【雑記】ふうなちゃんのトレーナー(オランダ移住にかかった10年のこと)
祝!オランダ移住1ヶ月。ということで振り返り記事を書いた。9000字超えのずいぶん長い記事になった。
ふと、自分が今オランダにいることが不思議だなぁと感じる瞬間がある。海外で働き仕事をしてみたい、子どもたちに海外の教育を経験させてみたい、という思いはもちろんずっと持っていたのだが、今その願いが叶っていることが不思議というか、なんというか。昨年の今頃はまだ、オランダに行くって決めていなかったし、何の目処も立っていなかったのだ。安比のHarrow Internationalという年間800万〜1000万円ぐらいかかるボーディングスクールを見に行って、「とても素敵な学校だけど2人入れたら年間2000万か・・・」と絶望していた頃だ。
たった1年で、私の住む場所はオランダに変わってしまった!でも、突然叶ったわけじゃない。ずっとずっと、「いつか必ず子どもたちに海外生活・海外の教育を体験させる。自分ももっと世界を股にかけて仕事をする人になるんだ!」と思って少しずつ準備してきた。どんなにお金がない時期でも、仕事と子育てでてんてこ舞いで余裕がないときでも、その実現を妨げないように選択をしてきた。周りの経営者の人たちに「しっかりした事務所を持ったほうがいい」と言われ続けても、事務所を持つことは避けた。家族が「犬を飼いたい」「うさぎを飼いたい」と言ってきても、これから引っ越す可能性が高いから飼えないと伝えてきた。実店舗が必要な新規事業のお声がけもいくつかいただいたが、最終的にはすべてお断りした。それもこれも常に頭の片隅に「そのうち海外行くしな。」というのがあったからこその判断だった。
実は、海外移住を考え始めてから今回実現するまでに、10年以上かかっている。才能がある人なら、器用な人なら、優秀な人なら、もしくはもっと努力ができる人だったなら、もしくは状況・環境が整っている人だったら、きっと10年もかかっていない。ずいぶん時間がかかってしまったけれど、私にとってベストなタイミングは今でしかなかった、と思う。もっと早かったら準備ができていなかった。今も準備万端かと聞かれれば全然そんなことないが。今なら、大抵のことなら何とか対処して生きていこうと思える気合だけはある。
10年の間には、本当にいろいろなことがあった。ちょうど10年ほど前、社員として働いていた東京都内での仕事を辞めて英語講師として起業しようかどうしようか、と思っていた頃の忘れられない思いがあって、先日オンライン秘書を養成するリモットさんアカデミー登壇中に受講生と話していてふと思い出した。
ふうなちゃんのトレーナー
大学卒業後から働いていた企業を、第一子の長女を出産後に両立できなくなって逃げるように辞めた頃、タナカ家は経済的に全然余裕がなかった。夫の収入は働いていた頃の私の何分の一かで、練馬区の待機児童問題に悩まされながらも何とか私も働かなければならないと個人事業を模索していた時期だった。
長女が1歳、2歳という時期で、最初は知人の経営者のご家庭からブランド物(Carters/ Gymboree/ Ralph Laurenなど)の洋服をたくさんお下がりでもらう機会があって着せていたのだが、だんだんサイズアウトしていき、着るものが無くなっていった。
長女にかわいい洋服を着せたい。でも新品の洋服を買うお金がなかった。近所にあった子供服のリサイクルショップに通ったりもしたが、一度だけヤフオクでノーブランドの洋服の「まとめ売り」を買ったことがある。今ならメルカリだろうが、当時はヤフオク。自分の住所を相手に知らせなくてはいけなかったし、相手の住所や本名も知れてしまう時代だった。
もういくらだったか正確な金額は忘れてしまったのだが、確か1500円ぐらいで、20着ぐらいのお下がりが段ボールに入って届いたと思う。とてもきれいに、丁寧に使われた洋服たちだった。ほつれなどもなく、しっかり洗濯がされて柔軟剤の匂いがしていた。「すごい!こんなにたくさんの洋服が安く手に入った!」と思った。
20着の中には、長女に似合いそうなものもあればそうでもないものもあった。1着ずつ吟味して買ったわけではなくまとめ売りなのだから当然だ。段ボールから服を出して広げて見ていると、長女が寄ってきたので、1つ着せてみることにした。長女が「これがいい!」と指さした、大きなリボンがついたトレーナーを着せるときに、ふとトレーナーの内側についたタグを見ると、「ふうな」と名前が書いてあった。たぶん、保育園に持っていくときに着替えに記名しなければならなくて、マジックで書いたんだと思う。その名前を見たときに、なんだかゾワゾワとした不快な気持ちが湧き上がってきた。長女が気に入って着ようとしている、長女のものなのに。なんで他の子の名前が書いてあるんだろう。しかもそのトレーナーを使うために、ふうなちゃんの名前の上からマジックペンで二重線を引いて真っ黒くして、その隣に小さく長女の名前を書いて保育園に持っていかなきゃいけないのだ。なんだかふうなちゃんに申し訳ない気持ちにもなるし、それがすごく嫌で、自分が情けなくて、あとにも先にもそれ以外で子供服をヤフオクやメルカリなどで買ったことはない。
ヤフオクやメルカリを批判しているわけではないし、ましてや、ふうなちゃんや親御さんを批判しているわけでもない。ただ、私は個人的にすごく嫌だったんだ。自分の子どもにもっとかわいい服をたくさん着せたいのに。新しい服をちゃんと買ってあげたいのに。なんで私は今、それができないんだろう。絶対にもう、こんな思いはしたくない。経済状況を好転させる、絶対に。そんな思いが私の起業初期のエネルギーになっていたことは間違いない。
あれから10年、長女はタナカ家のファッションリーダーで、いつもおしゃれを気にしている。仕事のために仕方なく服を着ている私とは違い、洋服やメイクや美容が大好きな子に育った。つい先日、両耳にピアスも開けた。(オランダの学校はピアスOK)長女の洋服やメイクグッズを買うことは私にとって、特別な喜びだ。たぶんふうなちゃんのトレーナーを、心の奥底で忘れていないからだ。そう考えると、あの時期があってよかったし、見知らぬ「ふうなちゃん」に感謝したいと思うし、今この瞬間にも一層の感謝が湧いてくる。
激安子ども服からオランダ移住までの10年
私の場合は、「起業」で道が拓けた
実はふうなちゃんのトレーナーを購入した頃からほんの数ヶ月で、私の人生は好転することになった。欲しいという人に商品を販売する小さな商売の形が私には向いていて、思ったよりも早く、英語講師として生計が立てられるようになった。そこから紆余曲折、ざっと図にするとこんな感じで私の起業人生は進んできた。
起業してからもつらいことはたくさんあった。会社員として生活していたら経験しなくて済んだだろうことに悩んだこともある。でも、概ねのぼり調子でここまでの10年間を過ごしてきた。
10年を振り返って、一番大変だった時期はいつかなぁと考えてみると、やはりふうなちゃんのトレーナーの時期、つまり起業するかしないか〜起業直後頃だ。マイナスをの状況をまずはゼロまで持ってくる、という部分が一番負荷がかかる。一度マイナスな状況に陥ってしまったときに、そこを抜け出すのは正直結構大変だ。個人個人の力がないとか努力不足だとか、そういうことではない。ただ、そんな世の中なのだ。「努力すれば、行動量をこなせば、上手くいく」なんてウソだと私は思っている。努力せよ!行動せよ!それは正しいけれど、願いが叶うと信じられるようになる方が先だ。安心した個でなければ、願えない。
過去の不快な体験がキャッチーなエピソードに変わる
「ふうなちゃんのトレーナー」は私にとっては不快な体験だった。それは間違いないのだが、つい最近まですっかり忘れていた。私は大変なことがあると、一旦はちゃんと不快さを感じきるのだが、その後は「乗り越えた先の未来にどのようにその出来事について語るか」を妄想する。きっと上手くいくから、その過程のエピソードとして面白いな、と考えるようにしている。シンデレラの物語は、最初継母と姉にいじめられていたから面白いのだ。順風満帆なだけの物語に、人は惹かれない。
「きっと上手くいく」だから「気付いたら叶っていた」
「きっと上手くいく」と信じられるかどうかは、人や環境との出会いや、学び・トレーニングによって決まってくる。大きな話になるが、「自分はきっと上手くいく」と信じられる人を増やしていきたいというのが私の思いとしてある。現に、リモットさんアカデミーや個別コンサルティングを通して、劇的に変わっていく人たちを見ているから。こんな私にも、できることがあると思っている。
私の目標達成は「気付いたら叶っていた」パターンがとても多い。「きっと上手くいく」の土壌の上に、「気付いたら叶っていた」が現れる。気付いたら社長になっていた。気付いたら海外との取引ができるようになっていた。そして、気付いたらオランダにいた。関わった人たちから、「気付いたら叶っていた」という声を聞くことが増えてきてとても嬉しく思っていて、もっとこれをみんなに提供したいと思っている。まずはオンライン秘書を育てる「リモットさんアカデミー」を通して提供していきたいし、そうではない「1人起業のコンサル」みたいなことで提供できるかもしれない。コーチングのような提供方法もあるかもしれない。正直にお伝えすると、模索中だ。何か私にできそうな形があれば、もしくは、こんなことをやってほしい!という要望があればぜひ教えていただきたいです!
まとまりがないですが・・・提供方法を検討中、というお話でした!
終わり。