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筋トレを10年以上続けた秘訣は、「こうなりたい」の強さと過度なコンプレックスだった
「習慣化」を語る上で真っ先に思い浮かぶのは、20代前半からかれこれ10年以上筋トレを続けるパートナーの存在だ。
彼の身体つきはすごい。人類の腕はこんなにも太くなるのか?!と本気で思うくらい二の腕はパンパンで、胸板の厚さはまさに「大胸筋が歩いてる!」と合いの手を打ちたくなるほど。
当然もっと身体つきがいい人はいるだろうし、彼自身も「まだまだ」と言う。それでも独学で鍛え方を学びながら、仕事終わりにはジムに行き、ジムに行けなかった日にも家でトレーニングする彼のストイックさは、お付き合いする前から尊敬していた。
一度自宅でのトレーニングの様子を見させてもらったが、パートナーが額に血管を浮かせて、歯を食いしばりながらあまりに自分を追い込むので、「これを続けているのか……?!」と圧倒された。私は「運動=キツイ」のイメージをひとたび植え付けた途端にジムへの足が遠のいてしまうことが分かってたので、毎日「これくらいならいいかな?」と思う程度の負荷しかかけていなかった。自分、生ぬるかったな、と、なぜか自責の念に駆られた覚えがある。
筋トレは10年以上前から続けていたパートナーだが、身体つきが見違えるほど変わったのはここ2、3年の出来事のようだった。同じ職場の人は彼の変わりように驚いたし、同様に「そんなに鍛えて何を目指しているの?」とややからかうように聞かれることも増えていた。
別に何かを目指す必要なんか無いのに、と思いながらそのやり取りを聞いていると、彼は「いや、特に」とおおむね私の予想通りの返答をした。
けれど彼はこう続けた。「でも、こうなりたいな、っていう理想の身体はあります」
🏋️
「なりたい身体はあるんだけどさ」
パートナーとお付き合いを始めたころ、彼は筋トレを続けている経緯をこう話した。
「俺は自分のことをコンプレックスの塊だと思っている。本当に、自分最悪だと思っている。けど、この身体のおかげでほんの少しだけ、自分に自信が持てるんだよね」
パートナーは自分の劣等感を、変化する自分の姿を見ることで補っていた。結果いい効果は得られているものの、私はどこかずっと引っかかっていた。
あなたは最悪なんかじゃない。だって、真っ当な趣味を10年以上続けられる人なんて、そういないんだから。
私はパートナーの身体つきが好きだ。いつも「すごいね…!」とか、「かっこいい!」としか言えず、元ライターとしては致命的なボキャブラリーで褒め倒しているが、それが功を奏したようだ。
今では「エビアンが喜んでくれるのが嬉しいから、今日も俺トレーニング頑張るよ」と言ってくれている。
彼が不必要に「自分は最悪」と自分を貶めることは、気づいたらもう無くなっていた。それは本当に、喜ばしいことだ。
パートナーが劣等感を埋めるための筋トレをしなくて済みますように。今日も私は、彼の身体に感動する。
このnoteは、Marbleコミュニティの「新年チャレンジ2025」Day7のお題に沿って書いたものです。期間は過ぎてしまいましたが、書き切れるようがんばります!✍🏻
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