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子どもに許せないことをされた時は
子どものすることで、叱ったとしても大抵のことは流すことも受け止めることもできるけど、たまに、許せないことをされた時どうしようもなくなってしまう。それがこれ。久しぶりにやられてしまった。
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やったのは、4歳の娘。
昨日、中に落書きをされて「これはママの大事な大事なノートだから落書きしないでね」とお願いして、了承してもらったばかりだった。
手帳は対面キッチンのリビング側の棚…チャイルドロックがかかる棚の中にしまっていた。2歳は開けられないんだけど、でも4歳ともなると、開けようと思えば開けられるんだよねぇ。
そんな大事な手帳なら、子どもの手の届かないところにしまっておけ。もう1人の自分に言われる。それはわかっている。でも、しまいすぎると今度は手帳が続かない気がしてくるし、何より…昨日の娘を信じていた。
これはなかなかショックなことだった。手帳を始めたばかりなのに自分でも意外なほどで、しばらく娘と話したくないくらい落ち込んだ。
それはたまたま寄ったダイソーで大好きなミモザのシールを見つけて、手帳を少しデコってみた直後だったからかもしれない。
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母としてではなく、1人の人間として、大切なものを傷つけられた気分。率直に、もうこの手帳を見たくない。見るたびに、娘にやさしくできない!と思った。数日だけど、書き込んだ内容も、わたしにとっては大切な記録だった。
そんなわたしの様子をみて取り繕うように娘がたくさん話しかけてきたけど、思わず「ママ、今は娘ちゃんに優しくできないよ。ごめんなさいしても、すぐにいいよって言えない時もあるんだよ。落書きは消えないんだよ。大切なノートだったんだよ」と言っていた。
娘は、しっかりと私を見つめて「うん、そうだね…」と言った。正しくは、舌足らずなので「しょーだね…」だけど。
もう4歳。まだ4歳。でもしっかり話をした。こんな話し方をしたのは初めてだと思う。
「まだ難しいかもしれないけど、ママにも大事なものはあるんだよ。今日はとても悲しかったよ。ちゃんと大事なものは大事!って言うから、勝手にさわったりしてはだめだよ。さわりたくなったら、今度からは聞いてね。ママも、娘ちゃんの大事なものは大事にするからね。ごめんね。」
娘は初めて見る顔をしていた。泣きそうになりながら、でも泣かずに、話を聞いてくれた。
「わかった。ママ、ごめんね。」
いいよ。ママもごめんね。すぐ許すことも、子どもがしたことだからと諦めることもできず、大人げなく悲しんでごめんね。
でも、子どもが生まれてから子ども以上に…というと語弊があるけど、自分の中の、母親以外の部分を見ないように、押さえて押さえて生きてきたように思うので、こうやって子どもにされて許せない、悲しいって思うことができたのはきっと良いことだと思った。
ただねー……手帳はやっぱり、見るのが悲しい。カバーを買ったら、気分が晴れるのか。はたまた他のものを買い直そうか…ちょっと考えてみます。
さようなら、スエード調。