映画『アンテベラム』
最近観た映画 『アンテベラム』はとても凝ったつくりだった。
この題となっている Antebellum は、ラテン語由来の英単語。
ante は before で、bellum は war である。言葉のとうり、before war で戦前の意味。
アメリカでは、南北戦争前を主に示す単語。
けれど、これ単純に題名のままの意味ではなかった。現代と過去が交錯している話。
“あれ!?ここっていつのどこなの!?”
と多くの人が思うはずの作り。
そして最後には種明かしがされる。
南北戦争を題材にしていることには変わりないが、社会派の差別問題をテーマとして扱うものをエンタメとして昇華させ多くの人に観てもらう為の工夫がなされていた。
実際、私もオーストラリアに住んでいる間に差別的なものを感じた事は多々あった。
正直、ちゃんと解決されることはないとも思った。
なぜなら、少しの違いで差別的な扱いをする人々はどこにいっても必ずいる。酷い人だと、同じ国から来た同じ人種でも差別をしていたからだ。
当然、こういう類の人達は人種違えば差別してくるのは当たり前で諦めないとやっていられない。
直接、危害さえなければ良いと思っていたし、限度超えるなと感じた場合は、態度と言動で不快感を示すことをしてきた。
オーストラリアは、物凄くいろんな国を背景とした人々がごちゃ混ぜで生活している。
だから現在、国自体は差別的意識には厳しいスタンスをとっていていろんな場面で教育している。
ある程度の教育を受け育ちの良い人は、例え差別意識があったとしても隠している状態だった。
しかし、みんなが差別をちゃんと隠すわけではなかった。あからさまに差別してくる人もいた。
なので、私はこの時代のアメリカの南北戦争や黒人差別を直接見たわけではないが、こういうエンタメが成り立っている背景にはまだ現代も根強く差別があるんだろうなと思っている。
先祖代々、話として受け継がれてきたものが傷痕も受け継いでいる。それは消してはいけないので、こういうエンタメは良いことと思う。
人を順位付けする思想を持っている人は、どこにでもいるだろう。
比較対象をつけて、優劣を判断する思考。
しかし、何が1番良いのだろうか?
それは誰が決めているんだろうか?
この人種はこういうものだ。
だから優れている。または、怠っている。
こういう容姿がいいんだ。
だからこれはダメで、こちらの方が良い。
「肌が黒いから赤いリップが似合う」
そう言った人がいたとして、本当にそうなのか?
歪んだ感情がある証拠かもしれないし、なんらかの洗脳を受けたかもしれない。
感覚なんて人それぞれで、みんな違う。
価値基準をどういう人が決めてどう判断しているんだろうか?
それを決めて得する人がいるからに他ならない。
権威主義を作るには、決め事を作ってその基準から離れている人を良くないとすれば、とても簡単なこと。そして権威の上に立つだけで得をする人がいる。しかしそれはとても空虚だ。
内容なんてなくても洗脳さえできれば良い。
それってとても脆い。だって基礎がなくても成り立つでしょう。何らかの仕組みあればできてしまう…。頭使わなくてもバカでもできる。
過去の戦争は認知戦も仕組まれていた。もうマニュアルなんてあるはずなので…
そして戦争は、得する人の方が少ない。
と、いうかいるのかな?そんな人?
勝とうが負けようが、本当に得する人って個人レベルではいないような気がする。
社会的な価値観なんて簡単に変化する可能性あるもんなと。ある時には急に突き落とされるって事もある訳でしょう。過去の歴史を見てもそうなっている。
差別で楽しめる人は愚かものなので、本来は従わずにバカにすれば良いんじゃないだろうか…。
それをするのが良いんじゃないかと、最後のエンディングでちょっと思った。
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