相模湖で昭和にタイムスリップとタイムカプセルのはなし
わたしとパートナーは旅行とお酒が好きで、これまで一緒に色々な場所に出掛けてきた。
中でも思い出深いのは相模湖旅行だ。
ー 昨年のゴールデンウィークに相模湖へ行った時のはなし ー
相模湖に着くと、ベタにボートに乗って魚釣りをした。
「魚が釣れたら一緒に料理をしよう。」
その日はキッチン付きの宿を予約していた。
ボートのオール操作が難しかったり、ルアーが木の枝に絡まったり、釣り初心者の我々はハプニングに襲われながらも楽しんだ。
そしてルアーに魚が食い付くのを待ったけれど、一向に釣れずに宿へ向かうことにした。
竿を持って満面の笑みで【大量に魚が釣れた風に】写真を撮ってから。
「いらっしゃい、こんにちは!」
辿り着いた宿から出てきたのは、超ミニスカートの豹柄のボディコンドレスを着た女性?だった。
胸からウエストにヒップと目のやり場に困る上に、足にはストッキングを纏って自信満々に露出をしている。
推定年齢50〜60代。
「こっ、こんにちは。よろしくお願いします。」
わたしとパートナーは目を合わせ、苦笑いをしながら挨拶をした。
一通りの説明をしてくれると、女将さん?は去っていった。
「ねぇ、ボディコン姿に誘惑されてない?」
「さっ、されるわけないよ。なんだか様子がおかしいよ。」
「うん。あの方、おばさん?でも筋肉質な足に低い声はおじさんにも思える、、、まぁ多様性の時代だしね。どっちでもいいか。」
「そうだね、料理でもしようか。」
感じとしては綾小路きみまろさんをイメージさせた。
我々は近くのスーパーで調達した食材で調理を開始することにした。
ガラガラガラーー!っっ!!!
音がする先を見ると、女将さん?がまた戸の前に立っていた。
「昨日のお客さんが卵を忘れていったのよ、良かったら使わない?」
「あっ、ありがとうございます。」
卵を譲ってくれ、また女将さん?は去っていった。
「ビックリしたぁ。やっぱり男性じゃない?あぁ、気になる。。」
そこからおじさんなのか、おばさんなのか真相は闇の中で、我々は[おじば]さんと呼ぶことにした。※もちろんご本人の前では言うはずはない。
ガラガラガラー!っっ!!!
おじばさんはまた元気よく戸を開けて、親切にバスの時刻表を置いていってくれた。
もはやイチャイチャする隙を与えない訪問ぶり。そして訪問するたびにナイスバディーを見せつるみたいに。
どうやら宿の隣に住んでいるみたいだ。
翌朝も早くから、宿の前をパタパタとサンダルで歩き回る音がした。多分おじばさんだろう。
目を覚まして庭先に目をやると、昨日のおじばさんのボディコンドレスとストッキングが、朝日を浴びながら気持ちよさそうに干されているではないか。
我々の眠気は、ボディコンの豹に一瞬で食べ尽くされた。
「おじばさんて一体なんなん?!笑 今日はどんな服を着て来る気なんだろう?笑」
「宿の庭でなく、自宅のベランダに干してくれーーーーーっ!!」
ガラガラガラーー!っっ!!!
「おはようございますぅ」
おじばさんは、またもや超ミニのボディコン姿だった。一体何枚持っているのだろうか。
ボディコンドレスなんて着ている人を初めてみた。そう言えばいつの時代の話だったのだろう。
それでもおじばさんは世話好きらしく、どことなくまた会いたくなる人柄なのだ。
未だに我々の会話の中ではおじばさんがよく出てくるし、また会いたいと思っている。
ー つい最近相模湖に行った時のはなし ー
綺麗な紅葉が見たくて、再びパートナーと相模湖に出掛けてみた。
相模湖駅は、東京の高尾駅から電車で一駅。
駅には大きな商業施設はない。昔ながらの小さな商店が立ち並び、まるで昭和にタイムスリップしたみたいな感覚になる。
湖前は小さなテーマパークのようになっており、昔流行ったゲームコーナーや射的場が立ち並ぶ。
ソフトクリームの売店があって、家族で営む定食屋もあった。昭和ノスタルジーを味わうには最高の場所だ。
わたしたちは1年前から、おじばさんだけでなく相模湖の虜になっていた。
今回は湖周辺の紅葉を愛でながら散策し、イタリアンレストランでランチをすることにした。
空気が美味しく、歩く度に日々の疲れが抜けて行くのを感じた。
目に入る樹々の鮮やかな黄色や赤色は美しく、頬をかする風は冷たかったが陽射しは暖かかった。
秋を感じて歩くこと40分程でイタリアンレストランに到着した。
レストランの窓からは紅葉と相模湖が一望出来、景色だけで一日中飲んでいられそうなほどの絶景だった。
ビールとピザとマリネを頼んだ。食事を楽しみながら、パートナーは前日に行った同窓会の話しをしてくれた。
そのイベントは小学校の時に埋めたタイムカプセルを30年越しに開けるというもので、カプセルの中には当時の彼が大人になった彼へ宛てた手紙と、保護者から大人になった彼に宛てた手紙が入っていたそう。
「お母さんは手紙になんて書いてくれてたの?」
そう聞くと、「それがさ、親父からだったんだよ。」と返された。
「家に帰ったら見せるよ」
わたしたちは食事を楽しみ、相模湖温泉に寄って帰ることにした。
温泉に浸かると更に疲れは湯の中に溶け出し、また始まる月曜日に向けて身体は万全の状態となった。今日も良い旅だった。
「これだよ。」
家に帰ると彼はわたしに手紙を差し出し、何か秘密を知る時みたいにドキドキとワクワクした感情が入り混じった。
「大人になった僕へ」
可愛らしい文字で、少年は一生懸命に大人になった自分に宛て筆を走らせたのだろう。
「大人になった僕はどんなだろう。会社員か、野球選手か。野球選手になりたいから練習もいっしょうけんめい頑張る。大人になった僕はアルバイトもしているかもしれない。そしたらそれなりに頑張る。」
なんとなく彼らしいなと思った。
「頑張って書いたね」って。当時の彼に伝えてあげたい。
お父さんからは、息子が大人になった時の想像と期待と、手紙を書いた時の情景が綴られていた。
「私はいま入院する病室にいて、目の前で君はお母さんとオセロをしているよ。君は負けそうで、今にも泣き出しそうだ。」
光景が目に浮かび、とても素敵な手紙だなと思った。ありきたりの言葉は誰にでも書ける。
けれど、その時に見た光景はその人にしか書けない。子どもを見守る父親の姿を思い浮かべると、こんなに暖かい手紙はないなと胸を打たれた。
彼のお父さんは昨年の冬に病気で他界している。
彼は数年看病もしていて、ネガティブな気持ちになっていた時もあったけれど、30年越しのお父さんからのクリスマスプレゼントのように感じた。
手紙の最後には、「地位や権力なんて関係ないから、人生楽んで生きなさい」と綴られていた。
封筒の宛名はお母さんの美しい文字で彼の名前が書かれていた。
30年前の子ども時代も確かに愛されて育ったのだなと暖かい気持ちになった。
紅葉の赤色みたいに。