国籍離脱のススメ(男女論、百田尚樹、税、兵役、「かほく市ママ課」の愚かさ)
【おことわり】これはエッセイであり、インターネット政治評論家(笑)に対する皮肉です。
SNSで政治を語る人々の中には「国」というものを無敵の権力と勘違いしている人が散見される。そもそも国というものは人の寄り集まりであり、支持基盤を失えば統一性をもって維持されなくなるチームであるということを忘れているのではないか(一部の国粋主義者は別とするが、現代における国粋主義者は数が少なく、大抵の場合非合理的で、国民として有能な場合はあまり多くないような印象がある。ネトウヨに無職の中年男性がおおいように。)。
以下に私がネットで目にして眉を顰めた「ぼく、わたしが考えた最強の政治」の一例を書いてみよう。
⚪︎独身は社会保障のフリーライドなので重税を課すべき。そのなかでも男性は結婚したくてもできなかった人が多いので免除すべきで、女性は高望みで結婚しなかったのだから独身女性だけが特別に重税を課すべきである(←信じ難いが本当に言っている人間がいる)。
⚪︎30過ぎて子供のいない女性は子宮摘出(百田尚樹 ニュースソース⇩
https://www.asahi.com/sp/articles/ASSC933HNSC9OXIE00PM.html )
⚪︎↑の発言を受けて30過ぎて子のいない女性は殺して良い(X(旧Twitter) 砂鉄 アカウントhttps://twitter.com/satetu4401?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Eauthor)
⚪︎LGBTは生産性がないので法律婚を制限すべき
⚪︎ 少子化対策として男女に兵役を課し、結婚や子供を作った人は免除にすべき(9条どこ行った?)
⚪︎かほく市ママ課の独身税提言
(https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/f52b53e29ac1feb663a0c9914198def49e0c421c
なお、これは行政の正式な部署名ではなく私的団体のようである。元記事が削除されているように北國新聞の記者のレベルの低さも問題)
⚪︎不妊治療は税金の無駄遣い(X(旧ツイッター)なので削減すべき しちずん3 https://x.com/citizen_dayo)
⚪︎少子化対策として女性の教育及び社会進出制限の提言
引用していてあまりに馬鹿馬鹿しく、こんな人たち相手に言論を展開する価値があるとも思えなくなってきたのだが、一応民主主義政治なので彼らの思想が採用される可能性も0とは言えないし、国とは何か考えるには良い機会であろう(個人的にLGBTと不妊治療に関しては理が全くないと言えないでもないが、個々の主張の妥当性については別に論じることとする)。
彼らの共通点は
「他者の過度な客体化、道具化、尊敬の欠如」「現実の無視」
である。一つ目に関しては他人を自分と同じように考えを持って生きている人間だという認識が薄いあるいは欠如しているということ。二つ目に関して詳述は避けるが、これらの政策、特に侵害行政(独身や子なしにペナルティを課す=行政が人権を侵害する措置)は成功する確率は低い。まず民主主義政治を採用する以上コンセンサスが取れる可能性は非常に低く、受益的行為を除けばそもそも違憲と思える。仮にコンセンサスが取れたとしても具体的措置を足掛かりにして違憲無効の確認訴訟が提起され、立法として破られるのであり、当該立法にかけた金や時間、人員は非常に無駄なコストとなる。また、有名な話だが、独身税については過去にブルガリアで導入されており、少子化は進んだというデータがある。
この手の話題でよく上がるのがチャウシェスク政権の人口増加政策であるが、これも失敗といえよう。ナタリスト的には一時的にでも出生率が増えたことは、とても一面的な見方をすれば成功と捉えるかもしれないが、結局のところナタリストは根本の部分で他者、ひいては生命への尊敬を欠き、他人を国(というのは建前でチャウシェスクは私利私欲のため)の繁栄のために他人を道具として扱ったのである。そのようにして生まれ、粗雑に育てられた子供たちがなぜ自分たちの「味方」になると考えたのだろうか?民はそこまで愚かではない。人口が増えることは味方が増えることとイコールではない。チャウシェスク夫妻は最終的に処刑されており、その罪状を見てもやはり他者を道具としてしか見ていなかった、そのツケをしっかり払わされたなという感じはある(人口増加政策はチャウシェスクの人間性の表れの一つだったと評価できる)。
さて、本題だが、国家とは何か。あえて私の立場を単純化するのであれば、国家とは国民の総体であり、いわばチームである。先に引用した百田尚樹わSNSのユーザーは国家権力を「他人に言うことを聞かせられる無敵の力」とでも思っているのだろうが、私はそれは間違っていると思うし、少なくとも現行憲法や行政法理論を学べば分かる通り、戦後日本の国体はそのような建て付けになっていない。たしかに国という形を保たせるためにある程度の強制力を持つこともあるが、結局のところそれは国民という個人の支持の上に成り立つ権力であり、国民の支持を喪えば無力と化すのである。
では私たちにできる反抗は何か。それは国籍離脱である。もちろん簡単な話ではないのであくまで最終手段だ。いくつか例を挙げてみよう。
まず韓国。兵役があることは広く知られていると思うが、兵役逃れのために国籍離脱をする人が一定数いるそうだ。
https://president.jp/articles/-/80637?page=1
富裕層の国籍離脱。当然ですが、国籍離脱したとしても日本に住めなくなるわけではない。
制度とのいたちごっこではある。
もちろん国籍離脱することによるデメリットは様々ある。特に富裕層でもなく、家庭などの人的基盤のある人にはハードルが高いだろう。特に現代の日本は福祉国家としてかなり手厚いので国籍離脱によって制限がかかるのは大きなデメリットと言えるだろう。しかし、もし自分の人権が侵害されるようなことがあれば、この国に留まる必要はないのだという考え方を持つだけで気楽にはならないだろうか(もちろん国政の健全化のため民主主義的過程で是正されるのが最良ではある)。
もう少し身近な例で言えば、東京に人が集まり地方が廃れた理由の一つがここにあると言えるのではないか。地方が廃れた最大の理由は「つまらないから」と思われるが、要は人の支持を失ってしまったことにあるのだ。かほく市ママ課の愚かさはここにある。国だの地方公共団体など大層な名前をつけられるとわからなくなる人が多くなるのだが、平たく言えばどちらも人の集まりで、コミュニティなのである。みんなで寄り集まって足りない分は出し合って共同体を運営しているのである。子育て支援も周りの協力あってこそ。少子化問題を語ると勘違いした女、すなわち「人がいなければ国は成り立たない=出生に寄与した自分たちに特権的地位を与えるべき」旨の主張をするのが出てくるのだが、それはまさにお互い様であって、自分たちもコミュニティの支援を受けながら子育てをしているのだから、そんな不遜な態度で周りが皆離れていったら困るのはあなたなのではないですか?と言いたい。また、チャウシェスクの部分でも書いたが、産んだ子供はあなたの所有物ではないのだから、子供に自分の支持する社会を支えてもらいたいならそのような傲慢な主張は尚更控えることをお勧めする。出生主義者の子供が反出生主義の立場を取ることもありあるように、共同体が人口を増やすためには単に「産む」だけでは足らず、逆に言えば産まなくとも、支持母体を確保することこそ重要なのである。そこに資するのが思想であり宗教であり信念なのだが。
かほく市ママ課の「おばかママ」は、このような子育て世帯を特権的に扱うようなやり方をするのであれば、そもそも住民が離れていき、税収が減り、結局のところ自分の首を絞めることに気付くべきである。まあ素人には難しい話なのだろう。
先進国は軒並み少子化傾向であり、移民も含め「人の取り合い」になる時代だろう(もっとも、人口生殖技術が飛躍的に発展すれば別である)。転職と同じで昔より気軽に国籍を離脱する人も増えるのではないか。そして国家も、優秀な人材であればあるほどそれを歓迎するだろう。なんせ人手不足だからな。
途中にも書いたが国籍離脱したからと言って日本に住めなくなるわけではない。建前なんてなんでも良いのだ。あまり国というコミュニティに捉われず、いざという時は国を出る選択もあることを頭に入れておいても損はない。