手掌多汗症の手術後、20年間の苦悩⑥
⑤の続き
診察の順番までの暇つぶしは
渋谷映画館で『ブレット・トレイン』を観た。久々の映画。
日本の新幹線で破茶滅茶に暴れる内容だった。
やはり、ブラッドピットはカッコいい。
診察時間になり、病院に戻る。
再手術をすると、この代償性発汗から解放されると分かり嬉しかった。
私が切断した副交感神経は、脇や胸のあたりにある神経で、あばら骨で言うと上の方に位置する。
そこを、左右同時に切断したことで、代償性発汗の副作用が酷く現れる結果となったらしい。
再手術は、もっと下にある副交感神経を何本か切断するものだった。
その人の汗の出方によって、どの副交感神経を切断するかは先生が判断する。
まず、右側だけの手術をし、ひと夏を過ごして様子を見、左側の手術が必要なのかを判断するそうです。
しかし、私にはさまざまな壁がありました。
私の手の状態を確認された先生は、これは代償性発汗で間違いないと仰った。
だが、もともと「手掌多汗症」だったという診断を証明できるものがないと
代償性発汗の再手術ができないとのことだった。
つまり、カルテが必要。
または、手掌多汗症を保険治療で行ったという証拠。
保険治療での再手術をするには、これはマストなのだと。
電話で先生が20年前の手術ということに難色を示していたのがこのことだったようです。
私の場合、診断と手術をしたドクターの病院が閉院しているということで
カルテが残っているのかがわからない。
当時はまだ電子カルテではなく、手書きのカルテ時代。
もう一つの問題は、もしカルテが見つかって再手術ができたとしても
20年の歳月で、癒着している確率が高くなるとのこと。
もともと肺がんの専門医だった先生なので、出来るだけ慎重に癒着部分を剝がしていきながら切断する神経まで到達するらしいが、癒着が酷い場合はそこで終了となるんだとか。
癒着は、最初の手術から時間が経過しているほどに可能性が高くなると。
急いでカルテを入手せねば!!
カルテさえあれば、これからの人生が全く違うものになると思っていた。
逆にカルテが見つからず再手術を受けられなかったら、この代償性発汗と一生のお付き合いになる。白か黒か。
診察後、先生の計らいで、再手術を受け経過で受診する男性と面会させてもらった。
その方も、20年前に別の病院で手掌多汗症の手術を受けたことにより、代償性発汗になってしまったという、私と全く同じ症状の方だった。
グレーのTシャツで、代償性発汗が改善された汗の出方を見せてもらうと、羨ましい状態だった。近いうちに、私もこんな状態になって好きな服を着て、真夏のお出かけも心から楽しめる日が来るんだと思った。
この方は、20年前のカルテを入手できたということだ。
その経緯を伺うと、やはり大変だったとのこと。
20年前手術をした病院へ、何度も何度も、電話をかけ、
時間をおいてはまた電話をかけ、それでもその病院からは断られていたらしい。
病院側の立場になっても想像はできる。
20年前の紙カルテを保管していることを前提として、倉庫に眠っているであろう莫大な数の中から、マンパワーでそのカルテを探し出さないといけないのだから。
難しいです・・・と断られるのは普通のなんだと思う。
しかし、その方はその後カルテが見つかった。
なぜか。
その病院の医院長が、山本先生と研修医時代の同期だったことが分かり
山本先生から直接その病院にカルテ開示を依頼したら、医院長が探してみつけてくれたらしい。
羨ましいかぎりだ。
私は、この難題を自分でクリアしないといけない。
代償性発汗を治す方法が見つかったのに、国の保険治療のしくみの問題で治療ができないという現実を受け入れたくなかった。
できることは何でもやってみようと思った。
次回
20年前のカルテ探し
心折れながらも諦めたくなかったから頑張ったけど・・・