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聴こえない親を持つ子どもたちの世界【「コーダ」のぼくが見る世界】読書感想文#20
はじめに
本書を手に取ったのは、図書館の新刊コーナーにあって、表紙のやさしいイラストが目についたから。
そして、「コーダ」を何となく耳にしていたからだなぁと、後から気付きました。
「コーダって何だろう?」本を手に取った時の正直な私の気持ちです。
コーダとは
コーダとは「Children of Deaf Adults」の頭文字(CODA)を取った言葉だ。これは「耳が聴こえない、あるいは聴こえにくい親のもとで育った、聴こえる子どもたち」を意味する。つまり、ろう者難聴者の親を持ちながら、自分自身は聴こえるという子どものことだ。
なるほど。親が聴こえないけど、聴こえる子どものことを「コーダ」って言うんだ。全然知らなかったです。
本書を読んでいて、「コーダ」という言葉が引っかかった理由が分かりました。
それは、最近、映画やドラマで「コーダ」について描かれている作品が複数あったから。
作品で描かれる「コーダ」
NHKドラマ『しずかちゃんとパパ(2022)』では、聴こえる娘を吉岡里帆さんが、聴こえない親を笑福亭鶴瓶さんが演じていました。
このドラマがめちゃくちゃ良かったんですよね。
再放送があったら、確実に観たいです。
アカデミー賞で作品賞、脚色賞、助演男優賞の3部門にノミネートされ、そのすべてで受賞を果たした映画『コーダ あいのうた』。
こちらはタイトルに「コーダ」と入っていますね。
まだ観れていないのですが、とても気になっていました。
『しずかちゃんとパパ(2022)』
たくさんの愛情を注いでくれるふたりにもできないことがあった。それはいつだって、「音」が伴うことだった。たとえば、電話が鳴っても気づかない。それどころか、電話に出て会話をすることもできない。だから、電話に出て、一通り話を聞き、それを両親に伝えるのはぼくの役割だった。
来客があったときも同様だ。役所の人や飛び込みの営業担当者など、両親の耳が聴こえないことを知らない人が訪れたときには、やはりぼくが前に出る。事情を説明し、彼らが話したいことを、音声言語で成り立っている社会からの情報を、聴こえない親に伝える。その行為はまさに「通訳」だったと言えるかもしれない。
テレビから流れてくる情報を伝達する、病院や銀行、保険会社の担当者に対し、親の代理として交渉する、といった場面もある。
コーダは、音声言語で成り立っている社会からの情報を、聴こえない親に伝える「通訳」の役割を担います。
ですが、ここまで詳細に想像できていたかと言うと、ドラマを観るまでは想像できていなかったように思います。
翻訳アプリもあるし、テキストを入力することだって、紙に書くことだってできるけれど、どうしてもこの社会は、音声言語が多いですよね。
自分が想像している以上に、音声しかない場面は多いように感じます。
さまざまなコーダと会って最も感じたのは、相手の目を見て話す人が多いことだ。コーダの多くは、聴こえない親とのコミュニケーションに手話を用いる。そして手話とは、資格言語だ。手で様々な単語を表し、眉や口元、頬、肩なども動かし、話す。そのため、手話で話すときには相手のことをよく見る必要がある。 それがときに、聴者に「好意があるのかな?」という勘違いを生じさせることもある。周囲から「思わせぶりなことをしている」「相手に媚びている」などと批判されることもあるというのだ。相手の顔を見て、目を見てコミュニケーションを取ろうとしているだけで他意はないのに、そんな風に誤解されてしまう。これは、マイノリティであるコーダが抱える困難のひとつだろう。
『しずかちゃんとパパ(2022)』において、吉岡里帆さんがまさにこのことが理由で、「思わせぶりな態度を取っている」と批判されていました。
このことが理由で、女友達に嫌われてしまいます。
こういう役、吉岡里帆さんめちゃくちゃ合うんですよねぇ。。。
親とのコミュニケーションの取り方にも、コーダならではのものがある。 たとえば、親を呼ぶとき、聴者であれば「ねぇねぇ」と話しかけたり、「お父さん」「お母さん」などと呼んだりするだろう。でも、聴こえない親を持つコーダの場合はそうもいかない。だからコーダは、物を投げつけたりする。もちろん、痛みを生じるしょうなものではない。丸めたティッシュのような柔らかい物をぶつけ、気づいてもらうのだ。 テーブルを強く叩き、振動で伝える手段もあったし、電灯を点滅させることもそのひとつだ。いずれにしても、音声以外を用いて親を呼ぼうとする。
この辺りも、電気を点灯させたりと、ドラマで表現されていました。
記憶が薄れてしまっていたけれど、物を投げるシーンもあった気がします。
ドラマを視聴していた時はあまり気にしていなかったけど、そうですよね。
音声以外の方法を考えますよね。
『しずかちゃんとパパ(2022)』もう一度観たくなってきたー!
本当に、とってもとっても、良いドラマだったなぁ。。。
改めて、「ドラマや映画や小説などの作品に描かれる」ということは、「初めて知ることができる」という意味で、とても重要なことだなぁと思いました。
このドラマがなければ、きっと「コーダ」の悩みにも気付けなかったし、そういう人がいるということにも気付けなかったかもしれません。
最後に
「コーダ」について知った今、私にできること
世の中には、本当にさまざまな社会的マイノリティが存在する。仕事柄、それまでの人生では出会ったことがない(もしくは見えていなかった)人たちと話す機会も少なくない。その都度ぼくは、彼らの生きづらさに自分も加担していたのではないか、と自責の念に駆られる。ぼくが生きやすいと感じている環境が、必ずしも彼らに取ってそうとは限らないからだ。彼らが不便さを感じている場所で、ぼくはなにも考えず笑っていたのではないか。 だからこそ、知ることは大事だ。自分とは異なる状況に置かれている人たちの存在を認識すれば、世界の見え方は一変する。なんの問題もないと思っていた風景のなかに、僅かな歪みを見つけることができるようになる。そうなれば、もしもそこで誰かが困っていたとしても、それに気づき、手を差し伸べられる。
本書を読んで、「知ること」の重要さに気付くことができました。
知らなければ、自分基準で物事を見て、疑問に感じることもなくなります。
「知ること」で、当たり前の日常にある”違和感”に、前よりも気付けるようになるのではないかな、と思います。
知って、その後に私は何ができる?
そう考えた時、「noteに書こう。とても微力だけれど、私も誰かが知るキッカケになるかもしれない」「この本を手に取るキッカケになるかもしれない」と思いました。
きっとnoteをしていなかったら、知って終わりになっていたか、身近な人に話して終わりでした。
「コーダ」について気になった方。
少しでも「もっと知りたいな」と思った方。
ぜひ、この本を手に取ってみてください。
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