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考えを変える事

考えを変える事ってどう思いますか?

英語を主言語として話す多民族が集まる国では、考えをコロコロ変えるのは特に珍しい事ではありません。

例えば、何か取り組んでいる事がありみんなでそれを解決していく時などは、つい前に言った事が間違っていたと思ったり非効率だと気付けば言っていた事をコロッと変える事は特別な事ではないんです。

これは、まだ解決策が見つからない事をみんなで探していこうとか新しい事を始めようとかそういう時に非常に役立ちます。

私自身、考えを変える事は別に悪い事ではないと思っています。それは私が元々、理系で新規開発とかベンチャーとかそういうのに興味があり、色々経験した事から実感しているからです。

実験で、Aというプランを立ててその後B、Cと進もうとして答えを出すという仮説を建てたとします。しかし、正解がない事の場合はAというプランをしている場合にそれが大して意味なかったとかBをする事は無意味とか分かる事があります。

全て撤回する事もあれば、次に行う事を変える事もあり得るという事。

そして、正解なければどんな仮説でも建つし、逆に言えばどんな考えでも不正解がないので一度は考え直してみる必要がある。これがイノベーションの基本です。

これは、世の中そんなに単純に白黒つけられない分からない事が多いという事からも、色んな考えを取り入れていってより良い強固な社会を創っていくという点では重要な考え方ではないでしょうか。。

考えをコロッと変えると、信用できないとか思う人が日本には多い気がします。しかし、それは多様性を受け入れるという意味でも邪魔になる成長を止める一つの原因になるのではと思います。

色んな国の人と接してもそれは明らかに分かる。

昨日言ってた事を今日も言っていなければいけない。それでないと信用されないのでしょうか?

状況は刻一刻と変化する。
時代や環境によりベストな方法は変わる。
それなのに1つの方法に固執する。

その方が本来であれば自然でなく異様ともとれる。流れに沿っていないからです。

ちっとも変える事を許容しない人が多いのは、自分が前言ったことを間違ってると思われたら恥ずかしいとか、それに加え他人の目を気にしている人が多いという側面も日本の場合は割とあると思っています。

前は状況がこうだったけど、調べたらこっちの方が良いから変えてみよう。

こっちが正しいと思ってたけど、違ってたからこれは辞めてみよう。

そういう柔軟性って大事ですよ。

同じ事を主張し続けるのってそんなに重要なのだろうか?

変な事でもずっと続けるのは何故だろう。。

今の日本でそう感じる事は非常に多いです。

科学分野のイノベーションでも私は過去の経験から思う事があります。

一度、仮説を建ててそれを証明するために意味もない実験で時間を浪費した経験があるからです。そしてそれは結果、金の問題にも繋がる。

結果ありきの目的なんです。

Cという結果を得たければそうグラフを描くように実験するとか、その逆でCを否定したければそれに沿った結果をまとめるよう努力するとかそういう事が行われる事もある。

綺麗な計画とそれに沿った結果を見せるための実験。決して目的を達するための実験ではない。

真のイノベーションでは失敗の連続で、整ったデータなんて得られない場面も多いから逆行してるんですよね。

しかし、論理的思考がない人を説得するための見せる結果が必要な訳です。結果が綺麗に出てると感じなければ、予算出さない人も多いし、その研究を否定したり批判する人が多いからです。

本当な無駄な事が必要になっていて、こんなバカな事は本来はあってはならない訳です。

だから私は、綺麗に揃ったデータあっても分からない事はめちゃくちゃ多いとそう思っています。周りにどう思われるかという視点が中心にある論文ですからね。。日本は、人からどう思われるかを重視しているのでその傾向は強いでしょう。

多民族が見る情報で英語を使って書かれたものを見る重要性はだからこそ非常に強い。

英語が世界で使われている言語であるという事は、常に移り変わる考えを反映しているとも言えるからそれを使う人を知る意味も大きい。

視野を広げる意味でも英語に触れる利点はとても多いと考えています。

同時に、考えは多様にあっていつ変えてもおかしくないという事もわかるんですよ。

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