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かえるの子はかえる。


私の母の話をしたい。

なぜなら今自分が「#mijinkochallenge」とか言って模索しながら、もがきながら進もうとしているのは、彼女の姿勢をずっとみてきたからだと思うからだ。そして今、またこうやって新しい一歩を進もうとしているこのタイミングで、ことばにしておきたいと思うからだ。

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小さい頃から、頑張り屋さんだね、と言われることが多かったけれど、今思えば母はもっと頑張り屋さんやったんやと思う。

小学校の時やったっけ。家事や諸々が終わってから、ダイニングの机でCADの勉強をしている母の姿があった。私はそれをじっくり見ていたわけでもなく、テレビを見てたかなんかしていたんやと思う。どういうきっかけで勉強し始めたのかは分からないけど、子育てをしながら自分の夢に向かって実際に歩みを進める姿は、きっと世間的には珍しかったのかもしれない。

詳しいことは分からないけど、色々あって、ある時その通信教育を運営する会社が潰れてしまって、勉強は続けられなくなってしまった。おチビ2人を育てながら、安くない金額を払って挑戦していたその道は、突然、外からハシゴを外されてしまった。幼ながら、悔しくて、悔しくて、泣いている母の背中をなんとなく覚えている。

母をすごいなあと思うのは、そこで泣き寝入りすることなんてしなかったこと。勉強のために用意していた残りのお金でできる道を探していた。今度は福祉の道で、住環境のコーディネーターの資格を取ろうと挑戦していた。トイレの壁には、母がカレンダーの裏に書いた暗記項目が貼られていて、手すりはどの高さ、廊下の幅はいくつ、とか、私も眺めていたなあ。

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話は少し変わるけど、私は小中高大と英語が好きで、学校ではいわゆる「得意科目」として感じていた。大学時代には留学生がたまにうちに遊びに来ることがあって、(留学生の友達はほぼほぼ日本語で話してくれるんやけど、)母はその度、「外国語できたらいいんやけどなあー難しい!」と言っていた。

でも実は、母も日本語以外の「言語」がペラペラだ。

福祉関係の仕事についたことがきっかけで、手話を始めた。ただお教室でやっているだけかと思いきや、本格的に手話検定を受けるために勉強をしていて、私が高校か大学くらいの頃には、自室で勉強をしながら、リビングのテレビから聞こえて来る手話検定の学習ビデオの音を聞いていたように思う。
たまに母と買い物に行ったりすると、職場によく来られていた利用者さんとばったり会って、そこで突然手話での会話が始まる。普通になんでも話せちゃうなんて、ほんとすごい。英語と同じで、相手とコミュニケーションをする手段をプラスアルファで持っているんやから。「英語できるっていいなあ」という母には、「お母さんもやん!」って言うようにしている。

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そんな母の挑戦はまだまだ続いていて。
今は、これまたお仕事で関わり始めた「絵手紙」に、日々向き合っている。

かれこれ何年続けているんやろう。知らない間に、絵手紙の先生の資格を取ってしまっていた。留学生たちが身近にいたからか、そうした外国の人にも絵手紙という文化、墨の文化を伝えたい!って言っていたっけ。でもそんな日も、実はそう遠くないのかもしれない。

最近はついに、先生として教えるための一歩を踏み出し始めている。

いつか教室が持てたらいいな、という言葉はずっと聞いてきていて、「じゃあちょっとずつでもやってみたら?口に出してたらきっとチャンス来るんちゃう?」「もっといろんな人に絵手紙の魅力を伝えたいんやったら、インスタで絵手紙投稿してみたら?」なんて言う、娘の無茶振り(?)なアドバイスに、「ええーーー」と言いつつも、実際にやってのけるんやから、やっぱりすごい。

継続は力なり、と言うか、なんというか、最近は知り合いから絵手紙を教えて欲しい!習いたい!といってもらって、月に2回、教室を始めたらしい。

「人に教える立場こそ、学び続けんとあかん。」ということばは、先日会った時に母が言っていたこと。資格をとって終わりではなく、吸収し続けるために、月に1回、こっちに出てきて生徒として絵手紙教室に通っている。

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思えば、学び続ける姿勢というものは、幼い頃からそうやって私にとってはある意味「当たり前」の風景だったのかもしれない。
だからなのかなんなのか、私がこうやって模索し続けられているのも、そういう「習性」が刷り込まれているからなんかもしれないなあと、ふと思う。

(母も祖父の姿から学んだらしいから、むしろDNAにインプットされているのかもしれない。)

「あんたが挑戦したり発信してるから、刺激をもらえてる。」って、母は言う。でも実はそれは逆なんやで、と、娘は思う。

親の背中や育つ環境って、本当にたくさん影響するんやなあということも、最近よく思う。いつか自分が親の立場になることができたなら、「モサクニン」な母を、子はどう見て、何を感じて育つんやろう。

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母に負けてられない娘も、改めて一つ挑戦を決めました。

ヨガという自分の一つの柱。資格はとったはいいけれど、なかなか実践して教えることはできていないし、していない。どんどん怖くなっちゃうんだよな、教えるのって。でも、それじゃあ嫌だなと。
どういう生き方、働き方をしていくのかは模索中やけど、きっとヨガを教えることはその中で一つ、重要なポイントになると思っている。それなら、ちゃんと自分を磨いていかないといけないよね。

「自分のことだけに投資できるのも、今のうち」という母のことばはリアルだった。じゃあ、いつやるの?今でしょう。

ということで、またぼちぼち、ヨガを学ぶために時間を持ちたいと思います。ちょっとご無沙汰していた間に、自分の身体のバランス(調子)も少し崩れてきた感覚があったから、本当にこのタイミングがぴったりやったんやと思う。

あと、怖いなりに、ちゃんと実践の場を持てるようにも動いていきたいと思う。怖く無くなるにはやり続けることが大事。



ほんと、いろんな意味ですごい母を持ったなと思う。
ちゃんと親孝行しなな。
決意と、覚書と。


2019.5.28


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