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Netflix映画『彷徨い』

最近、Netflixの映画『彷徨い(原題: The Strays)』を観たのでその感想を書きます。

Netflixはアメリカの会社なので、ハリウッド映画のような雰囲気の洋画も多いんですけど、これはヨーロッパ寄りの雰囲気に思いました。

英国製のシュールな感じです。

リスニングとしては、イギリス英語も聞けるしよいです。英語字幕つければ階級による訛りもわかりやすいです。

面白いかといえば、そこまでではないですけど、観てる人に色んな角度から何かを気づかせる作りになっててその点が良いと思いました。

自分自身を認めていないとずっと迷子になる。どこに所属しようがそれは同じ。逃げようが繰り返す。Strayになるんでしょうね。
そして、周りに合わせているつもりでもそれは結局新たなThe Strays の集団を産み出しているんでしょう。

そんな救われない状態を表しているお話でした。

これは表面的には黒人差別の話と見せかけて全然違っている。誰にでもどの場所にでも当てはまる話に思いました。

人は一人では生きていないし、必ず誰かと関わる事で生活している。影響し合うのは必然なんです。最初は親、その後家族を持てば家族。そして学校、会社、社会などなどです。

自分が受け入れられたいから、それと引き換えに手放すものがあったとして、それで自分を認めることができるかという話です。

“郷に入れば郷に従え”は、ある価値観に合わせるという話になります。だから、自分の気持ちと違っても集団に照合するということです。

これを選ぶのは自分であって押し付けではいけないんです。それにそうさせられたと思っているとしたら違うんです。

そうすべきと自分が思ったとしても、他人もそうすべきっていうような単純な話じゃありません。

幸せに生きていくにはどうしたらいいか?って考えると、その「すべき」なことには正解がないんです。本来は、自由なんです。

家の方針に従わなきゃいけない。あるコミュニティの方針に従わなきゃいけない。その方針って本来なら話し合って折り合いをつけて、決めていくもので押し付けではなんか変な訳ですよ。

どうしたって誰かが心地よかったら、誰かが不快なんですよね。その逆も然り…。

「こうしなきゃルール」が多く知らないうちに自分自身を縛ってる人は、気づかないうちに他人にもそれを強要してしまう。

この『彷徨い』では、社会的なルールが皮肉な事に家族に向かっています。

所属意識が強ければ強いほどそうなる…。

それって連鎖するんですよね。気づいた人から、向き合って一旦周りと切り離して、結論を付け自立しなければ縛られるんです。

それは物理的距離じゃありません。物理的距離を離したとしても、自立してなきゃ難しい。心理的距離の話なので。

この話は、黒人社会から離れたけど逆に他の場所に所属したから起こってます。めちゃくちゃ単純に分解するとそういう話。

そして苦しむ人が出てきます。感受性強い子供は特にそうなります。そしてまたそれが未来を形成する一部となるという皮肉。

非行も増えるし、性格形成にも問題が出ます…。そして、社会問題になります。

イギリスは階級社会が残っているし、全く異となる民族が今や沢山暮らしているので非常に分かりやすくそれが見える面も多いのかなと…

けれど、これって世界中の問題と思います。

もっとシンプルに互いに寛容に生きられないかとちょっと思いました。

「差別はダメだよ」とか「多様性を大切にしよう」とか言ってる人が逆に寛容に生きず思想を押し付け合ったり差別しあったり、それを強調する事は多々起こっている。

まさに、この映画の題と同じで迷子なんです。
そんな事をちょっと思いました。

映画レビューいろいろですー

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