長生きが歓迎される人でありたい|老人ホームの厨房から
現在、老人ホームの厨房で仕事をしている。
基本的に厨房に入りっぱなしなので、利用者さんと直接かかわることはほとんどない。けれども、食事の時間だけは施設の中に入り、利用者さんが集まる食堂へ料理を届ける。
老人ホームは病院ではない。だから、スロープを持って歩行できる人もいれば、補助がないと車椅子を動かせない人もいる。車椅子に座って右斜め上を見たまま動かない、意思疎通が難しそうな人もいる。
ひとりひとりに挨拶するわけではないが、施設の方含めてすれ違えば挨拶をする。大抵は無視されるか気づかれないかで、声だけのから返事がもらえるだけでいい方。だが1人だけ、いつも自分から笑顔で声をかけてくれる女性の利用者さんがいる。
「いつも食事ありがとうございます。ご苦労様」
スロープを持ちながら歩くその女性はいつもそう言って、立ち止まり軽く会釈する。
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この老人ホームは、100人以上の利用者さんを抱える。そしてその中では、さまざまな食形態の方がいる。
普通の食事を摂れる人もいれば、一口サイズに切ってほしい人(一口)、フードプロセッサーで細かく刻んでほしい人(刻み)。飲み込む力が弱い人はミキサーで砕いてとろみをつける(ペースト)。普通の食事をベースにその人に合わせた加工を施すことで、毎日の食事をストレスなくおいしく食べられるようにしている。
普段私は厨房の中にしかいないものの、食形態の変化で利用者さんの様子がわかる。
たとえば、刻みの人が一口に変わったとき。「ああ、ちょっと噛む力が付いたのかも」と少し嬉しくなる。
一方、刻みの人がペーストになったとき。これは飲み込む力が弱まり、身体が老いに近づいている証拠。社員である元上司の話によると、一度ペーストを希望した人はもう刻みには戻れないという。こうやって人は歳を重ねていくのか、と、いのちの期限を感じずにはいられない。
先日、利用者さんが1人亡くなった。食形態はペースト。詳しい死因は訊けなかったが、食べることと生きることはつながっていると思う。食べる力が弱まることはきっと、生きる力が弱まるということ。
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配膳車で料理を運ぶ途中、車椅子に乗った女性の利用者さんに出会った。
「今日はお迎えがある日だったのに、なんで出させてくれないんだ」「年寄りだからっていじめやがって」そんな恨みつらみを、ひとりごとのようにブツブツ言いながら車椅子をゆっくり直進させていた。
いつも笑顔で声をかけてくれる利用者さんと、年齢は大差ないと思う。
人間、どこであんなに性格が変わってしまうんだろう。これも人生の積み重ねなのか?
私は死に際にどう過ごしたいだろう。どう思われたいだろう。
もし笑顔で温かくやさしくされたいのであれば、まず自分がそういう人生を積み重ねないと。私は、長生きが歓迎される人間でありたい。
「いつもありがとう」と声をかけてくれる利用者さんが、少しでも長く元気でいられますように。