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発達障害の診断を受けた親&支援職として、私が伝えたいこと

こんにちみ🍊みかんです!


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私は発達特性や周囲の方々の気持ちを知ることで、お互いの違いに対する理解が深まり、心が軽くなりました!是非、最後まで視聴いただけると嬉しいです。

診断を受けたときの気持ち

はい、ということで、今回は長男・次男がASD(自閉スペクトラム症)と診断された直後の親の素直な気持ち、そしてその診断を受けて親として支援職として伝えたいことをお話ししていきたいと思います。

まずは発達障害(神経発達症)について簡単にご説明します。

発達障害とは、脳の発達の違いによって、考え方や行動、認知面が多数派の人とは異なっていることを意味します。発達障害とされる診断名には、いくつかあり、一般的に診断されるものとしては、

➀ASD(自閉スペクトラム症)
②ADHD(注意欠如多動症)
③SLD(限局性学習症)
が有名ですが、他にも、知的障害、発達性協調運動障害、言語発達障害、感覚処理障害、チック症・トゥレット症などがあります。

これから話していく内容は、あくまでも私みかん🍊が当時感じた、想った記憶と、支援職としての現在の考え、価値観になります。

これが正しい!というわけではなく、そのような感じ方、考え方があるんだなと知る機会となればと思い、お話しさせていただきます。よろしくお願いいたします。

次男の場合

最初に診断されたのは、次男が3歳のときでした。診断をしてもらう機会は私自身で作りました。なぜ医師に確認したかったのか。それは、目に見えない不安がたくさんあったからです。

当時の次男は、言葉も2語文が話せずコミュニケーションも一方通行で言葉のキャッチボールはできませんでした。トイレもおむつ、食事は手づかみで偏食、一瞬で迷子になる、手を繋げず振り払って走っていく、見通しを立てても自分の意図を優先するので切り替えできず癇癪になる、療育施設での集団行動もままならず自由に過ごす、視線が合わない…同世代の友人の子どもと比べたら明らかに違っていて、大変だなーと思うことが明らかに多かったんです。

だから「これはなんなんだろう?どうしてこんなにしんどい?不思議な行動の理由を知りたい」と私は思ったんですね。

そして、自閉スペクトラム症(ASD)だねと医師から伝えられた時の気持ちは、安堵と、納得と、「発達障害」であるという未知への不安と怖れと悲しみでした。

一人になったときにポロポロと涙がこぼれ、療育機関の先生に泣きながら話を聞いてもらった記憶があります。このときの話をすると、こみ上げるものがありますね。

ただ漠然と、「私の子どもは障害児なんだ」というレッテルを貼られた気持ちになり、自分を責めました。発達障害は親のせいじゃないと言われ、様々な情報を得ながら、関係機関に相談しながら、本人の成長を見ながら少しずつ受け入れてきて今に至ります。

次男の診断を受けて良かったこと

次男に関して、診断を受けて良かったなと思う点は3つあります。

➀つ目は、自治体や民間の相談機関に相談しやすくなること。
②つ目は、相談しやすくなると本人に合った声かけや環境を整えていけること。
③つ目は、私自身が一人で抱えない状況を作ることで不安や焦りからイライラが減ったこと

です。

知らない故に過度な期待や不安を抱えて、その都度悲しい気持ちやイライラに振り回されるシーンはグッと減りました。

それは、子どもだけでなく私の環境調整に繋がっていると考えます。

長男の場合

次に、長男の診断についてお話しします。長男は、今年(2024年)に入ってから診断されました。長男は通常級に通いながら、小学1年生のときから放課後等デイサービスに通っています。

幼い時から人の輪に入っていくのを嫌い、モノや動物、昆虫への興味が強く、友人への興味が低い、私に対して発する言葉の共感性の乏しさなどがずっと気になっていました。

小学校に通いだしてから、聴覚過敏がひどくなり、集団生活や一斉授業への難しい様子を見ていたら感じ、次男が入学し落ち着いてきたのをきっかけに長男の発達検査を受けた経緯があります。

検査結果は、自閉スペクトラム症(ASD)でした。そうだよね、と納得する部分と、そうなんだ、とショックな気持ちがあったんです。矛盾しているように思うでしょ。親心は複雑なんですよ。

私が長年子育ての中で、他のお子さんとの様子を比べながら感じていた違和感は、やはりこれだったのか…という納得感。

そして、自閉スペクトラム症は発達障害とされるひとつの診断名であると知っているからこその、「うちの子が障害児である」と言われたショック。

私は、自分の子ども達を「障害」だと思ったことがなかったので、改めて突き付けられたこのときはすごく悲しい気持ちになって、一人になったときに泣きました。

この「障害」という言葉や診断されることでホッとした、自分自身の大切な言葉であると感じてらっしゃる方々がいらっしゃるのも承知しています。いろんな考え方、捉え方、感じ方、価値観があるわけですから、どれが正しいという話ではないです。

ただ、私の場合はショックでした。『凹凸ラボ』の活動をしていて、このような発信を続けてきていたのにも関わらず、私が感じたのは違和感と悲しい気持ちだったんです。

障害とは

「障害」に対する捉え方や考え方は様々あります。私は、学生のときから「障害者」と呼ばれる方々と接する機会が多かったのですが、そのときからずっと抱えてきた違和感は、「障害」という言葉でした。

この「障害」への捉え方や対応の在り方については、次の2つのモデルがあります。ひとつは、「医学モデル(個人モデル)」、もうひとつは「社会モデル」です。

医学モデルとは

医学モデルとは、障害は「個人の心身機能が原因である」という考え方で、医療による治療が中心となります。

社会モデルとは

社会モデルは、障害は「社会や環境に起因するもの」であり、社会の環境を変えることで障害をなくすことが可能という考え方です。

私はこの「障害者」という言葉が、医学モデルの個人が原因であるというニュアンスがとても強いという部分で、違和感をずっと覚えてきたのだと思っています。

私が考える違和感とは

「障害」もしくは「障害者」という言葉は、行政用語であり、医師からの診断があることで地域の社会資源(相談機関や、病院、教育機関、療育機関など)に繋がりやすくなる。そして行政からの支援やサポートを受けられるようになるという事実は、重々理解しております。

しかし障害という言葉があるゆえに、「うちの子は違う」「相談に行くことで障害児と認定されたらどうしよう」「障害という言葉に毎回悲しい気持ちになる」という保護者の方も多くいます。「障害」という言葉ゆえに、必要な支援から遠ざかっている方々も多くいると肌で感じています。

一方で「障害」という言葉に救われてきたし、特に何も思わないし、この議論自体が本質的ではないと感じてらっしゃる方々もいます。

様々な捉え方、感じ方があるからこそ難しい部分ではありますが、この言葉が気になって支援や社会資源に繋がれず、本人も家族も辛い思いを抱えてらっしゃる現状があるというのは、大きな課題であると考えます。

私の「障害」へのイメージ

私自身が現在しっくり来ている考え方は、「障害=困り感」です。

困り感には2つあって、

➀目に見える心身機能や、目に見えない疾患や脳機能への困り感
②社会生活を送る上で環境が伴っていない困り感

です。ここでいう環境とは、物理的なハード面と、周りの人の理解部分のソフト面を意味します。

この2つの困り感へのアプローチが必要なのですが、そう考えるとやはり、「障害者」という言葉に違和感を覚えるんですよね。

だからといって、他にどんな言葉を当てはめたらいいのかを考え続けていますが、まだこれ!という適切な言葉に出会っていません。もし「これいいんちゃう?」というご提案があればコメントなどで教えて頂けると嬉しいです。

はい、今回は発達障害の診断を受けた親の本音、そして支援職として私が伝えたいことと共にお話しさせていただきました。最後の障害に対する捉え方は、支援職として大切な視点であると思っています。

「障害」と診断されていなくても、何かしらの「困り感」を抱えて生きている方は多くいます。

何に困っているのか、どこに相談したらいいのか、困りごとにどう向き合い行動していったらいいのか…が分かりずらいんですよね。この困り感を具体的に見える化して、本人やご家族、そして関係者へと共有して取り組んでいくことが大切になります。

同じ内容をテキストで読みたい方向けにnoteもやっています。サッと時短で確認できる形になっております。概要欄にリンクを貼っておりますのでそちらもご活用ください。

このような困り感へのご相談、イライラ・モヤモヤへの対処方法、子育てや発達特性上の悩み、職場の合理的配慮に関しても対応できますので、お困りの方は凹凸ラボをご利用ください。

それでは、次回の配信でお会いしましょう。今日もあなたの風がふきますように。ボチボチやっていきましょうね。みかんでした、またね!


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