自分の怒りに傷ついていませんか?
どんな刺激にも敏感に反応してしまうHSPですが、その刺激は他者から受けるものばかりではありません。自分自身が抱いた悲しみや喜び、楽しみに突き動かされてより深く悲しむ、喜ぶ、楽しむというのがHSPの特徴です。実に感情が豊かだと捉えていただければありがたいのですが、非HSPの目には大げさに映るかもしれません。
さて、人間の感情には喜びや悲しみ、楽しみの他にもうひとつ切り離せない感情があります。それは「怒り」です。
怒りの感情が湧き起こってくると、鼓動が激しくなって思考が空回りして落ち着いて考えることができなくなります。
人一倍正義感が強く、ルールに極めて従順で、正しいことを行うためにひたむきに努力するHSPにとって、それらに反目する人間は、心の安寧を脅かすばかりではなく、人格を否定する存在だと思い込んでしまうのです。
つまり許せない。
また、勘の鋭いHSPは物事の一を聞けば十、十二ぐらいは察しが付くのが当たり前だと考えているので、他人が物事のどおりを汲まず、何度も同じ失敗を繰り返す、同じ質問をしてくる人間もまた許せません。
ただ飲みこみが悪いのね、
と軽くあしらうことができないのです。HSPの敏感さと同じように鈍感さも直しようがない性質なのですが、物事の処理能力の遅い人間に対していら立ちを強く覚えます。
ただそれだけならば、単に短気な人間ということになりますが、HSPが違うところは
そのことを深く悔やむということです。
激高した自分を恥ずかしく思い、
怒りをぶつけた相手を傷つけたことに傷つく。
HSPにとって感情は適所で正しく表さなければならないものだとでも思っているのか、公衆の面前で激情に駆られた場合など、羞恥心の塊になってそれは深い後悔を生んでしまいます。
理想を言えば、悲しみは粛々と表し、怒っても冷静に理路整然と異論を唱える、といきたいものですが、突然あふれるのが感情というものです。それにHSPはいさかいをできるだけ避けたいと考えているので、感情をむき出しにするときというのはよっぽどのときなのです。それでもHSPは自身の攻撃性が受け入れられない。
HSPにとって、自分がこうあるべきだと考える理想像からかけ離れた自分を他人に見せることは恥で、自分が意図していないところで失敗して笑われることと同じように
不意を突かれて表してしまった
怒りもまた、恥ずべき姿なのです。
それを防ぐには、精神の鍛練でもして常に理性で感情をコントロールできるようになるのがいちばんなのでしょうが、どうもその道は遠そうです。では、高ぶってしまった感情とそれに伴う顛末とどう向き合っていけばよいのでしょうか……。
つづく
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