ライターとして私が私であるために決めたこと
今年もあっという間に1月が終わろうとしている。
年が明けてから、心機一転という言葉をなんとなく並べてはみたものの、正直ライターとしてのやる気をどこかに置いてきてしまったような感じだった。この感情を突き止めるにはかなりの時間がかかったけれど、納得できる答えが見えてきたので書き留めておきたい。
思い描く実績に向けてチャレンジした2022年
ライターとして2年が経った2022年。やりたかったインタビューライターとしてのお仕事を頂けるようになり、さらに実績を積みたいとさまざまな仕事に挑戦してきた。
有難いことに紙媒体や広報誌のライティング、企業との仕事などにも恵まれ突き進んでいた。素敵なクライアントにもたくさん出会えて、今もいい関係でお仕事できているものもある。有難い。一つ一つのことに精一杯向き合っている。
けれど、要求の高さに思い悩み、ライターとしての自信を無くしたこともあった。同時に、目標は達成できたんだけど何か違う…というモヤモヤした感情が生まれてきた。
内に秘めていた自分への引け目
ネガティブな感情をどうにかしたかったのかもしれない。去年の冬は色々な人と会い、話す機会を多く作った。
そんなある日、以前利用したことのあるコワーキングカフェでキャリアコンサルを受けれるイベントを見つけた。
「何かこれからのヒントが見つかるかもしれない」
そう思ってすぐに申し込んだ。
キャリアコンサルは、外資系企業の人事を務める女の方が担当だった。今までの経歴や悩みを丁寧にヒアリングしてくれ、こう話してくれた。
「企画力や行動力はとても素晴らしいんです。ですが、社会人経験が少ないことに引け目を感じていませんか?」
びっくりした。心の奥にあった引っ掛かっている部分をズバリ指摘されたからだ。
実際、20代は育児に専念していたので、社会に出て働くということがなかった。これがコンプレックスとなって自らの足を引っ張っていたのだ。
コンサルを終えて
担当された女性からは、こんな提案をされた。
「フリーランスとしてここまで実績を作ってこれてのだから、採ってくれる企業はあるはず。業務形態に捉われず、どこかの組織に属してみたら?」
子どもたちも大きくなり、仕事に専念できる時間もこれから増えていきそうだ。キャリアはいつからだって作れると自分自身で証明したい。
なので今年は思い切って就活を始めようと思う。
わかったなら、行動あるのみ。
少しづつでも良いから前に進んで行きたい。
ライターとしての私
とはいえ、取材ライターの仕事は好きだ。誰かの思いを文にする事はとても尊い。読んでくれた人が自分の経験に重ねて心が動かされるような記事を作っていきたいと今も思っている。
しかし、だからこそとても労力と時間を使うことも事実だ。
すると、自動的に収入も安定しない。これも事実。
育児は手が離れたと思うと、金銭面の負担が途端に大きくなる。これは、中学生になる長男を見ていて特にそう感じる。
きっと、ここも自分の中の不安要素なんだろう。
取材ライター1本でやっていきたいと以前は思っていた。けれど、これまでの経験から自分のことが少しわかってきて、やり方を変える時が来たんだと感じている。
取材ライターを続けながら全く違う業種を経験することは、きっと自分のキャリアの幅を広げてくれると思っている。
思っていることを外に出してみる大切さ
就活してみようと思っていたものの、年が明けてからも踏ん切りがつかなかった。きっと誰かに背中を押してもらいたかったんだと思う。
そこで、取材ライターを始めた時からずっとお世話になっている中村洋太さんに話を聞いてもらった。
2022年の仕事の話、モヤモヤしていること、キャリアコンサルを受けたことなど一通り話した。
中村さんは私が話してくれたことを整理して伝えてくれた。すると、ここ数ヶ月前に進めてないなと思っていたが、意外と自分なりに進んでいるじゃんと思えてきた。ここ数ヶ月のモヤモヤは何だったんだろうという感じで不安が薄れていった。自分が心の中で思っていたことを話すことで外に出して、さらに人から改めて伝えてもらうことで、自分の気持ちや行動を客観視できたのだ。
すると、自分がこれからどうしていこうか道筋が見えてきた。
予定調和のキャリアはやめた
悩んでいる時の自分は魅力的じゃないと思う。
実際、ワクワクしている時の方が思いもよらぬ話が舞い込んでくるし、
良い発想が浮かんでくる。
社会人経験が無かったことに引け目を感じているのは事実だが、育児に専念できたこの時期に後悔はしていない。
SNSを見れば、色々な情報に不安になることもあるだろう。でも今は遠回りでも、自分が決めた道を進んでみようと思う。
これがライターとして私が今年決めたこと。