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人生って恍惚を探し求めることなんじゃない?

突き抜けたい。
突き抜けたいのに分厚い靄にとらわれて、勢いと方向を失い失速する。

人生はずっとその繰り返しだ。突き抜けるというのは有名になるとか、超金持ちになるとか、記録を残すとか、偉業を果たすとかではない。

そういう外に現れる突き抜けじゃない。

トゥルーマンショーという古い映画がある。主演はジム・ケリー。主人公は自分の人生を生きているつもりだが、実は彼の人生は生まれたときから24時間毎日テレビのリアリティーショーとして放映されていたのだ。

家族も、住む町も、周りの人も全員役者でセット。

彼はやがて違和感を覚え、海へこぎ出して外の世界へ出て確かめようとする。

私にとって突き抜けるは、この外の世界に出るのに似ている。

張りぼての壁を突き破って本当の世界の空気を吸いたい。たぶん、子どもの頃からこの感覚はあって、だからこの映画にひかれたのかもしれない。

ただ最近まで、この突き抜けた感は張りぼての中で求めるべきものだし、得られるものだと思っていた。

プライベートジェットに乗るようなお金持ちになったり、国連事務総長になったり、ハリウッドのトップスターになったり、そこまでしなくても、庶民レベルから1段階でもセレブな世界の住民になれば、張りぼての向こう側の空気を吸えるんじゃないかって。

だから今の自分じゃないワンランク上の自分になろうとあがいた。

でもそこそこお金持ちだったり、そこそこ有名だったりな人たちもやっぱり、張りぼてのこっち側にいるってことが薄々わかってきた。

どうやら外が問題じゃないんだなというのがわかり始めた。

張りぼての壁は自分の中にある。自分が世界はここまだと境界を作り、それを越える術はないと決めている。

とはいえ自分の作ったセットの張りぼて、どうやったらつき抜けられる?

突き破ったらたぶん、恍惚だろう。

そう、わたしは恍惚を味わいたいんだ❗️

私だけじゃない。人は皆、恍惚を味わいたくて上を目指してる。

美味しいもの、楽しいこと、SEXもスポーツも学びも、夢中になるのは恍惚に近い体験があるから。恍惚はたぶん、天国や真我にある感覚と近いんじゃないか?だから生まれてきた人間は皆、恍惚を求める。

でも恍惚になれることなんて、張りぼての内側では滅多にない。だから、それに近いことで満足しようとする。でも外側の刺激から得られる恍惚はその刺激が消えれば消える。

私は恍惚を体験したい。本物の。外からの刺激ではなく、内側から生まれる永遠のいつでも得られる恍惚に。

だから突き抜けたい。内に内に。内側で突き抜けたら外側も突き抜ける。突き抜けたらどんな空気を感じるだろう。

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