☆自己紹介☆
はじめまして、みーこです。
建築関係の会社で働きつつアルコールインクアーティストとしても活動しています。建築の仕事とアーティスト、どっちも本業のパラレルワーカーです。
2023年はアートを始めて3年目で海外の展示会に出展することができ、私自身も人生初のパリへ行くなど、
自由に働き、好きな事をやって
軽やかにやりたい事をどんどん現実化させる
という、自分も周りも驚くような人生を実現しています。
もちろんそれまでの人生も
高校卒業後にアメリカへ留学、社会人になってからは旅行会社、通販会社で広告宣伝・Webのお仕事、工務店でのインテリアコーディネーターなど多様な職種をこなす順風満帆な人生でした。
しかし!
器用に順風満帆な人生を送っている風でも今とそれまでとは内側が違うんですよ。
元々の私は引っ込み思案で怖がりで
人と接することも目立つことも苦手
やりたい事も成し遂げた事もなく
人としての厚みもない空っぽでつまらない人間だと思う程
自己肯定感の低さは底辺中の底辺
人目を気にしてカッコ悪い自分
できない自分を必死で隠して
負けず嫌いの気持ち1つで自分に鞭打ち続けて
「傍から見ると順風満帆な人生」を演じてきたんです。
そんな人生は長く続くわけもなく、無理をし続けてやってきた
強制終了!
そこからいかにV字回復させ、
今の人生に好転させたのか
私の経験が誰かの気づきになり
前向きな一歩を踏み出すきっかけになれば
と思い、ネット上に自分の背景を綴るのには抵抗がありましたが
私も一歩踏み出してお話ししますので
最後までお付き合いくださると嬉しいです
「地元じゃ優等生」を演じた幼少期~中学時代
生まれたのは田んぼが広がるのどかな田舎町
父は会社員、母は専業主婦、3歳上の姉と祖父母と暮らすいたって普通の家庭
人見知りな私はいつも母の後ろに隠れて
言いたい事が言えない内気な性格で
ぬいぐるみや人形でおとなしく遊ぶタイプ
反対に姉は虫取りや魚釣りなど男の子の遊びを好み、兄なのか?と思うほど活発な女の子
そんな我が家の雰囲気が一変したのは姉が不登校になってから
私が小学校に入学して間もない時でした
田舎なのでそういった噂はあっという間に広まり
両親が何とかしようと心を砕く姿
「不登校の子の妹」として私を見る担任や周囲の大人の目
それらを敏感に感じ取って思ったのは
「姉と同じになって両親に心配をかけるわけにはいけない」でした。
辛い事や嫌な事があっても言わなくなったのはその頃からかもしれません。
幸い勉強はできる方だったので周囲は私を優等生として扱うように
同級生の中には姉をいじめた子の妹もいて
私に対して嫌がらせをしてきたこともありましたが
「大人は優等生を信用する」と学習していたので
それを利用して撃退するという腹黒さを身につけていました。
そんな感じで小中学校ではいじめの標的にならないよう
地味にならず、目立ちすぎず
周囲の動向、自分のポジションには常に敏感
サバイバル感満載の世界だったので
いい思い出の時代ではありません。
自分らしく生きられた高校~大学時代
地元の人間関係から離れたかった私が選んだのは
同じ中学出身の子が少ない高校
「大人しい優等生」のイメージを脱ぎ捨てたかったからです。
高校時代は本当に平和
同級生も穏やかでいじめなんかもなくて
授業中に犬が入ってきて寝始めても温かく見守る平和な世界
ダンスがしたくてバトン部に入部して
夏休みが部活だけで終わるのが嫌で退部して
バイトして、推し活のために大阪や東京に行って
普通の女子高生としてやりたい事を全部やっていた3年間でした
そして、大学はなぜかアメリカへ
英語が得意なわけでも
留学したかったわけでも外国に興味があったわけでもないのに
母の目論見と私の目論見が一致した結果
どういう因果か行く羽目に…
(この経緯は特殊な事情のためここでは割愛させてくださいね)
よく分からず、とりあえず行ってみたアメリカでしたが
目にするもの、出会う人、全てが私の世界を広げてくれました。
このアメリカで経験したこと、出会った人達は確実に今の私を助けている。
と言えるくらい、自分の人生を生きようと思った今の私に大きな影響を与えてくれています。
鉄壁の自分を造り上げようとした会社員期
日本に帰国して就職し、入社後にまず感じた事は「私って非常識だなぁ」です。
アメリカにいたので日本の学生たちがやる就活や社会人のマナーや常識の勉強などせずに会社員になった私。
夏は暑いからとノージャケットで出社し、先輩に「ジャケットは?」と聞かれたときの不穏な空気を察知し、「電車に忘れてきました!」と咄嗟に嘘をついたこともありました。
今は夏場のノージャケットは当たり前ですが、当時はクールビズが提唱される前。いかなる時もジャケット着用が常識だった時代に、勝手に時代を先取りして「1人クールビズ」をやってしまった新入社員でした。
そういった失敗がいくつかあり、
「社会人として常識的な自分にならなければ!」
「仕事も何でもこなせるようになりたい!」
そう強く思ってから会社員の世界にどっぷり染まっていったんだと思います。
仕事ができて、空気が読めて、気が利く人になる
そこに意識を向けているうちに仕事も評価されるように。
その裏で「自分」が薄れている事に全く気付かないどころか、当時はそれこそが正しい生き方だと信じていました。
弱い自分、情けない自分、本来の自分を要塞の中に隠して、
完璧な自分を作り上げたとしてもいずれ歪みは生じるものです。
私の場合は、心の奥にある欠乏感、悲しみが「怒り」として表に出るようになりました。
心の中ではいつも何かに怒っていて不機嫌で、
結婚生活は光の速さで破綻しました。
そして、唯一順調だった仕事さえも。
社会人として感情を表に出すのはみっともないと思いながら
理不尽、横暴に対して怒りを制御できずに社長と大喧嘩。
過呼吸を発症して初めて心の限界に気づき退職することに。
家庭も仕事もなくし、積み上げてきた全てが崩壊して生きる気力も失い、
もう何もしたくない
とただ壁を見つめ続ける日々を過ごしていました。
本当はどんな生き方をしたいの?
それまでどんな生き方をしたいかなんて考えたことがありませんでした。
みんなと同じように
就職して、結婚して、家族を作って、老後を迎える
夢と言っても「家が建てられたらいいなぁ」くらい。
既定路線を進むことになっているので考える必要なんてなく、
どうせそうなるでしょ?
みたいな感覚。
ところが、
既定路線すら何1つ満足に叶っていない!
それどころかやりたい事すらない!と気づいたんです。
運のいいことに、シングルマザーでありながら世界中を旅して人生を遊びつくしている方との出会いもあり
コーチングを受けながら
・自分を満たすとはどういうことか
・やりたい事を見つけるにはどうしたらいいのか
・なんでも叶うならどうしたいのか
など自分の本音に耳を傾けるようになりました。
結論から言うと、そこから私の人生は変わりました。
突然大富豪になったとかではなく、体感的には立ち位置1歩ずれたくらい。環境は何も変わらないけど、まずは確実に見える世界が変わりました。
アルコールインクアートに出会ったのもその頃。
それまでアートとは全く無縁どころかそんなものは私の人生に必要ないと思っていた私が今やアーティストに。
アートが心の内を見つめる手助けとなり、縁を繋ぎさらに広い世界へと連れて行ってくれています。
そして、働き方も変わりました。
それまで正社員一択で、毎日家と会社を往復するだけで終わる生活から、自分自身にとって1番バランスのいい働き方に変えました。
人間関係も変わりました。
考えを理解し、尊重し、いつも温かい言葉で応援してくれる
そんな仲間とご縁が結ばれ、それがまた新たな道に繋がっています。
本当に心強くて安心できる人に出会えたことは感謝しかありません。
生き方を変えてもうすぐ3年。
今もまだ上昇の途中です。
noteに書きたい事
私が常々思っているテーマ
「日本の女性の心はもっと自由でいい!」です。
そんなこと言ってもそれはみーこさんだからできるんでしょ?
と言って勝手に一線引くのはちょーっと待っていただきたい!
全員世界に羽ばたきましょうと言っているのではありません。
人の幸せの基準はそれぞれなんです。
住み慣れた場所で平和に暮らす今が超絶幸せ♪
ならそれでOK
ただ、不満はないけど漠然と自分の人生にもやもやを感じる
でもやりたい事なんてないし…
方法も分からないし…
自信もないし…
と言い訳並べて諦めてしまうのが1番もったいない!
みんなそれぞれに素敵な才能や魅力があるのに
気づかず自分の価値を低くみているだけなんですよ。
年齢とか関係なく本気で望めば人生はいつだって変えられます。
noteには私が実践してきたこと、日々の気づきや手放した思考など
自分の人生を生きるためのマインド
ミラクルを起こし続ける秘訣
自分だけの作品を産み出すアーティストマインド
アーティストの悩みと乗り越え方
を書き綴っていこうと思います。
少しでも読んでくださる方の力になれますように。
こんな長文をここまで読んでくれたあなたはすでに素晴らしい!!
最後まで読んでいただきありがとうございます。