恨といえば、重い話ばかりである。
そんな話が幾つか続いた後に、僕の順番になって突然「ベコベコに凹んだヤカンがぁ」なんてぇ言い出したから、全員びっくりしたのだ。
僕は話を続けた。
「ずいぶん昔なんだが、知り合いから日本酒をもらった。寒かったから、これを暖めて呑もうとした・・と思ってもらいたい。」僕がそう言葉を区切ると、全員が頷いた。そのときお題を出した本人がニヤニヤと笑った。助かったという表情だ。
「私は、台所の食器棚から徳利と薬缶を出して、薬缶に水を入れてコンロにかけてから、徳利に日本酒を入れた。これが実に黄金色で美しい。見ただけで逸品であることが分かる酒だ。そして薬缶の湯がポコポコと沸くのを見計らって、その徳利をそぉっと・・・」と身振りをしながら。ここで話を止めた。全員が身を乗り出している。目の前に黄金色の日本酒があるつもりになっている。
「そのときに妻の声がしたのだ。"ちょっとあなた、なにニヤニヤ笑ってるのよ、気持ち悪いわよ!"と・・その声で目が覚めてしまった。」
全員が呆気にとられて、それからフーッとため息をついた。「夢か」誰かがボソリと言った。僕は続けた。
「ん。そのとき、私は真剣に後悔した。
あ~あ、燗しないで冷やで呑みゃよかった!!と・・
これが私がした人生最大の痛恨です。」
全員が爆笑し、スタンディングで拍手してくれた。
いいねぇ、噺を知らない国の人は・・手玉に取り易い。