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【子育て】伸ばしたいのは社会適応スキルだけじゃない

幼稚園や学校に通わせていると、社会適応が全てのように感じてしまうことがある。

我が子がみんなと同じようにできないと、母親はザワザワしてしまうんだもの。

だけどね、そもそも社会適応が苦手な脳のタイプの子たちがいる。

そんな子たちを育てていて思うの。

社会適応はひとつのスキルに過ぎないんじゃないかな。

だから社会適応という視点をなくした状態でその子らしさを見られたらいいんだろうなって。

ひとりの親として、社会適応と切り離して性質そのものを認めるってこと、言葉にしてみたいと思う。

子どもたちをいろんな視点で見られたらいいよね。


想いをちゃんと主張できるスキル

喜怒哀楽が激しい。

周りを見ずに自分を主張。

人の気持ちを考えないでの行動や発言。

思い通りにならないと癇癪、ウソをつく、物を壊す。

自我が芽生えた2〜3歳ならまだしも、そのまま落ち着かずに主張し続けてる。


みんなが見てる場面で変なことしたり大声で叫んだり…そばにいる親が恥ずかしい。

〇〇ちゃんの気持ちを考えたら、そんな言い方ってないよね、って思うような言葉を平気で使ってる。

このままだと学校ではみんなに嫌われちゃうんじゃないかな?

先生に失礼なことばっかりしてないかしら。

もうちょっと周りが見られたらいいのに、周りのこと考えられたらいいのに。

そんな感じで主張が強いタイプのお子さん、いない?


確かにね、社会適応を考えたら相手のことを考えてモノを言うとか周りを見て行動するとか大事よね。

でもこういうタイプのお子さんって、周りとか相手よりもまず「自分の気持ちを大切にできる子」だと思うの。

自分の気持ちに正直って悪いことだと思う?

私は思わない。

むしろとっても大切なこと。

それにね、社会では確かに周りを見て、相手のことを考えて行動できる方がいいと思うんだけど、適切な行動ができていれば、心の中では

「私はそう思わないけどね」

って思ってたっていいじゃない?

自分の心を守るためには、自分の気持ちを知っていて、ちゃんと守ってあげられるって大事なんじゃないかなって思う。


だから、自分の気持ちに素直になれるってひとつのスキルじゃないかな。

そこは、自分の気持ちを伝えられるって大切だねって認めてあげてほしい。

その上で、もうちょっと上手な伝え方を教えてあげたらいいんじゃないかと思うんだよね。


人がいる前で大声で言うのではなくて、あとでコッソリ教えてね、とか。

日常で相手のことを考えた方がいいなぁって思ったときに、その発言を否定するのではなくて、〇〇ちゃんはどう思ったんだろう?と視点を変えて考える機会を与えてみるとかね。


自分の気持ちを大切にできる子は相手の気持ちだって大切にできると思うのよ。

ただ、その視点がないだけだったりする。

だから教えてあげる。


自分の気持ちに正直な部分はいいところだから伸ばしてあげたいよね。

気持ちの伝え方の工夫が必要なときとか、こういう場面では控えておいた方が無難とか、社会ではどうしてもあるじゃない?

そこがちゃんと学べれば、それ以外は自分の強みになると思う。

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慎重に考え、物事を納得してから進めるスキル

みんなと同じに動けない。

やたらと自分のやり方にこだわる。

先生の言うことが聞けない。

行動のテンポが人より遅い。

周りに合わせて行動しようとしない。


周りで見ていると集団行動が難しくて、なんで?って思ったりする。

理屈が通っていることとか、事前に伝えて本人が心の準備ができていたりすると、それなりに動けたりもする。

でも基本的には合わせて動くことって苦手なんだなって思う。

このタイプの子って、人よりも周りをよく見ていて、よく考えていることが多いなって感じるのね。

つまり「自分の考えを大切にできる子」なんじゃないかなって。


集団行動になるとどうしても多数派の意見が採用されるし、学校教育には年齢に合った学習レベルと目的に合わせた教材があって、学ぶ内容って決まってる。

「今、学びたい内容」が合わないことと、周りの子たちとの温度差で関わりが楽しめないことから集団ってつらいものになってしまいやすいのかなって思ったりする。

でもね、自分のペースでだったら、学ぶ力も深める力も持ってるのよね。

社会適応を目標にしてしまうと強みが弱みになってしまうタイプだけれど、その枠を外してあげて、その子が今学びたい内容をその子のペースでやれる環境があると、グングン伸びる。


なんて、そんな環境はなかなか難しいから、どこで折り合いをつけていくか、という視点が大切になるのかなって思う。

合わせられそうなところは合わせる、無理なところは配慮してもらったりやらない選択をする、そうやって心を守ってあげる。

その中でいちばん大切なのは、無理強いをしないことかなって思ってる。

選択肢を提示して自分で選択するとか、嫌だと言ったらそれを尊重するとか、その中で人との信頼関係を築いていけると、安心して世界が広がっていったりもするから。


このタイプの強みは、自分でやり抜く力を持ってること。

だから自分で決めるとか、その決断を信じてあげるとか、そういう環境の中で強みが生きるんじゃないかな。

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私は過剰適応で生きてきた、それもひとつの生き方

上の2つの例は実は我が子のことなのね。

ずっと見てきて、どんな捉え方していったらいいのかなぁって模索してきて、今の私の捉え方だったりする。

脳全体の活性化とか発達を考えたら、やっぱり性質を肯定的に捉えて、強みとして伸ばしてあげたり、やりたいことをやらせてあげたり、毎日を楽しめることが大事じゃないかという考えが私のベースにあるんだよね。

その中でどう捉えていったら、子育ての軸ができるのかなって子育てしながら感じたり考えてきて、今はこんなふうに捉えてる。


でね、最後に肯定したいのは社会に過剰適応することで頑張って生きてきた私のこと。

実は子育てをしていて、子どもたちを尊重すればするほど苦しくなってしまってた私。

それはね、特性を生かそう、社会適応だけを目標にせずにその子のペースを大切にしよう、そんなことを考えれば考えるほど、今までの自分を否定せざるを得なくて。

だって、合わせるのが当たり前って生きてきたのよ、私。

親や先生の言うことを聞いて、真面目に取り組めば道は開けるって信じてたよ。

自分の気持ちや考えを押し込めて、いつの間にか人のために頑張るのが当たり前になってたよ。

そんな私はダメだったの?って。

そんなことないんだけどさ、子どもたちの気持ちとか考えを尊重すればするほど、自分の気持ちは?考えは?って自分にはそれがなかったことに気付かされて。

アレ、いつの間にか私って人間がいなくなってたって思って。


ガガーーン!


そんなとき、仕事でも周りに振り回されてばかりの自分に気づくわけよ。

あれ、なんだろう?

もしかして今までなんとなく変だな、うまくいかないなって感じてたのは、自分がなくなってたからだったりするの?って。

子どもたちと比較しては自分が情けなくなる日々もあったんだ。


でもね、今はだいぶ自分も肯定できるようになってきたの。

それができたのは私だからだって。

「過剰適応」って言葉にしてそれを悪者にしないでね、適応しようとたくさん努力できるのも、周りの人のために頑張ろうとするのも、私らしさで悪くない。

そういうスキルがあって、必要だったから発揮されたってだけのこと。

いい悪いじゃないんだよね。

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私が大切にしたいと思ってること

そうそう。

みんなみんな、自分のスキルを生かして生きてる。

それにいい悪いなんてないよね。

それよりも、ちゃんと自分で決めるのが大切なのかなって思う。

社会適応をどれくらいの範囲で自分はやるのか。

これ以上は難しいっていう線はしっかりと引いて、うまく付き合っていく。

自分とも社会とも、うまく付き合っていくスタイルを見つけていくことが大切じゃないかな。


これからも社会はどんどん変化していくと思う。

昔はあるべきカタチみたいなのがなんとなくあったけど、今はどんどんなくなっていて、自分で選べるようになってきてる。

だから自分を理解して、やりたいことを見据えて、自分で選べるって大事なんだよね。

そのためにはまず、心とからだが健康であること、そしてその調子を整えていけることってベースにあると思う。

そう思うからね、私は子どもたちの社会適応スキルを伸ばしていってあげるだけじゃなくってね、自己理解と自分のコントロールスキルも伸ばしてあげたいって思ってるよ。


うん、それだ。

生き抜く力、みたいなやつ?

自分らしく生き抜く力を大切にしつつ、社会適応スキルも伸ばしたいってあげたい。

ああ、ちょっとスッキリした。

それそれ。

子育てしながらいろいろモヤモヤ考えてたこと、少し整理できた気がする。

もちろん今の私の考えで、また時間が経ったら変わるのかもしれないけれど、今私が大切にしたいことをこうして言葉にするって大事よね。

それは自分を大切にすることにもつながるものね。

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