全ての決めつけにNOと叫びたい
長らく会っていなかった友人に会う前日、私は決まって憂鬱になる。
「最近どう?」
「今どこに住んでるんだっけ?」
「仕事何してるの?」
その全ての質問に私は即答できない。いや、しようと思えばできるのだけど、その勇気と自信がない。なんとなく曖昧な答えをして、それで相手が察してくれればそれで終わりにするし、もっと質問してきたら全て説明してしまおう、そんな思いでいつもいる。
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思えば昔から、自分のことを聞かれるのは苦手だった。学生時代、仲が良かった友人たちは夫婦関係が良い家庭ばかりで、兄弟も1名以上いて、決まって仲が良く、自分とは状況が真逆だった。「自分のお父さんみたいな人と結婚したい」という誰かの言葉に「わかる〜」とみんなが共感しあっており、私は聞いているんだか聞いていないんだかわからないような顔をしながらその場にいることで精一杯だった。今となれば、私がもっと交友関係を広げれば自分と似た境遇の人もいたかもしれないとも思うけれど、お互いわざわざ自分の事情を打ち明けることもないかとも思う。友人たちが家族の話題で盛り上がっている中、いつも私は話を振られるのを恐れていた。
「mikaはどうなの?」
「そういえば、mikaのお父さんってあんまり見ないよね」
会話に入っていない自分への優しさなのはわかっているつもりだ。が、聞かないでくれと願っている自分もいる。まぁそうだねと答えになっていない返事をして苦笑いして、その場の空気を微妙な感じにするまでがセットだ。そんな自分が悲しくて悔しくて、そして可哀想だと思っていた気がする。どの家庭も父親と母親が揃っていて仲が良いと決めつけるなよ、「結局親子なんだから」とか言われても、全ての子どもが親を好きなわけじゃないし、全ての親が自分の子どもをかわいいと思っているわけじゃないからな、と思ってうんざりしていた。
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20代前半、児童養護施設の子どもたちと関わる機会があった。初期のころ、ある一人の子に帰りがけ、「先生、今日このあとは何するの?」と聞かれた私は反射的に「うちに帰ったら、」と話し出し、間違えたと思った。帰る家がある前提で話し出したことは良くなかった。何をするかだけ話せば良かった。考えすぎかもしれないけれど、その発言は考えがなさすぎた。自分の中にも思い込みはある。決めつけられることをこんなにも嫌がっていた自分の嫌な部分が浮き出てきた感じがして、自分に嫌気がさすとはこのことかという気持ちになった。
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2年ほど前、ダイバーシティーやインクルーシブについて学び合うプログラムに半年間参加していた。ジェンダーや障害、多文化など、学びになることが多くあった中で、一番印象に残っている気づきがある。それは、アンコンシャス・バイアス、つまり無意識の偏見がテーマの際に、『人は自分が持つアンコンシャス・バイアスに気づいてしまったとき、強いショックを受けるのではないだろうか』と感じたことだ。もちろん、なんとも思わない人もいるかもしれないが、少なくとも私は大きな罪悪感、自責の念に駆られた。でもそれってある種仕方のないことでもあると思っている。自分とは違う生き方の存在を知らなければ自分の人生が当たり前のものだと思ってしまうのは自然なことで、知った上でどう行動するかはその人次第だけれど、知らない状態で想像しろというのは人によっては無理がある気もする。
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決めつけ、偏見、差別。そういうものがすごく嫌いで、なくなったら良いと思っている。そういうものによって、なぜか自分を責めてしまう人がいなくなったら良いと思う。
自分を責めてしまう人に対しては、それはあなたのせいじゃない、自分を責める必要はないと、本人が思ってくれるまで寄り添いたいし、あなたに生まれた負の感情を、自分を責める材料に使ってほしくないと思う。だから私は自分自身に感じている嫌な思いがあることとか、でもそんな自分を今どうにか肯定しようとしているから見ていてほしいとか、そう願って発信を続けたいと思っている。
そして、自分含め無意識の決めつけを持ってしまっている人に対して何ができるか、ずっと考えている。その人たちはたぶん困っていない。そこに別の生き方があることに気づいていないし、それによって嫌な思いをしていないから、視野を広げてみようという気にもならない。でも、、、、、でもいろんな生き方ってあるんだよ。それをちょっとずつ知ってほしい。きっと必要のない人には届かない。でも人それぞれ届くタイミングがあると信じたい。「過去と他人は変えられない」と中学時代に気づいた私は、他人を変えることを諦めるのが早すぎた。無理やり変えようとは思わない。でもこの世界に自分の願いを投げて、それが数年後でも、数十年後でも、偶然誰かが見つけて、その人の考えが変わったら?
人だって世界だって変えられるよ、と大袈裟かもしれないけれど信じたいと願っている。だって自分はこうやって変わっている。もっと勇気と自信を持って、この願いを大きく叫びたい。