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ジェットコースターでは手を放す

以前、作家の本田健さんが話していたことがある。

人前で話すときなどにあがっちゃう時は、もっとあがろうとしてみるといい。

実際試してみたら、もっとあがろうとするとあがれないものだし、それをやっているうちに緊張が解ける。

これってあがることへの対処だけでなく、人生にもいえちゃうのかなと。

おととい、昨日と波乱万丈人生の処し方について考えていて。波乱万丈を穏やかにしようとするからもっとどつぼにはまる。

だからもっと波乱万丈にしてやろうとしたらどうなるだろうと。

ピンチが来た時に、やばい、と思うのは穏やかな人生目線だ。波乱万丈人生を選んだのであれば、しめしめという結果だ。思い通りなわけ。もちろん表層意識で選んでるわけじゃないから、感情は焦る、怖い、不安マックスになる。

ここで、もっと波乱万丈に色を加えてやれ、とか、波乱万丈人生ならどういう選択する?と考えると、焦る、怖い、不安を発していた自分と違う自分の目線になる。

おもしろがれるというか。

昨日もジェットコースターの例をだしたけれど。ジェットコースター好きは頂上から滑降するときにわざとバーから手を放しわざと顔を上げ、スリルとか疾走感とかをもっと感じようとする。

きゃーって言いたい人はメリーゴーラウンドには乗らない。キャーって言いたいからジェットコースターに乗る。

自分はメリーゴーラウンドに乗りに来たんじゃなくてジェットコースターに乗りに来たんだなとあきらめ、だったらその体験を味わい尽くしてやれと手を放す。

ピンチが来たときに、穏やかな人生に向かう人として選択をするのか、波乱万丈な人生を楽しむ人として選択するのか。それすらも本当はたぶん、決まっているから選ぶべきものを選んじゃうんだけれど、思考と感情を一致させて自我の人生を楽しむなら、この手放しは有意義なんじゃないかな。


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