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発達障害児3人の子育てをしながら働き続けるためのコツ

我が家の息子たちはそれぞれ違った特性を持っていて、それぞれ違ったサポートを受けながら生活しています。

長男はIQ高めのASDで、社会不安が強く、不登校中です。

次男はASDとADHDでIQは普通、意図が読めないための困り感が今は強いです。

三男は知的な遅れとASDで、言葉でのやりとりが難しい状況です。


ママは子どものマネジメントやサポートをしながら家事をやるので精一杯。

こんなとき、ママの仕事に関してはどんなふうに考えてどんなふうに選択するでしょう?


いろんな考えがあると思うし、いろんな選択があると思います。

私は産休育休を取ってずっと仕事を続けてきましたし、今後も続ける選択をしました。


大変です。

でも多分どの選択でも大変だと思います。

この記事では、仕事を続ける選択をした私が経験してきたこと、考えてきたこと、今の私をお伝えします。

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我が家の生活背景

私が仕事をやめる選択は、いろいろ頑張ってもどうにもならなかった最後の手段にしようと思っていました。

その理由をまず初めにお話ししますね。


私は出産前にマイホームを購入したのですが、そのときはずっとフルタイムで子育てしながら共働きをする覚悟でした。

マイホーム購入時にマネーライフプランを立ててもらったのですが、子どもは2人の予定で、仕事を辞めたらマイナスになってしまうという結果でした。

つまりマイホーム購入でのローンや教育費、生活費と収入のバランスは私が最低でもパートで収入を得ていないと崩れてしまい、生活できないっていうことです。


でも「仕事好きだし、辞めるつもりはないし、大丈夫!」と思っていました。

そして私が高度障害や死亡などの避けがたい状況になった時のことを考えて、そうなっても家が回せるくらいの保険をつけました。

夫がそうなった場合も考えました。

そうならない限りは仕事は続けるし続けられる、と簡単に考えていたんです。


子育てってこんなにも予測がつかなくて、振れ幅の大きいものだって思ったなかったです。

しかも子ども3人、と予定よりも増えているし。

でもその中でなんとかやっていく方法って探せばあるものですね。

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働き続けるコツ

働き続けるコツはズバリ、優先順位の整理とバランスじゃないでしょうか?


ひとことで表したらなんだか簡単そうだけど、今でもまだまだ試行錯誤しています。

限られた時間の中で、何にどれくらい時間をかけるのか、最優先にしたいことは何か。

子どもの成長とともに変化していく部分にはどう対応していくか←予測不能なことが多いから、結局は余裕を持っていることが大事な気がしています。


私の気持ちは仕事をガッツリしたいと思っていました。

そして、母親としてはちゃんと子育てをしたいし最優先にすべきだと考えていたんです。

でもあれもこれも並行してこなせるだけのキャパがなくて。

なので、なかなかバランスが取れませんでした。


私の場合、仕事が中途半端なのも、家事や育児が中途半端なのも許せなくて、どの場面でも不全感が残るという状況が続きました。

どれもちゃんとやりたい、なのにできない、仕事を辞めればいいのかも。

何度もそう思いました。

でも辞めたら子どもは保育園から出なきゃいけない。

待機児童が多い地域なので、一度出たらしばらく働くことはできない。


また子どもが熱を出して、夫婦のどちらが休むかの相談をしている時にも同じような想いにかられました。

子どもが体調悪いときに何も考えずにそばにいてやれない親ってなんだろう。

子どもにも職場にも罪悪感を感じて、心が苦しい状況で子どもの看病をしていたら、子どもにはイヤな感覚が伝わらないかな。


仕事だって子育てだって悪にしたくない、自分のことも悪にしたくない、誰も悪くないのに、こんなに苦しむなら仕事なんて辞めたらいい。


で、一度は辞めました。

求職中なら3ヶ月は保育園に通わせていられるから、3ヶ月考えて答えを出そうと思いました。


結果、3ヶ月経たないうちに就職しちゃいました。

私だけ家にいる罪悪感に耐えられなくなっちゃったんです。


びっくりでしょ?


実は長男は保育園に行きたくない子だったから、私が家にいるのになんで連れて行っているんだろうっていう罪悪感が強かったんですね。

それとどの選択でもどれも解決するという選択はなかったので、苦しいなら働く方がいいと思いました。

で、動き出したら止まらなかったです。


その後も何度か辞めようと思うキッカケは何度もありました。

でも結局続けています。


子育てに行き詰まったとき仕事に行くと気分が変わるから、

家以外の居場所は大事だから、

どこかで社会とつながっていることに大きな意味があるように感じているから、

人とのつながりを感じられるから、

新しい視点をもらえるから、

お金があることによる心の余裕も大切だから、

母ではなくて私らしくいられる瞬間があるから、

母親としての成長が仕事に生かせてそれを実感できるから、

社会での大切なことを実感を持って子どもたちに伝えられるから、

自分の成長の場だから、

家事がやれなかった理由になるから、

どうしても出るのがつらい子ども関係のイベントに欠席もしくは夫に行ってもらう理由になるから、

仕事理由なら夫に子どもを頼めるから、


メリットが多いんですよね。

辞めたいと思うのは一時的(何かあったとき)で、普段はメリットに包まれているんです。


あとは頻度や時間ですね。

自分の状況でアップアップしなくて済む負荷と必要最低限の生活費とのバランス。


そんなふうにね、私の場合はやってみてバランスを取っていくしかなかったんですよね。

自分の気持ちのバランスを取るのが本当に難しかったですし、子どもの成長や学年が上がると必要なサポートも親としてやることも変わってくるので読めなかったというのもあります。

実際に長男が不登校になったときもかなり悩みました。


子育てって常に変化していくんですよね。

だからバランスをとるって難しい。

それと多分、私、子どもたちに合わせようとしすぎてたんだと思います。

だから余計に難しかったんじゃないかな。

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ASDタイプの子どもと子育て

私は結婚したら子どもを産んで、子育てをして、自分が歳をとった時のことも考えて、老後の生活を心地よく送りたいと漠然と思っていました。

自分の築く家庭は母がやってきたように、家族の結びつきが強くてお互いに助け合える関係にしていきたいと思っていました。


ところが産まれてきた子どもとは、なんだか感覚が違いました。

3人の息子たちはASD(自閉スペクトラム症)と診断されています。

本田秀夫先生の著書に書かれていたことを私なりに解釈すると

「ASDは何かを選択するときに、人との関わりや人とうまくやっていくことの優先順位が他の人に比べると低め」

ということ。

人との関わりをしたくないわけではないし、うまくやっていきたいと思っていないわけではないけれど、何かを選択するときに、それが優先されないということ(人より物やことが優先されやすい)。

例えば、目の前に問題があって、それを解決するようなことをすると人間関係気まずいよね…みたいなことがあったとき、

多くの人は気まずいのは嫌だから問題に関しては様子見しよう、と選択する場面で、真っ向から問題解決に立ち向かっていってしまい、なんとなく白い目で見られてしまう感じ。


うーん、いい例じゃないかも…。


我が家の子どもたちを見ているとね、自分軸はしっかりと持っているんです。

「自分がしたいこと」「好きなことと嫌なこと」がハッキリしている。

いいことなんだけれど、一般的とは離れたところにあるから理解されないことが多いし、場面に応じて人に合わせるというところがないから社会適応はなかなか難しい。


例えば、長男は目立つとか注目されるのが嫌で。

でも先生や親ってなんかすごいことで注目浴びて、みんなからすごいねって言われたりして輪の中心にいたら、集団の中に入りやすいかもってつい思いがちじゃないですか?←あ、それも一般的ではないのかな…

悪い注目は誰だって嫌だろうけど、いい注目だったら嬉しいんじゃないかなって。

現に私はそういうタイプ(おだてられるとどんどん頑張れちゃうタイプ)だったので、長男の気持ちをわかってあげられてなかったです。

感覚の過敏さが「人」に強くあった長男・・・このへんはHSCとも取れる感じですね。


次男には味覚や嗅覚の過敏さがあるし、表情などの刺激から受ける影響が大きいです。

それから、ちょっと変わったエピソードとしては、手提げを持っていくことを嫌い、全てをランドセルに詰め込んで行こうとし、入らないものは置いていったり、置いてきちゃったりします。

最近ではそこから少し進んで、入らなくても持っていかないといけないときもある…というのは学んだようでしたが、な、なんと手提げの代わりに大きな発泡スチロールの箱に入れて学校に行きました!!

それなのに、注目されるのを嫌がり、学校に行きたくなくなったりする子です。

きっと、いい反応が返ってくることを想像して行動するのだけれど、周りの反応が思っていたのとは違っていたりするからなんですよね…。



一般社会における立ち振る舞いとはかけ離れてしまうことの多い彼らは、学校という環境にとても居づらさを感じていて、

そのときに

「うまく周りに合わせてなんとかやり過ごそう」

よりも

「自分らしくいられないなんて嫌だ」

と、合わせるよりも自分らしさを選択します。


それはすごいことだと思って。

私には考えもしなかったことで。

私は周りに合わせた方がいいと思ったし、大人が「良い」という生き方をしっかりするのがいいんだって思って、頑張ってそれにハマろうと生きてきました。

結果、誰からも後ろ指をさされることなく今までなんとかやれてきました。

でも、今の私は自分らしく過ごせているかといえば、その視点を全く持っていないとしか答えられない感じです。

結局、「後ろ指をさされたくない」から自分の気持ちを蔑ろにしてきただけなのかもしれない、なんて思ったりもするんですね。


だから、子どもたちの気持ちや行動を否定はできないし、したくない!

でも親としてはそれ以外の道なんて経験していないから不安で仕方ないというのが正直な気持ち。

不安だと思う選択を後押しして、不安なままやっていくのもどうなのか。

でも、一般的なレールの上を歩かせるのは療育でも勧めてはいないし、その子らしい生き方を支援することが大切なんですよねー。


そんなの難しいよ、ずっとレールを歩いてきた私がそうじゃない道をサポートするなんて。

さじ加減もわからない。

どこまで受け入れて、どこまで枠を意識して接したらいいんだろう。


私だけが熱くても、温度差ばかり。

子どものことばかり考えていても、苦しくなってしまってやっぱりバランスが取れない。

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子育ての位置付け

そんなふうに私は葛藤したり苦しむ中で、私の頭には「子育てと仕事と家事」しかなかったことに気づいたんですね。

そこに「自分」が入ってやっと、バランスが取れた気がしました。

あなたの子育てに「自分」って入ってますか?


「自分」があって、子育てがある、そういう感じが私の中ではしっくりくる子育てのポジションでした。

ひとりの不器用な人間である私がいて、仕事、おうちのこと、友人、好きな世界、と囲まれている中に「子育て」がある感じ。

母である私は自分の一部なんですよね。

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「自分」が加わって変わってきた考え方

私は長男が5歳のとき、フルタイムから子どもの療育のために週4の非常勤の仕事に転職しました。

でもバランス取れなくて、のちに週3のパートに変更しました。

月20万は死守したくて週3でも勤務日はフルで頑張ってきたけど、やっぱりバランスは取れなくて、最終的に今は平日4日、午前中の扶養内パートに落ち着いています。


最初は自由なお金がないことがいちばん苦しく感じていたけれど、今あるものに目を向けたら、今のままでも十分だったことに気付きました。

それからは気持ちがとても楽です。

そして子どものサポートや通所、受診のために仕事を減らしてできた時間、これを私は家事や育児に費やすのではなく、自分のために使おう、と思えるようになりました。

そういう意識が我が家の子育てには重要でした。

時間ができたからその分子どもたちと関わろう、もっと子どもに時間をかけてあげよう、はうまくいかなかったんです、お互いに。


そんなふうにして、私の中で「子育てがいちばん!」から自分の時間も大切に、家族を大事にするという絶妙なバランスが生まれました。

私には、子育てとは程よい距離が必要だった気がします。

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コミュニケーション

私の考えの変化とともに、コミュニケーションについての考え方も変わっていきました。


コミュニケーションって聞くと、楽しく話すとか人の中で話すのが上手いとかそんなイメージがつい浮かんできませんか?

でもそれは私のイメージであって、そうじゃないんだと思ったのは子育てが難航してから。


私はコミュニケーションをお互いにいい感覚でいられる手段として考えてきました。

コミュニケーションを取ると楽しくなる、ワクワクする、もっと仲良くなりたくなる。

でもそんな考えはコミュニケーションの一部でしかなくて、もっといろんな視点で考える必要があると気づいたんです。

子どもたちとはそうしたくてもそうならないことが多かったんですね。



● 次男にニコッと笑って「おかえりなさい」と伝えたら、怒られるとかよくわからない。

↑何か学校で嫌なことがあったらしい


● 長男が前から歩いてきていきなり蹴られるとかもよくわからない。

↑何か伝えたいことがあったらしい


● 人が聞いているのに答えないとかも、たまにならわかるけどそれがいつもとかよくわからない。

↑答えたくない、という自分の気持ちを大切にした結果。私はつい答えなかったら相手がどう思うかを考えて誠実でいたいと答えてしまう。答えたくない相手を尊重するという考えを学んだ私。


● 学校のことを話さないというのも男の子あるあるだったりするのかもしれないけれど、全くのゼロってよくわからない。

↑学校とは関係のない(という認識)親になぜ話すのが必要なのかがわからない…という感覚が近いのかな、と感じています。


● 信頼関係が築けてないから話しにくいのかな、とこっちが下手に出れば出るほど関係がおかしくなっていくというか、歪んでくるのを感じる(次男)

↑距離感が難しい。ギブアンドテイクが通じない感じ。一方的な感じ。


● 私はこれでもかっていうほど丁寧に関わってきたと思うんですが、子どものために動くことに関しては響かない感じがある。

↑相手のために動くということが子どもの認識を混乱させてしまうようでした。こちらができる枠をハッキリ示す方が関係が安定する気がします。


私はね、時々友だちやママ友と女子トークをするとワクワクして楽しいって思います、心から。

話すと言葉が返ってくる、一緒に楽しめる、共感にあふれてる。

それを感じると、「そうだよ、母親だって人間だもん。家政婦じゃないし、一緒に楽しみたいんだよ。」という自分の気持ちに気づかされます。


何が言いたいかというと、私の求めるコミュニケーションは彼らの楽しめるものとは違うということ。

それからは夫とは家庭菜園やDIYを通して楽しみを分かち合い、子どもたちとはトランプやUNO、それからそれぞれの興味の強いものを共有することでコミュニケーションをとる、という選択をすることにしました。

私が求めるものを変えた、という感じでしょうか。

コミュニケーションを共感とかわかり合うとかの手段ではなくて、ただそばにいて言葉を交わすだけでよい、という感覚。

そして言葉にならないものを感じる時間を大切にするということ。


さらに、勉強なんかもコミュニケーションの一つと考え、一緒に楽しめる方法を考えていくというスタンスにしました。

コミュニケーションに使えるものはなんでも使って関わっていくことが大事かと。


相手によってあるべきカタチに変えていくということが大切なんですよね。

親の思考の柔軟性が問われますね…うっ、苦手だ(汗)

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バランスが整うための最後のエッセンス

いろいろ考え方を変えたり、やり方や時間を変えたりしてきたんですけど、それって多分「期待値を下げる」ことだったんだと思うんです。

子どもに対する私の期待がいろんなことで強かった。


学校に楽しく通える

学校のことを話してくれる

ご飯をおいしく食べられる

会話を楽しめる

スキンシップを楽しめる

お出かけを楽しめる


その期待を少しずつ手放してきた感じです。

もちろん楽しめることだってある、でもいつもそうとは限らない、そういう感覚ですね。

そう言葉にすると当たり前か…でも私にはできてなかったなぁ。


で、最後のエッセンスは上手に頼むこと。

我が家のメンズは頼み方次第で、頼りがいのあるナイトに変身するんだってわかりました。

ママが全てをため込まないことが大事。

いつでも感謝の気持ちを表したくなっちゃう家事依頼システムを作り上げたら、気分良し、気持ちにも余裕ができる、苦手な家事をやらなくて済む、といいことづくし!!

ちょっと言ったからといってうまくいくわけではなくて、少しずつ仕込んでいく感じ。

1〜2年後を夢見て、少しずつ。

うまくいくときとダメなときを繰り返して、結果的にちょびっと前進すればよし、で、辛抱強く。

特にASDタイプは変化は嫌うけどルーティンには強いので、ジワジワと習慣化していくとあとは安定。

ADHDもある次男は気分のムラがどうしてもあるけど、報酬に弱いのでおやつのグレードアップをチラつかせて。


夫には頼りにしてます、という気持ちか大切。

ゴミ出し+夜の洗い物と家庭菜園はルーティン化成功。

察して自分から動くことはないけれど、「この1週間はこんな予定」と予定と献立を見える化し、ここをやってもらえたら助かるポイントを明記しておいたら、本人のタイミングでコツコツとやり抜いてくれています。


そういう仕組みをつくるって大事ですよね!!

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人との関わりスイッチの在処

最後にこれだけ言わせてください。

ASDのこと、悪くいうつもりはないし、基本的に私の感覚には合うんです。

余計な刺激が少なくて、自分のペースを大切にできて、最低限で生活できる省エネタイプ。

暗黙がわからないとよく言われるけれど、それは多数派のルールがわからないだけ。

基本的には本質を見抜く力も強いと思うし、自然界の生き物に対して鋭い観察眼を持っていて、見えないものに対する感覚は鋭いんじゃないかと私は感じています。


そしてASDタイプの人がずっと人を優先できないか、といったらそれは違うと感じています。

経験の積み重ねや自分の利益、世の中のあり方などいろんなことを考えられるようになると広がってくる部分もあると思っています。

それから、みんなのためにとは思わないけれど、この人のためだったら…と思える人に出会えると人と関わりたいスイッチが入って、一気にその部分の脳が急速に発達する、なんてのもあると思います。

専門家ではないんで、研究成果が出ているとか言えないですけど。


私も多分人との関わりへのスイッチ(人への興味があふれる感じ)は割と遅く入ったタイプだと思いますし、心の成長は子育てし始めてから急速に発達している気がします。

人によって、脳の発達スイッチが入るタイミングが違ったっていいんですよね。

必要なときにちゃんとスイッチが入るようになっているんじゃないかしら。

あるとき、アレ?なんか今までと違くない?という変化を楽しみに、今はそのままのあり方をそのまんま楽しめるような生活ができたらいいんだろうな、と思います。

そして私自身の変化も楽しみに…ね!!


あれ、なんか主題とズレちゃったような。

もっともっとまとめられる力をつけて再発信しようと思います。

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