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最後の最後まで諦めがつかない... #109 

お疲れ様!


諦める」という言葉は、
「断念」といった意味合いで使われることが多い。
どちらかというとネガティブワードだよね。

今日は、諦めがつかない経営者が多いことについての記事。

諦めるとは


実際辞書を引くと、
あきらめること、断念すること、
となっている。


仏教用語の
」(たい)という言葉は、真理を意味する言葉で、明らかに観る事、現実をありのまま観察する事を意味する。
大切な仕事、人生の岐路になるような決断の時こそ「諦める」ことが肝心だという。

また、漢語の「諦」は、
梵語のsatya(サトヤ)への訳語であって、真理、道理を意味する。

「諦」を使った言葉で、「諦観」=「本質を見る」、「諦念」=「道理を悟る心」という意味の諦念がある。



最後の最後まで諦めがつかない

事業再生の仕事で、色んな経営者の方に会ってきた。
大半の方が、とても頑張っておられた。

ギリギリまで頑張って、本当にどうしようもなくて、最後の最後に弁護士事務所に来る。
ボロボロになって来られる方もいた。
もう少し早く来ればどうにかなったのに、という案件もあった。

医者と同じで、傷や病気が軽いうちに来れば、簡単な手術で終わったのに、悪化して手のつけれない状態で来られると、手の打ちようがない、ということもある。リスクの高い大手術になってしまう場合もある。

最後の最後まで諦めがつかなくて、頑張ってしまう、これは誰しもあることだと思うから、責めることはできない。

しかし、自分だけならいい、でも家族や社員を路頭に迷わすことになる前に、相談だけでもしてほしい、という想いをいつも持っていた。いや、今でもそういう想いを持っている。

「諦める」=断念する、ということができないままに行きつくところまで行ってしまう。

ここでの「諦める」は断念する、挫折する、という意味での諦めがつかないという言葉だ。


「諦める」の本当の意味

「諦める」というのは、本当の意味では、明らかに観る事、現実をありのまま観察する事、つまり、「本質を見極めて、進むべき道を決断」することではないだろうか。

ものごとの道理をわきまえ、事業や夢などが達成されないことが明らかで、自分が納得するまでやり切った、そのうえで断念する。

自分が信じていたことを、
しっかり向き合っていくことは本当に大事なことであるけれど、
それが本当に、物事の正しい筋道なのか、人として行うべき正しい道なのか、
をわきまえたうえで、
それを手放すべきなのか、そのまま進むべきなのか、を決断する。

そのときの「諦め」は、誰も非難できるものではない。
全ては自分が決めなければならない。
決めたとおりにしか物事は進まないから。

諦めとは、「実現できないことがわかって、止める」という意味もある。
ここで停滞しているよりも、諦めることで前に進めるのであれば、諦めも肝心だ。



事業についてのご相談も承っています。

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