林業のようなもの、はじめました
過日、「農業はじめます」を投稿しましたが、今回は林業です。
世界に無いものを生み出す。製品開発と言うモノづくりに半生をかけてきて、世界の最先端を歩くのは快感でした。そんなモノづくりの先に来たのが、食べるもの。
なぜって、自分の体は口から入ったもので出来てるからです。自分をデザインするなら、その原料となるものからが自然です。その自然を誰かに委ねるんじゃなくて、自分で作る。体をその原料からデザインする。それって快感。実にシンプルなロジックです。
こちらが前回の投稿です。
ワクワクは自分で仕掛ける。人生は時間を原資にした経験の旅。なんでもやってやろうじゃないか。そこで林業も、です。
なぜ いま 林業?
私が携わっている新しいコミュニティ”まぁるい長屋ぜん”では、戸塚の住宅街のど真ん中にありながら里山が残されている貴重なエリアです。
所有されている大家さんのご厚意で畑を使わせて頂いているのですが、そこに隣接する林、というか小さな森が整備を待っていました。
お正月を挟んで、大家さんが日差しが入る様にと林の一部を伐採してくれて、その切り倒した木々が横倒しになって、ここをどうしようかということになっていました。
畑に通ううちに森が案外大きいことに気付いて中に分け入って入ってみると、倒木が折り重なっていて、せっかくの森がちょっともったいないことになっているのが素人にも分かりました。
そこで、かつて熊野で林業を営み、今は山梨に住んでいる”まぁるい長屋ぜん”のメンバーに声を掛けて来てもらい、現状を見てもらったのが良いきっかけとなって、この森の価値が分かってきました。
やはり現役は退いたとはいえプロの見立ては違います。そこに大家さんのご意向が重なって、色々なアイディアが出てきました。
大家さんと信頼関係をつくるには
昨年の12月から本格化した”まぁるい長屋ぜん”通い。週末ごとに畑に行って、金柑ジャムを作ったりと様々な可能性を感じていました。
その間、出来たものをお裾分けしたりして、足繫く大地主さんの大家さん宅の戸を叩くうちに、大家さんとの関係がだんだんできていきました。
特に奥様と仲良くなっていくうちに、地主さんのお立場と心持ちが分かってきました。地主さんが土地財産を生かし活かしていくことの難しさも知りました。
”まぁるい長屋ぜん”という、関わっている者でも説明がちょっとややこしい、進化を続ける現在進行形の新しいコミュニティの在り方は、外から眺めている大家さんには当初は「理解不能」なシロモノでした。無理もありません。
それで「ワタシたちはこんなカンジです」と、大家さんの疑問にひとつひとつお答えして、いま何をやっているのかを腑落ちするまでお話ししました。そうやって、活動の度に大屋家を訪ね対話を重ねました。
それと周囲を掃除し、道のゴミを拾い、地域コミュニティを作る基礎を作るべく、やっていることを見えるカタチにしようと思いました。大家さんの家の周りを掃除することが、私にとっての毎回の活動の起点となりました。
大家さんからは「なんでそんなことしてくださるの?」と何度も訊かれました。その度に「好きでやっているんです」、そして「恩送りです」と説明しました。
59歳から、それから後は恩送りで生きようと思ってから、恩送りは私にとって大切な考え方です。頂いた恩は次に送る。親の愛、私を育て鍛えてくれた方々への恩、そして育んでくれた日本と言う国、そこに報いていくのが自分の時間の使い方だと決めたのです。
恩送りは利他の心に通じます。
”まぁるい長屋ぜん”は家賃や光熱費などの経費を払って頂いているメンバーさんがいます。その方からの恩を別のカタチで送る、「恩送りの気持ち」でやっています。
居住まいを正す、から始める
国道1号線から畑に続く道にはいつもゴミが落ちています。心無い人が奥の住宅地へ歩いていくうちに捨てていくのです。毎回ゴミ拾いをやっているのですが、その度にゴミ袋がいっぱいになります。
家の中はもちろんのこと、外も掃除してキレイにして整える、これが「長屋住まい」の基本だと思います。増してや地域型コミュニティとしてやっていこうという気持ちを持ってい”まぁるい長屋ぜん”ですから、ご近所さんを大切にしないわけにはいきません。
自分の家だけがキレイであって良いはずは無く、地域が、街がきれいになっていった方が気持ちいい。それは住む人誰もが同じだと思います。地域型コミュニティを目指すのなら「自分たちがヤリタイ」ということだけをやっていても理解は得られないと思いました。ヤリタイだけでは単なるワガママ集団です。
そこで始めたのがゴミ拾いです。
起点となるマンションの前から、大家さんが貸している大型レストランの駐車場、畑と奥の住宅街に繋がる道路、そして神社の境内、そういったところをゴミ袋片手に毎回毎回作業の前に歩きます。最後はその地域を護っている神社にお参りしてから作業に入ります。守られている感でいっぱいになります。
そうしてゴミを拾い続けていると、住んでらっしゃる地域の方も見るでしょう。続けることで、ゴミを拾っている人が居ることに気付き、道路や人の敷地にゴミを捨てることがどういう事か気付いてくれるといいな、と思っています。
ヤリタイだけでは伝わらない
ヤリタイというのは利己の心。それは己が幸せになりたいということです。私は利他の心を基本にしたいと思っていますから、みんなが幸せになって自分があるという捉え方です。
農作業をヤリタイのなら、周囲が認めてもらえる環境作りから始めるのが良いと考えます。新参者がやることですから、周囲の理解が必要だと思います。
ゴミ拾いを誰かに押し付ける気は毛頭ありません。その考えは父からもらったものです。観光バス会社の社長だった父は、誰よりも早く会社へ行って、会社の周囲を掃除しながら出社してくる社員に挨拶することで、返ってくる応対から一人一人の健康や心うちを掴んでいました。
組織は逆三角形だよ。そう言っていた父のその意味は、経営者は働く人が気持ちよく働ける場づくりをする人であるという考え方だと私は理解していました。
社長がヤリタイだけでは務まらないし会社は動かない。命令するだけでは人は動かない、だから動きたくなるように環境を整える、そういう最初のステップが掃除だったように思います。
住宅街の里山
国道1号線に面したマンションの一室が”まぁるい長屋ぜん”ですが、その裏が畑と森です。畑は冒頭の「食農チーム」として使わせて頂いていますが、周囲には林と森があります。
1月に大家さんが畑への日当たりが良くなるようにと、林の一部を伐採して下さいました。切り株が残って、伐採された木々が残りました。切られた後に広がるスペースは人が集まれる場所になりそうです。
そこで”まぁるい長屋ぜん”の中で前述の林業に携わっていメンバー、愚唱さんに山梨から来てもらって、一緒に片づけを始めました。
私は東日本大震災で被災地ボランティアで岩手県、宮城県、福島県に通って様々な機材の扱いに慣れてきましたが、チェーンソーだけには触れないようにしていました。素人作業ゆえの悲惨な事故を目の当たりにしてきたからです。
きちんと使い方を学んで、防具を用意してからと思っていました。準備を整えて、扱いを教えてもらって暫し作業に没頭しました。森の命を斬っていく感じがして、高揚感がやってきました。
木を切ったら薪割りです。キチンと教えてもらえば割合すんなりスパンと割れます。斧の重さを使ってやるので女性でも大丈夫だそうです。
森のてっぺんに山桜が待っていた
大家さんから桜の木があると聞いて、山に分け入ってみました。藪に囲まれた奥の奥に、その木はありました。山桜としては大木です。
周囲を刈り込んで、やっと全貌が見えてきました。これは大きい。周囲にも木々が立っていますが倒木も多く、手入れが必要です。林業経験者と一緒にこの森を地域コミュニティに使えるといいなあと思っています。
大家さんをお連れしたら、拓かれた場所が現れたことに喜んでいただけました。3月の最終週にはここで花見をすることで話がまとまりました。放置されていたものに息が吹き込まれ、人が集まれるようになると手入れも進みます。
これからここでどんなことをしようかと、大家さんと愚唱さんの3人で話し合っています。春近し。この木に花が咲き、花弁が散っていくのを想像しながら、林業のようなもの、が始まりました。
ではでは
三川屋幾朗@mikawaya1960
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