日本語にしにくい英語 - 翻訳のよもや話
資料を日英で作ったり、日⇄英の翻訳、通訳を日常的に仕事とする中で、これは日本語にしにくいなと毎回立ち止まって考える英単語がいくつかあるので記録しておきたい。
そもそも「翻訳」という作業自体に限界があるということは、大学生の時分にソシュールの意味論や記号論を読んで大衝撃を受けて以来、私の中に深く根付いている。今でも通訳や翻訳の仕事をさせていただく際に一番大切だと思っていることが、話者・発信者の伝えんとしていることの温度感を、文化背景や情緒、知識レベル、バックグラウンドの違う聞き手・受取手にいかにそのままお渡しするか、という作業なのは、きっとこの大学生の時の衝撃が原体験となっていると思う。(正確に通訳・翻訳するということは言わずもがな。)ソシュールの本は、これまで国境をまたぐ引っ越し含め10回以上の引っ越しの際にずっと一緒に移動していて、もちろん今の我が家の控えめな蔵書にもいる。言葉の恣意性・・・。
ファッションやアート関係のプロジェクトに関わらせていただくことが多いので、ブランドコンセプトや、シーズンごとのコレクションのコンセプトなど、かなり抽象的でコンセプチュアルな文章を訳すことも多く、日本語で読んでもいまいちわからん、な言葉たちを英語にする作業に頭をかかえることも多々あるのだけれど、大切なのはその言葉尻では決してない。
誰に向けて発信するものなのか、どのエリア、どの国、バイヤーなのか、一般の人たちなのか、SNS上なのか、印刷物で特定のゲストにお配りするものなのか、ってなんの話。それがわかれば、あとは作った人たちにヒアリングして、それを受取手が一番すんなりと受け取りやすい言葉でお伝えするだけ、というお話。
今晩パリチームと話をしていて、話の流れでアートの本質ってなんやねん、という話になり、色々上がった中で Art is empowering.が上がり、日本のクライアントの資料に盛り込む中でまた止まったのですよ。
Empowerとかinspireとか非常にパワフルな言葉である一方で、日本語にするとどうしても「力を与える」とか「活力を与える」とか「インスピレーションを与える」とかちょっと気の抜けた炭酸水のような訳になってしまって、いつも、そうじゃない、と思いながら、前後のコンテクストで精一杯の意訳をしたり、がっくりと肩を落として「力を与える」とやったりしてますが。本質を捉えていない気がして、ここら辺の言葉はencouterするたびに毎回立ち止まる。(この前何かの映画を字幕で見ていて、作家が"It inspires me."と言ったのを「霊感を与える」としていてひっくり返った。職業病。蛇足。)
commitとかも毎回止まりまする。カタカナを多様するのは翻訳者のはしくれとしてやってはいかんことと思っている。効果的に使う場合はある。
超絶取り止めがない。
字幕や訳本で、ずっこけたり、なるほど、ここをこう訳すんか、と思うことがあったりする反面、素晴らしい訳に出会うとその読書体験や鑑賞体験そのものがリフトアップされることもあり、最近訳が素晴らしいなと思った二冊を紹介しておしまいにする。
サンドイッチの場面がもう最高。
人が人生が変わるような食べ物を食べた時の描写を読んだり聞いたりするのがすごく好きらしく、宝物のように集めている。
名著やと。