決めたいのに決められなかった夏
蝉の声が聞こえ始めたある暑い日。
これは私の過敏がまだまだ強く出ていたときの話。
たまたま定期検診とか市役所に行く用事とかが重なって、一時的な刺激過多になってしまった。
するとその日から3日間くらい、こんなことが起こった。
「あららー?何かを決めるのに時間がかかるぞ」
もしくは「そもそも決められない・・・」
どんなことが決められないかと言うと、例えば
・今使ってる味噌がなくなってしまって、あまり好きな味ではなかったから次は違う商品にしたいのに決められない。
・新しい刺繍を作るんだけどどっちの色がいいかずーっと悩む。
・早く家を出て先にAの用事を済ませるか、Bの用事を済ませるかを決めるのに時間がかかって結局家を出るのが遅れる。
で、3日間くらい決めなきゃいけないことが増えていって頭がパンパンになっていった。
それがだんだんと焦燥感を増幅させていって眠れなくなった。
一個一個はどうでもいい決定だ。どっちを選んだって大差ない。
刺激過多が続いて疲れが溜まっていたんだろう。
だから、4日目にもう、えいやと全部決めていったんだ。間髪入れずに。もう後悔してもいいやと思った。
そしたらめっちゃ清々しい。
「決定することって気持ちいい。」って思った。
いろいろ考えてる時って停滞する。AかBか迷ってる時って最善を考えてリスクを減らしてるように思える。
でも、この停滞している時間とか気分の悪さがめっちゃリスクだったって話。
決めると動き出せるから少しずつでも歯車が回っていく。悩んでいるときは歯車が止まってるから錆び付いてくるんだよね。
それまでは心のどこかで
「決定することは責任を負うからめんどくさい」って思ってた。
決めないで悩んでるほうが安心だって。
だって美味しくない味噌を買ったら損だし、刺繍だって色が気に食わなければやり直すのに手間がかかるし、買い物だって効率よく周りたい。
でも本当は損してもいいから決めて動き出したほうが精神衛生上、軽くなって良かった。
私は突発的に動くことが苦手だ。
刺激が増えるから。
突発的ということは急な予定が増えるってこと。急いだり、他の予定をずらしたり。
そういうのが体質的に苦手で負荷がかかる。
そのことがわかってから
これからは、「刺激を減らすのは最優先としても、悩みすぎずサクッと決めよう」ということを決定した。
決定することは「めんどくさい」から「決定することは気持ちいい」に変える。
そうしたら決定する力がついてきた。