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一室で繰り広げられる男たちの見栄 会話劇 映画「スオミの話をしよう」感想

舞台演劇を見ているかのようだった。
詩人で大金持ちの男、寒川しずお(坂東彌十郎)のもとから失踪したスオミ(長澤まさみ)。スオミの行方を追って、寒川の邸宅にこれまでの夫たちが集まり、会話劇を繰り広げる。男たちの会話は、多くは邸宅のリビングのセットのなかで映される。俳優たちの全身を映すロングショットの長回しで、途切れることなく俳優たちのセリフの掛け合いが展開されていく。観客は彼らの会話を近くで見つつ、その行く末を見守るような形を取る。(スオミと草野圭吾(西島秀俊)の回想シーンでやっとこさ連続した切り返しショットがでてきたような気がする。)

男たちは、自分が一番スオミを理解していると主張しあう。スオミはこんな女だった、と。しかし、その像は男たちによってバラバラである。どういうこと?と謎が生まれるが、この男たちの会話が進むなかで、男たちがスオミを自分の理想の女性として「所有」しようとしてきたことがあぶりだされていく。スオミは自分がサバイブするために、男たちの理想の女性としてふるまっていたことが明らかになる。そのことに今までまるで気づかなかった男たち、そして、スオミ救出のために力を合わせようとするが、そこですら見栄を張り合ってモメようとする男たち。この哀しい滑稽な姿とやりとりがこの作品の「笑い」であり肝であると思った。

堤監督の「トリック」のような、ここ笑いどころですよ!というようなわかりやすい小ネタではなく、俳優の表情やしぐさ、立ち振る舞いを中心にした笑いが主だったように思える。そうした意味でも舞台演劇みてるような感じがした。

そしてクライマックス、スオミが男たちにそれぞれ演じ分けてきた女性で登場し、これまでの経緯を独白する。長澤まさみのすんげえ見せ場である。スオミは、草野(西島秀俊)に対して、決して怒らずおとなしく言うことを聞く不器用な女性を演じてきた。なので、草野に反論して強く意見を主張するときは、別の男に対して演じてきた女性を"借りて"演じて言う。素をださない。これが本当に滑稽だし、見ていてうわぁ…て感じで引いた。スオミがすべてを告白し、男たちの元を去ろうとするとき、それでもなお「俺達の中でだれがいちばん好きだった?」と無邪気に聞く男たち。ああ、なんて哀しくて愚か。草野がスオミを見送るシークエンスで、草野だけ男たちの中で唯一これまでしてきたことを理解したのか、それとも...。

楽しい作品と思いました。どきどきはらはら謎解きを期待するとその期待は裏切られるけど、もし目の前で彼らのやりとりが繰り広げられていたら、と想像しながら見ているとすごく楽しかった。エンドクレジットの、長澤まさみの歌唱メロディ覚えちゃった。あと西島秀俊のシュールなダンス最高。へーるしんきーへるしんきー

(おしまい)

追記
ほんなら映画やなくて舞台演劇として作ったらよかったんやないかい、と言われると、まあそうよなあという気持ちにもなる。


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