#020知的障害重度の自閉症、再び企業で障害者雇用のチャンスが①
一部上場上場企業の
障害者アーティスト採用の
オファーを入社式二日前に
辞退した2022年3月30日。
結局は〇〇不足。
彼のステージに合っていない
就労だったのだと思います。
無理に入社しても。
うまくいかないだろう
ということは目に見えていた。
彼の実力不足、
というわけでもない。
彼の現在持っている
力や可能性が
企業の求めるニーズに合わなかった
ということでした。
そもそもなぜこのような
「入社式2日前」というタイミングで
辞退するような事態になったのか?
お話していきます。
詳しくはこちらに書いています。
↓ ↓ ↓
(デリケートな内容を含んでいるため有料化しています)
障害者保護者のよくないあるある
「うちの子は障害があるんだから」
「障害児を育てて大変なんだから」
「国が面倒を見るのは当たり前」
「福祉がお世話してくれるの当たり前」
って、一度は思ったことありませんか?
私はありますねー。
そして。
障害者グループホームで
私も現在働いていますが、
そういう感覚の保護者様は
多いなぁ、と感じます。
ずっとその環境の中にいたら
そう思ってしまうのも
当然と言えば当然な話しで。
一生福祉に面倒を
見てもらうなら。
それが楽だし。
税金でまかなって
いただけるので、
大変ありがたい。
それに乗っかるのも
いいかもしれません。
実際大変なのだから。
でも。
一人の人間としての
幸せの観点から考えると。
自分の力でお金を稼いで
自分で好きなことをして
自分の力で生きていくことができる。
我が子には自由な
人生を送ってほしい。
と願うのが親心。
それが出来るなら。
それは幸せなことだと思います。
誰かの尺度ではなく自分の〇〇
「どうせ知的障害重度だからムリ」
と、保護者が諦めていることは多いですよね。
私も思っていました。
ムリゲーでしょ、と思ったこと。
特別支援学校の入学説明会で。
定員がいっぱいだから。
特別支援学校のスクールバスに
高等部の生徒は乗車するこは
出来ません。
と言われた中3の夏。
一人で公共機関を利用して、
乗り換えして一時間かけて
通学するとか。
知的障害重度なのに。
絶対にムリだろー!
って思ってました。
でも、やるしかない状況だったのです。
身に付けられるよう
工夫して支援すれば
それは不可能なことでは
ありませんでした。
本人の特性を見て、
本人に合った方法で
丁寧に関わっていけば。
きちんと身に付きます。
誰もが成長する可能性を持っています。
「知的障害重度だから」と
「この子に出来るわけがない」と
周りが決めつけていませんか。
本人の様子を見て
試行錯誤しながら。
やるだけやってみるという
チャンスも与えられず。
そのまま大人になってしまう子供の方が不幸なのでは?
と、思わずにはいられません。
※障害の程度には個人差があります。うちの場合です。
コチラの記事もご覧ください。
↓ ↓ ↓
Kも幼少期は多動がひどくて
すぐ行方不明になったりしてました。
Kが5才の頃
妹は2歳、弟は1歳。
小さい下の子たちと
多動のKも抱えて。
いつも気を張って。
いつも疲れ果てていました。
でも。
どう関わっていくかで
10年後は全然変わります。
自閉症って〇〇だよね?
知的障害って。
自閉症って。
誰かの尺度で決められた、
客観的な判断だよね?
自閉症 = 過集中、真面目、思慮深い、ルーティンが苦ではない。
と、プラスの面の特性を
活かして生きていければ。
Kは言葉を発しないので
診断は重めに出ますが。
本人にわかるように
簡単な言葉で伝えれば
おおよそは理解することが
出来る様子。
私が仕事で実際に
関わる利用者さんたちも
全く発語はなくても
「本当はわかっているでしょ?」
と感じる方は多いです。
アインシュタイン
エジソン
ダーウィン
モーツァルト
ゴッホ
など、歴史に名を遺した偉人たちも。
(男性が多いですね)
実は発達障害だったのではないかと言われています。
エジソンは1000回失敗しても
発明をあきらめなかったそうです。
彼らは己の個性を
「障害」ではなく
「特性」として。
それを最大限に
生かしたのでしょう
一般就労ということは
高三の春。
Kにチャンスがやってきた。
チャレンジすることになった。
でも、今一歩、
Kの力が及ばなかった。
企業に所属するということは?
企業は利益を出してなんぼ。
福祉やボランティアではありません。
しっかりと会社に貢献できると
認められた人材でなければ
採用はしてもらえません。
それは一般人の雇用にしても
障害者雇用にしても同じ。
多少の配慮はあるとしてもね。
必要な部分のサポートはあると
聞いていたのですが。
仕事に関するサポートのみで
日常の生活に関することは
自立が必須です、ということ。
日常生活面の自立に関しては
ほぼ出来ていたが、完全に
サポート無しでは難しかった。
自立が必須
例えば。
①体調悪い時に
自分から発信できない
→ 特別支援学校では、先生が声をかけてくれていた。
②電車が遅延して
遅刻した時などに
自分一人で対応できない
→ 母が送迎したり、休ませていたりしていた。
その場しのぎの対応しか
していなかったのです。
そうなると。
何かあった時は家族が
対応するという保証がなければ
企業側が労災などの
責任を負う必要がある。
なので。
そんなリスクのある人より
自立度の高い人を
雇いたいですよね。
自分が雇用主だとしてもそう思います。
知的障害重度なんだから。
当然サポートしてもらえる
ものだと私は思っていた。
今振り返ると。
企業の言い分は当然のことで。
企業の障害者雇用を受けるには。
あの時点のKでは今一歩、
力が及ばなかったのでした。
そして。
支援してもらうことが当たり前だと
福祉にズブズブな
私の認識不足の
甘さのせいでした。
入社式二日前に
入社辞退することになり。
その時は目の前が真っ暗になりましたが
あれは大変痛い
学びの機会となりました。
企業にも、Kにも
大変な迷惑をかけて
しまいました。
自立訓練事業所へ
そして4月から自立訓練事業所に通って半年。
絶妙ないい距離感で
支援して下さる職員の方々
利用者さんたちも
穏やかな方が多く
社会人という集団の中で
いろんなことを学び
大きく成長したK
①〇〇ができませんでした。
特別支援学校でも
取り組みましたが。
うまくできるようには
なりませんでした。
靴ひもがほどけたくつを
履いている場面があり。
安全面を考えても、
やはり蝶結びを
できるようになった方が
良いということで。
毎日取り組んだところ
一か月もかからずに
出来るようになりました。
本人が安定して学校に
通えることが大事だったので。
あまり必要性のない出来事は
私が先回りをしてやってしまい
すっ飛ばしていたのですが。
社会人になって。
精神的にも頼もしくなった今。
今が彼にとって学びの時期、
だったのだと思います。
②社会人の集団の中で
学生の時はみんな同じ年齢。
でも、社会人となると
異年齢の集団の中で
いろんな関わりがあります。
朝の体操の時間になっても
起立しない利用者さんに対して
「立って下さい」
と言葉をかけたり。
職員さんが言っても
起立しない他利用者さんも
年下で同じ立場の利用者から
言われたらバツが悪いのか
素直に聞いてくれたり
Kさんが来てくれたことで
この事業所にもいい
刺激となっています
と言われたことがありました。
学生の時はどこか
おどおどしていたK
社会人になってからは
堂々としていて
頼もしさを感じます!
③年相応の楽しみ
事業所の他利用者さんたちと
カラオケを歌って
楽しんでいるようです。
しかもカラオケの
楽しさを覚えて。
いつも1番手で
歌っているそうです!
「Kくん歌詞完璧ですよ!」
と。事業所さんが。
私が願っていた
「年齢相応な楽しみ方」で。
まさに今、青春を
楽しんでいます(^^)
④気遣いの言葉が!
事業所さんで昼食を無料で
提供して下さいます。
福祉はやっぱり
大変ありがたいです。
自立訓練事業所についてはコチラ ↓ ↓ ↓
そして自分で使用した食器を
食後に自分で洗います。
食べ終わった人から
順番に洗うそうですが
まだ食器を洗ってなくて、
キッチンが空いたことに
気付いていない他利用者さんに
「キッチンが空いたようですよ」
などと声をかけたりするそうです。
どの口が言ってんの?!
と、びっくりしました。
そんなこと言うんだ~!
本当にビックリしました。
信頼できる方たちと
安心できる環境で過ごすと
本来の自分を出せるのか。
これが本来のKの姿
なのかもしれません。
毎日遅刻することなく
週5日、事業所さんに通って
半年経った頃。
再び就労のお話がきました。
次回に続きます。
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Kの芸術活動や自閉あるある等
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