大丈夫。私だからできることをやってるんだから。―今月は深読中止を宣言します!
先月、「深読」をがんばった私。
チャレンジしては挫折、ということを繰り返す自分を脱するために、noteで定例企画化して成功しました。
そして迎えた今月。
あっちにゆらゆら、こっちにゆらゆら。
決まらない、なかなか決まらない。
10月。3歩進んで自分の気持ちに気がついた。
実は先ほどのツイート(あ、今はポストって言うんだっけ?)の後、結局「物語思考」を読み始めた私。
当初この本に抱いていた「やりたいこと見つけよう」ど真ん中な話ではなく、「人生の道のりを楽しもう」的な意味合いが強いことに心動かされ、10月の深読本としてセレクト。
手帳への下ごしらえも始めました。
ところが、だ。
10月はなかなか進まない。
いや、忙しいし。
いや、時間なかったし。
そして昨日は11日。
10月の1/3が経過。
そろそろ取り組まなくちゃね、とエンジンかけようと思ったけど……私ついに、気づいてしまったんです。
……ってことに。
あぁ、他人軸。
◎はて、私は何で深読してたんだっけ?
本来は、
だったはず。
ところが、今月の私といったら、
先月は前者のサイクル(=課題に合った読みたい本が起点)だったので、駆け抜けることができたのに対して、今月は手段が目的にすり替わる典型例。
◎じゃぁ、なんでそんなに深読みしなきゃって思ってたんだっけ?
――この問いでまた気づいてしまいましたよ。
他人軸に突き動かされていたのだ、ということに。
深読を実践する自分軸手帳部員さんは、私が憧れるお人柄の方がとても多いのです。
その方々が、深読みでの気づきをアウトプットする姿を見て、
「わ~面白そう!」
「私もそんな風になれる!?」
「なんか人生よさそうに変わってそう!!」
と、影響されてしまったんですよね。
まぁすごく乱暴に言えば、
とでも言いましょうか。
もっと言えば、深読しないと学びの機会を逸して遅れをとる、とさえ思っていたのかもしれません。今これを書きながら気づいたけど。
今月は深読、中止!中止!!
ってことで。
今月は、深読みを中止することに決めました!
中止中止!!
戦略的中止!!!
そう決めたら圧倒的に心が軽くなりましたよ。
私事ですが、最近少々脳みそが疲れ気味なんですよね。
ビジパレというセッションに参加して、決して得意ではない頭の使い方をしていたり、新しいメディアの初取材のライティングに四苦八苦していたり。プライベートでは子供部屋作りのためのリフォームを終えて、家中のものの配置をあれこれ試行錯誤していたり、片づけたりもしていて。
充実はしているけれど、疲れてもいる。
そこに、(気づいてしまった今となっては)今の私にとって興味度や必要性が高いとは言いにくい本とじっくり向き合うパワーは、残っていなかった。
タスクに完了のチェックがつけられなかったのも、「時間がなかった」「できなかった」のではなく、「避けていた」んですよね。
あの人がやってることを私はやっていなくても
あの人がやっていないことを私はやってる
やらなきゃ~今日こそやらなきゃ~って思ってた時は、今日もやれなかった自分に「あの人は着々と前進してるのに、私ってば…」と自責の念を抱いていました。
けれど、「や~めた!だって今の私はやりたくないし、疲れてるんだもん」って決めた途端に気づいたのが、これ。
――優越感とか、正当化とか、嫉みとかじゃなくて、シンプルな話として、思ったんです。
誰かの姿を見て、私もやろう!って刺激を受けることはとっても素敵だけれど、結果的にそれができなかったからといって、私は何も失っていない。
できないことに目を向けがちだけれど、すごく憧れるあの人とか、すごくかっこいいこの人とかがやっていないことに、私は取り組んでいたりもする。
あ、念のためもう一度言っておくと、比較して安心するわけでもなく、比較して立ち位置を確認するという意味でもなく。
自覚している以上に「私ができることをやっている」「私だからこその何かをやっている」というその事実が日常のあちらこちらに確実にあるんだよな、という話。
そう思ったら、「今月の深読はやめちゃったけど、こうやってちょいちょいnote書いてる私、すごいじゃん、なかなかできないことよ」なんて思えたりもするわけです。
おしまいに
「やめちゃう?ほんとにやめちゃう?やめちゃおっか!?」とゆらゆらしていた昨夜。
過去のツイートを遡ったら、こんなのに遭遇。
そう、そうなんだよ。
私、同じ道をぐるぐるしてるな。(笑)
今日も私は、私にしかできないことに取り組んでいるのだから。
今日の一日は、私以外誰も体験していない価値あるものなんだから。
やりたかったら深読すればいいし、
読みたいなら深読に向いてない本を手に取ってもいい。
深読、中止ーーーーーー!
あ~、すっきりした!