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AIに負けない


TikTokのAIが優秀すぎる。
さすが、時間泥棒と呼ばれる新進気鋭のプラットフォーム。

検索に頼らない、先手のレコメンド。
閲覧履歴、視聴時間、反応に合わせてどんどん出してくる。

滞在時間も知られてる。
完全視聴も離脱もバレている。

これに対すると、どうやら初心者が再生回数をふやすには、
よいタグ付けをすることと、
とにかく自分もいろんな動画を視聴して育てること。
「関連するのはこういう動画・人・タグ」と
覚え込ませるイメージで。

これをわたしは「たまごっち作戦」と名付けた。

これで
誰に見てもらえるか、よりも
誰にどれだけ流してもらえるか、の勝負を制したい。


AIはすごい。
処理能力と情報量がすごい。
統計データはここまで実用されてしまうのか。
AIと戦っても勝てない。
けど、代替えされないことを自分に求めるときは、
(ふだんはAIの恩恵にあっていいけど、
 仕事を取って代わられないとか、自分らしくあるには)
AIにできないこと、を考えるといい。

前に雑誌で読んだのは
「AIが知ることがないのは足の裏の感覚」
みたいな記事。
たぶん、道ではない道を歩くことを、
彼らはこれからも経験しない。
わたしたちは、
変な道を楽してショートカットでえいやっと通ってみたり、
(それでも転ばなかったり、あるいは木の枝に刺さったり)
なんだか柔らかそうなところを歩いてみたり、
(脚が疲れてるときゴムチップの道って嬉しい)
ふだんの道なのに雨のあとに滑ってしまったり、
(だいたい靴底のせい)
好きな人との帰り道は無駄に遠回りしたりする、たぶん。

人間のもつ「感性」は、
計算の向こう側にあるとおもう。
1から京まで順番に足していったり
掛け合わせていったりしない
最短ルートでピッピッピコーン、とたどり着くアレ。
説明できないとしても、
これは、良いものだ、これは温かい、とわかるアレ。

だからこそ、「リアリティ」はつよい。
感覚に訴えることは、つよい。

デジタルを通しても、
人は情報の「生感」を察知してる。
いまはそういう情報の受け止め方。
そして自分のリアリティは、そのまま発信する時代。
 

きっと変わらないのは、
自分の経験こそ、人にとって役に立つもの。
自分の感性に触れたものは吸収しやすくても、
実際の自分の経験には勝らない。

メディアを介して、
感覚を与えられるか?
経験をつくれるか?
より近いところへいけるか?

わたしが伝えたいことは、言葉は、想いは、
どれだけ伝わっていくか?
どれだけ新しいなにかを生み出せるか。


メディア育成とかコミュニティ戦略の
ミッションを背負って仕事をするようになって、
データよりも感覚で進めるほうが、
自分に合っているなと思い。

この「感性」でわたしはいまAIと戦ってる。
みんなが知りたいこと、好まれるクリエイティブ、
ブランドを伝える方法は、きっとこうでしょ?
って、感覚を使って応戦中。
なぜならデータに弱いマーケターだから。汗

データ分析も、もちろん大事です。
でも根本は、データじゃないところにありたい気持ち。

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