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"白紙"という 解

昔、とある先生の こんな言葉に疑問を感じた。

「道徳のワークシートを白紙で出す子がいるんだよね。」

それを聞いた当時の私は、白紙で提出するのはよくないことなのだと認識した。

でも、心の中の自分はとても反応していた。


今ならきっと言える。

「いいじゃないですか〜!」って。

それがその子の、その時の回答だから!


白紙という解

いろんな捉え方があるのではないかなと思う。

例えば、 

・一生懸命考えたけれど、言語化に至らなかった

・考えがいくつも出てきたが、
何からどう書いていいか迷っていた

・自分の気持ちや考えと、ぴったり合う表現を探そうとしていたら、提出時間が来てしまった

・書くことに勇気がいった

・もう少し考える時間や書く時間がほしかった

・自己開示がまだ難しい

・「こんなこと書いていいのかな」迷って書けなかった

・文字や文を書くことが苦手

・気持ちを表現することに躊躇いがある

・授業が分からなかった

・別のことに気持ちが向いていた

・心理的安全性が低く、自分を語れない状態だった

・いつもと比べて、体調が悪かった

・友達の考えを聞いて、もう一度思考したかった

など

ざっと考えても これだけ挙がる。


白紙にも 『子どもなりの 解』があると 私は思う。


その子をよく観察し、

対話することでみえるものがある。

知れることがある。


子どもと近くで関わる大人として、

いろんな面から 子どもを捉える 努力をしたいなと思う。

観察の視点(みる面)を

大人が増やすことができれば

その子のことを もっと理解することができる。


そして、それは

子どもにとって 必要感のある 授業へとつながる。

授業づくりの 大事な大事な素材になるからだ。

決して一方通行でない 学びの時間。


ただ、観察ってとても難しい。

鍛えるに尽きるから

毎日、毎日、子どもをみて みて みる!


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