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断言出来ないけど…。

何かについて、考える。

理論上、上手く行かないことには、
何らかの理由が存在している傾向を感じる。

報われる努力と、報われない努力。

その差を知らなくても、
努力は努力。

つまり、それなりに一生懸命な姿を、
否定することは、難しい。

それは他人に対して思うというより、
過去の自分に対して思うこと。

努力や根性や情熱。

そこに結果は伴わなくても、
一生懸命という別のものを見出している。

その時間には、悔いは無い。


でも一方では、
知らなかった真実が沢山あったことを
後になって知ってしまった。


どんなに精一杯頑張ったところで、
越えられない壁の存在。

それは例えば、
海外旅行に海を泳いで行こうとするような
努力にも似ているのかもしれない。

知識があれば、
パスポートを取得して、
飛行機で行くことを考えるだろう。

そして、
それが当然だと思う環境にとっては、
それ以外の選択肢は、あり得ない。


もちろんこれは、
極端な例かもしれない。

でも、似たようなことが、
日常生活の中には、起きているのだと思った。


何かに対して、
「日常」「普通」「当たり前」と思うことは、

自分の経験と記憶の結果なのだと思う。


ゆえにそれは、
いつでも当てはまるものでも、
無いのかもしれない。


とても良い例が、
吹奏楽や合唱にも思った。


メンバーが入れ替わっているはずなのに、

なぜ高い水準を保てる学校と、
死ぬほど努力しても結果に繋がらない学校の

明暗がこんなにも、
分かれてしまうのだろう…。


結果を出せる人達は、
結果を出すための分析をしていることを、

知らない、そしてそれを教えない、
教えられない世界が、


確実にあるのだと思った。


パスポートの存在を知らなければ、
飛行機の存在を知らなければ、


どうやって教えることが出来るのか?



だからといって、
それは自分の環境を責めたい訳でもない。


そういうことを知らなかった自分。
知ってしまった自分。


なぜ誰もが実践して、
上手く行く確率の高い方法論があるのなら、
なぜそれを誰もが学べる社会ではないのかと、


疑問を感じてしまった…。


ケーキを作るために、
分量のバランスを間違えて、
溢れんばかりのミルクを入れ過ぎれば、


ケーキにはならない。


ベーキングパウダーを入れなければ、
どんなに念じても、膨らまない。


そういうことが、
沢山あるような気がして、


ただ、教育というものに対して、
複雑な気持ちになってしまう。

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