コラム:私の強迫の種類について
私の強迫性障害の状況について、一旦整理してみようと思う。
またこれは一番ひどい時の話なので、今は生活に支障が出ていない程度まで落ち着いていることをお伝えしておきたい。
種類という観点でいうと、いわゆる洗浄強迫、確認強迫がメインを占めている。
これは今もそうだと思う。
一番ひどい時は、手を洗うこととお風呂に入ることが苦痛で仕方なく、それぞれ1時間、6時間ほどかかった。またこれらに時間がかかり精神的苦痛が大きかったせいで清潔にしたいと思う反面、お風呂にも三週間に1度ほどしか入れず、トイレも不潔と思いなかなか行けずに我慢した。
トイレにいざ行くと5〜6時間ほどかかり、ルーティンと様々な強迫観念に襲われてトイレから出てくることが出来なかった。
お風呂に入れず自分お清潔に保てないことで自己肯定感も低くなり自信がなくなり、他者に迷惑を書けると思い、外出もなかなかできなかった。
それに加えて、確認強迫で自分の中ルールが決まっていたのでそれをこなさなければ外出はできなかった。家の戸締りや水回りの確認に長い時は、用意が全て終わってから30分以上かかった。
出かける前に疲れて結局外出ができなくなる時もあった。
次に、特に高校生の時に加害恐怖が始まった。
当時、自転車で学校に通っていたのだが誰かを轢いてないか、轢いていないにしても事故のきっかけを作っていないかなど気になり、何度も来た道を確認するために戻ったのを覚えている。
大人になり車の免許を取りたい気持ちもあるが、人の命に関わることと思うと今でも強迫観念が強く出てきて、確認や加害の恐怖に襲われる。
また今でも習慣化しているのは数字に関する強迫だ。
とにかくなんでも回数を数えてしまう。
そして自分のしっくりくる回数(だいたい3)で辞めることが多い。
そんな感じで常に「意識的」に行動しなければならないため、ほぼ無意識状態でできることがなくなった。
するとやはり精神的にも、体力的にも疲れてしまう。
以上が私の強迫観念・強迫行為の種類についての説明だ。
人によってこれらの種類はそれぞれだし、その度合いも違うだろう。
しかしのちに別の記事で書こうと思っているが、一旦このように自分がなんの強迫と付き合っているのか、それぞれどのような症状があるかを明確化するという取り組みは治療にとても重要だと私は思う。
病気を客観視するということがとにかく重要なのだ。
しかし本当に苦しい時はそれが厳しいこともあるだろう。そのような時は、家族にこっそり病気の記録として日記をつけてもらうことをおすすめする。
私の場合、病気が良くなってきてから知ったのだが、母がノートに私の様子を綴った日記をつけていた。
私はその存在に大いに助けられながら、自分を客観視して病気と向き合い、うまく付き合うことができるようになった。