『目をあけてごらん、離陸するから』(大崎清夏著)書評|自由への旅路
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ページをめくるごとに、まるで作者と一緒に旅に出ているよう。エッセイ、日記、小説などのさまざまな文章を通して作者が見てきた世界に入っていく。
「ミニシアター系の映画を浴びるように観てきた」という作者は、新卒で入った人材派遣の会社を辞め、27歳で映画宣伝を中心に扱うウェブ制作会社に入る。仕事で携わった2010年のフランス映画祭のために来日したジェーン・バーキンは、まるでおまじないのようなメッセージをティーチ・インで日本の女性へ伝えてくれたという。
自由になれ、自由になれ、自由になーれ。
そののち作者は詩人となり、詩祭など言葉にまつわるイベントのため各国へ赴く。南米エクアドルのグアヤキル。バルト最大の温泉地であるリトアニア。音楽が印象的なキューバのハバナなど。自分の言葉を携えて世界に渡り、友だちをつくり、その時々で感じたことを、バリエーション豊かな文章で表現している。
作者は「詩」の説明をするときに、「物語にもなれる、歌にもなれる、言葉の源流を流れる表現なんだ」といっていた(実際には伝えられなかった、と作中にあるが)。確かに詩には独特のリズムがあり、その流れに乗って私たちの耳に物語が届く。さらにこの本から感じられたことは、「言葉の源流」は各言語ごとにあり、それらはひとつにつながっているということ。母語とは異なる言語の詩を素敵だと思うのは、ひとつの源流から湧き出てすぐの、まだ何も混ざっていない言葉だからなのかもしれない。
「なぜかっこいい女がかっこいいかと言えばそれは、彼女たちが自分のかっこわるさから目をそらさないから」。作者は唱える。そして、詩人と名乗ることは作者にとって、「いまの私をもっとも裸の状態で、包み隠さず見せる」ことだという。作者が詩人でいることは、かっこいい女でいることと同義なのだろう。言葉の源流が作者を解放し、かっこいい女へと飛躍する軌跡を、この本は記している。
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読書会での書評