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デジタルでは残せない、中尾美園「模写」がうつす時間、記憶、愛着

開催中の個展「こまぎれの色どりたち」では、中尾は母親の嫁入りダンスの中身の模写を出品している。
10年近い前、彼女にインタビューした記事を見返してみた。中尾の制作への気持ちやスタンスはこの時と変わっていない。じっくりと対象に向かいつづける「模写」の仕事の気の長さと、そこから持続して彼女が得ている充実感の深さを考えた。

京都では、文化財の保存修復を行う技は身近なものだ。修復師たちは
数百年を超える時間軸の中で、作品の来し方、行く末を見守る。中尾美園は修復の仕事に携わるなかで、この世界で意識されてきた「時間」「記録」をテーマに制作する。

「修復に持ち込まれる作品には、一度でなく、いくつもの時代で色が補われていることがあるんです。それを見ると、修復した人の手や、残そうとじた人の気持ちを考えてしまう。絵には、描かれた時点から現在まで、絵師が関わった以上の時間が流れている。修復している自分は作品の歴史の、一つの通過点でしかない」。

東日本大震災の後、福島を訪れた中尾は、自然が変わらずに美しいことにショックを受け、福島で拾った木の葉を写すことで、一部分から全体の状況を写そうとした。「あとで、描いた木の葉と、その以前に京都で描いた木の葉とを比べてみて驚きました。作品のまとう空気感がまったく違うんです。それはなぜなら、描いている自分が違うから。写すって、機械的なことじゃないんです」。

芸大で教わった模写の技法は、手本の上に薄美濃紙を置き、それをめくりながら手本の残像をなぞって描くというもの。直接トレースするのではなく、記憶に一度、焼き付けた映像を手で写すのだ。

福島での経験は、近所の水路の漂流物や、おばあさんのタンスの中身など、身辺のものを写す「図譜」シリーズに展開されている。

「今の世の中は、何もかもがすぐになくなってしまう感覚がある。
なんでもないことでも描き留めたくなる。摸写や表装のテクニックを使えば、この先何百年も、時間や記憶、人の想いが記録のカケラとなって残ります。模写をする私のカケラも。これが、作品をつくるうえで、大事なことだと考えています」。

美術手帖 2015年 11月号「京都、究極の職人技」に寄稿


娘の折り紙を、緻密に模写した



描く対象として加わったものは、5歳になった娘の成長がある。
娘が絵や折り紙、肌身離さず持っているタオル。過去と同様、目の前でみるみる成長してゆく娘の身辺も、やはり綿密に、心を入れて模写している。

場所をとっていた遺物は模写することで小さな巻物になり、その思いを残して、ものは処分することができる。後年、その絵を見た人は、この品物の所有者の娘の思いを受け取ることだろう。

デジタル保存はそのものを正確に残すことができるが、そもそも記憶や時間や愛着は「正確さ」とは関係がない。

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