
母親からの解放で心落ち着く
母の気持ちがわかるから、母の思うように動かなかったときは罪悪感にかられました。
それに気付けたのはこの本の後半を読んだから。
やっと自分の中に眠っていた感情や気持ちがわかったので、記録します。
今まで自覚できなかった子どもの頃の私
私は母との関係はそんなに悪くない、と思ってきました。
でも距離は置いておく方が私にとって安全だ、と言うことが子育てしながらやっとわかってきました。
子育てでぶつかる違和感や苦しさは自分の中の小さな自分が反応しているのを感じるたびに、解明したいと思っていました。
でもなかなか私のモヤモヤをそのまま言語化してくれる言葉やエピソードに出会えませんでした。
それが、上に紹介した本の後半に出てきた「母親が発達障害だった場合」の章を読んだとき、ピタリを当てはまる感覚がありました。
私のここ最近の不全感とか、仕事でそれなりにやっていると思うのに感覚だけは「私は馴染めていないしうまくやれていない」と気持ちが落ち込んでしまうことが説明できる気がしました。
私の子どもの頃は母の話を聞く役割を担っていたように思います。
母は気持ちや考えがダダ漏れだったので、いつしか私は同化してしまったんじゃないかと思います。
母の気持ちがわかるから共感したり、意に沿うような言葉を話しました。
そればかりだと堪え切れないこともあって、自分の気持ちをぶつけたこともあったけれど、なかなか受けとめてもらえませんでした。
母は受けとめた、私と向き合っているという実感があったみたいだけれど、今思うとそれは独りよがりのように思います。
私の気持ちを受けとめているつもりだろうけれど、共感や気持ちの代弁などはなくて、ただ言われたことに対して自分の頭の中に浮かんだ考えや気持ちをそのままババーっと私に言うだけでした。
それは母にとっては教えている、伝えているような感覚なのかもしれないけれど、意見を押し付けられているような、そう考えろと暗に言われているような、そんな感覚でした。
母に理解できたり、母自身にも経験があるような内容の場合は「わかるよ」と言われたけれど、私の言葉や感覚を理解してくれるような、自分とは違う人間であると言うことをわかってくれるような感じはなくて、あくまで自分の世界での理解しかない人でした。
母の両親は仲が悪くて、母がムードメーカーを担っていたような状況だったことは母からよく聞きました。
母も自分の気持ちを聞いてもらえるような経験が乏しかったんじゃないか、ということは容易に想像できます。
母はそんな家庭環境から、よく私に「自分の築く過程は笑いの絶えない家庭にしたい」とよく言っていて、その気持ちはよくわかったので私も協力しなければと思っていました。
でも母は人の話を聞いているようで聞いていません。
聞いていても意図が読めていないことが多くあります。
思い込みでの行動も多いし、その時人がどう考えるか、自分とは違う意見があるんじゃないかという前提を持っていません。
(自分が嫌なことは他人も嫌、自分が嬉しいことは他人も嬉しい、が100%な感じ)
ムードメーカーで誰よりも人のことを考えて動かなくちゃと思っているのはわかるのだけれど、それが思い込みの域から出ないので、かえって周りを振り回してしまうことが多いのですが、そのメカニズムにも気づいていないようです。
その繰り返しで肯定感は低く、人のためを思って空回りする姿に「裏切れないよなぁ、悪い人ではないんだよね」と思います。
でも近くにいると私まで振り回されてつらい、と自覚できたのは30代になってから。
それまでは気持ちがパンクすると私は母親によく感情的になっていました。
そして、感情的になるのは私が未熟なせいだと思ってきました。
父親はそんな刺激的な母に対し、「傍観者」と言う言葉がピッタリな立ち位置で、母がいろいろ考えて動くのをいいことに自分では何もやらない人でした。
私にはわかってもらえる人がいませんでした。
でもそれをずっと自覚できませんでした。
渇望感の正体
このところ、私のモヤモヤや落ち込みの正体が「渇望感」であることに気付いていました。
私が夫や子どもたちに声を荒げるときは決まって
「もっと人の気持ちになって考えてみてよ」
「相手の気持ちになって考えたら、こういうふうに思わない?」
「相手の気持ちになって理解しようという意識があるかどうかが大事じゃないかと思うんだけど」
そんな内容が多かった気がするし、悲しみの感情があふれてしまうときも私の気持ちがわかってもらえなかったときでした。
私はわかってもらいたかったので、自分の気持ちを言葉にして伝えることを意識していました。
それから、人それぞれ考え方は違うから、話をするって大事だと伝えたくて、気持ちを伝えよう、気持ちに気付いて声をかけてみようと意識してきました。
それは自分が親から理解されたかった思いが強く、その渇望感から「子どもや夫をちゃんと理解してあげたい」という強い想いへ変化し、相手から理解されないと違和感や足りないと感じるようになっていたんだと思います。
その意識はどんどん深まっていって、とどまることを知らず、今度はどこまでやったらいいのかの加減がわからなくなって苦しみが増しました。
実は仕事でも同じことをやっていて、やればやるほど依存的になる人が増えることを身をもって実感しました。
そのおかげで加減が必要だと気付いたのですが、加減のレベルがわからないことは同じでした。
それもそのはず、わかってもらいたい気持ちばかり持っていて、わかってもらえたという満たされた体験をしていないのだから、どこまでやったら十分なのかの加減が自分の感覚にはないわけですよね。
渇望感だけがずっとあるから、相手の反応を見ながらではあるけれど、理解してあげたい、わかってあげたい気持ちは暴走するばかりだったんです。
つまり渇望感の正体は親から理解されなかったことによる「わかってほしい」という気持ちで、どこまでいっても満たされないのは満たされた経験がないから、でした。
渇望感を落ち着かせるには
長年、ずっと落とし所がなくて苦しんでいました。
数年前までは母があまりにもわかってくれなくて苦しくなると、その感情を母にぶつけることもありましたけど、夫のおかげもあり(適度な距離感を教えてくれた)、最近では「この人にはやっぱり通じないのよね」と客観的に見られるようになっていました。
それまではわかってくれるんじゃないかと毎回希望を持ちながら感情的に訴えて撃沈、そして感情的になった自分への自責の念で苦しんでいたんですよね。
期待するから叶わなかったときに落ち込むんです。
母には通じない、で心の距離感がだいぶ取れました。
さらに具体事例を読んだ今は、やはり母は理解が弱く、発言も感情的だったりその場のひらめきで話しているような感じで、総合的に判断しての言葉ではないことも再認識しました。
保育士の資格を持ち、愛情深さもあり、専門知識もあるから余計にわかりにくい部分も多かったので、私がダメなんだという認識からなかなか抜けられませんでした。
でも本を読んでハッキリしました。
母は軽度発達障害(ADHD)+ACで、人の気持ちには疎かったと思います。
さらに付け加えると、ADHDのため、人の気持ちに疎かったというよりは刺激の整理やリアルタイムでの意識の向け方(注意)が下手で、後からゆっくりと考えると色々と理解できる人だったと思います。
それでも自分の世界から抜けることは今でもできないです。
意識が散らばりすぎていて大切なことまで考えが及んでいないこともあれば、自分の考えが強すぎて周りの考えが全く入らないこともあります。
衝動的で計画性がなく、家や車、生き物の購入もいつも突然でした。
考えがとっ散らかっている時ほど行動が激しく、落ち着いていられない印象です。
そしてそういうADHD特性は今の私にもあります。
元々の性質もあるでしょうし、自分らしさが発揮されることが少なかったことから、母の全てをインプットしてしまった後、他にアップデートできるようなデータがないからそのままその戦略でしか生きられていないのかもしれません。
本を読んで、自分を責めなくて良くなったので楽になりました。
やっぱりそういう母親もいて、そんな母親に育てられると心がこんな感じになるのか、ということが具体的に本に書かれていたので、ストンと腑に落ちました。
そして目指す形も書かれていたのですが、それは今まで私がいろんな考えをネットや本から取り入れるとき、ストンと落ちた考え方そのものでした。
自分のあり方を大切にする、ということです。
そのままの自分を感じ、それでいいのだ、と思えること。
自分のこの気持ちは誰にでもあることではなくて、理解できない人が多いこと。
わかってもらおうとすればわかってもら得るのではなくて、仕方のないこと。
わかってもらうとか理解することに執着するのではなく、あるがままの自分でいいと思えること。
夫や子どもを理解しよう、わかってあげようと必要以上にがんばらなくてもいいこと。
仕事でもよくあるんですね。
こんなにも理解しよう、わかってあげようとする姿勢で接している人はいないという違和感は常に持っているのに、自分がしていることに「まだ足りなかったかも」と思ってしまう感覚が湧いてきてしまうこと。
そんなことないはずなのに、ここまでなぜこの感覚に苦しめられなくてはならないのか。
渇望感だったのですよね。
それは理解してもらいたいという期待であり、自分も理解してもらいたいという見返りの気持ちもあった。
でも母と私は違うし、私は多分、人との関わりや子育ての中でだいぶ認識も意識も変わってきていて、十分やれているよと自分に言ってあげていいと思います。
うんうん。
で、長男は私が理解してあげられなかったから不登校になったんじゃなくて、理解してあげられたから不登校できたんだと思うし、次男を理解してあげられているから絶妙なバランスで彼は学校に行けていると思うし、三男を理解してあげられているから幼稚園に通うことができているんです。
今まではなかなか思えなかったし、自信がなかったけれど、多分そう。
もっともっと、じゃなくて、今は十分にやれているから大丈夫、でいいと思います。
自分でやっとそう言ってあげられるようになりました、たった今!ね。
書き続けることが自分を癒し、修正できる
本の中には虐待の連鎖についても書かれていました。
一度身についた感覚を修正していくのってものすごく難しい・・・私も身をもって体感しています。
頭ではわかっていたって、感覚は無意識に引っ張られてしまう感じで、行動は正直だったりします。
その連鎖を断ち切る秘訣はとにかく書き続けることだと本には書かれていました。
自分のしたことや気持ち、考えたことなどどんどん書いていく・・・その中で気づき修正されていくその経過では他者の関わりがどうしても必要な場面もあるでしょうが、ありのままの自分を知り、認め、やり続ける中で変化を感じて自信につなげていくしかないんだと。
私もこのnoteに救われています。
背中を押してくれる仕組みがたくさんあるから。
ひとりぼっちじゃないなって。
からだケアをオンラインで実施していて、私が今必要なことは自分と向き合うことだと痛感しました。
仕事をしていても、向き合うことの大切さ、向き合うほど人に対しての言葉が変わるなと思うし、多くの気づきを得られます。
そんなことを大切にして、明日からまた仕事や家族にほどほどに向き合い、楽しもうと思います。
※余談
この話を夫にも話しました。
私がやっとわかった感覚は夫はすでに持っていて、理解がさらに上でした。
何者!?
スゴイやなぁ…夫も同じような想いと葛藤があったってことなんだろうな。
でも私みたいに本を読んだり学んだりせず、自力で導いてきたのがさすがだなぁ。
改めてリスペクト!
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