何が正解?
迷惑や心配をかけまいと、
「大丈夫」と笑顔を見せる。
その後、返ってきた言葉は、
「幸せそうで良いよね!」
「悩みが無くて良いよね!」
そうか…
そう見えるのか?
だから、コミュニケーションって、
難しいと思う。
素直に辛いと言った方が良いのか?
ネガティブなことは、言わない方が良いのか?
たぶん、本当のことを言ったら、
驚かれるほどの感情を、
包み隠して、砂糖をまぶしていても。
*
たぶん、周期的に、
ものすごく辛い時期が巡ってくる。
考えるとかじゃなくて、
映像と感覚が直結する…。
待ったなしの、不安の渦。
そういう日は、
どこかで昇華することが必要だけど、
誰にも迷惑をかけたく無いと思うと、
独り書き綴れる場所が、
私には必要なのだと思う。
*
私は、音楽が好きだ。
正確には、「好きだった」のか?
今も好きなのか?
これが好きなのか?
そもそも、音楽だと信じてきたものが、
本当に音楽だったのかも、時々わからない。
「音楽」という定義は、
とてつもなく広い。
それは例えば、
「食べ物」という意味でしか、
ないくらいに思える。
チーズが好きだからといって、
えのき茸まで好きとは、限らない。
でも、何かを食べなければ、
生きてゆけないように、
生きる上で必要不可欠なことには、
疑いの余地がない。
何も食べずにいられるとしたら、
それも1日、2日の話ではなくて、
生涯一切食べないとしたら、
もはや人間ではないのではないかとさえ思う。
でも、世界は広い。
ただ、私が知らないだけなのかもしれない。
けれど、そういう意味での例外は、
今の文脈の中では、
あまり問題でもない事で。
言葉に向かうのに、
言葉にしたくない。
言葉を求めて、
言葉の前で躊躇する。
思考を組み立てる時、
言葉は、ほぼ同時に浮かんでは消える。
そのプロセスを、
無意識的領域を意識し過ぎてしまうのは、
あまり好ましい事ではないかもしれない。
見ない方が楽になれることもある。
たぶんこういうことも、
ものすごく伝わるって共感してくださる方に、
思いがけず出会えることがあれば、
全く理解不能で伝わらなくて、
より一層孤独に陥ることもある。
それはもう、
それなりの経験から知っているけれど…。
時々、自分というフィルター以外からの
人生というものにも、憧れる。
別の角度から見える人生とは、
どんなものだろうか?
何でも否定から入る人が、いる。
何でも肯定から入る人が、いる。
何にでも疑問を持つ人も、いる。
決めること、決めないこと。
いつも、ここに返ってくるけど、
結局、空虚の周りを、
くるくるとまわって、
いるだけのような気がしてくる。
くるくる、くるくる…
どこに行くでもなく、
くるくると。
いっそ、踊ってみるか?
考えることを止めて…。
くるくると。
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