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読書記録㉒『わたしに会いたい』西加奈子著
図書館で、西加奈子さんの一番新しい本に出会えた。迷うことなく本に手を伸ばした。少し前に彼女の話題作『くもをさがす』を素通りしてしまって以来、全くお目にかかれていない。チャンスは逃してはいけないのだ。
『わたしに会いたい』は8話からなる短編集。あらすじ、感想と一話一話述べていこうと思う。では、目次から書いていく。
【目次】
・わたしに会いたい
・あなたの中から
・VIO
・あらわ
・掌
・Crazy In Love
・ママと戦う
・チェンジ
1
表題作にもなっている『わたしに会いたい』。主人公の未唯は四人姉妹の末っ子。姉妹は全員父親が違う。身体が小さいミィは(のちにそれは骨の病気で、一生治癒しないことが判明)姉たちから、からかわれてばかりいた。ミィには仲のいいイトコの男の子、モトがいて、叔母に合鍵を許可されしょっちゅう遊びに行っていた。ある日を境にミィの周りに、もう一人の「わたし」が姿を現すようになる。ミィは「わたし」に会いたいが、「わたし」を目撃するのは周囲の人間ばかりで、会えない。モトは「わたし」をドッペルゲンガーだといい「会ったら死んでしまう」という。
生きづらさを抱えた主人公たちが、静かに強く成長していく物語。
印象的だったのは、ミィの淡々とした強さ。もう一人の自分に会うと死んでしまうというドッペルゲンガーのことを聞いても、むしろ会いたいと願う。骨の病気が理由で姉たちから酷いことを言われても、学校でいじめに遭ってもめげない。悲観的になることもまわりに憎悪を向けることもない。堂々としている。
イトコであり親友であり、頼もしい理解者でもある、モトの存在が大きかったのはわかる。でもミィは「わたし」の気配にも救われているのだ。自分が自分の味方であること。ヒーローであること。現実の世界では、外側にもう一人の自分はいない。でも内側には対話することのできる存在を、確かに感じることができると思う。短いけれど、強く生きるためのヒントが見え隠れする話だった。
2
『あなたの中から』は癌の話。“私”が「あなた」の人生を語る。「あなた」は裕福な家庭に生まれるが、あまり幸せな幼少期ではなかった。家は政治家である祖父が仕切っていた。祖父は男尊女卑の思考を持つ、横暴な人物だった。容姿に恵まれなかった「あなた」はダイエットや整形をして、要領よく世間を渡りながら自立し、結婚する。中年になり劣化を感じながらも美に執着し、SNSで承認欲求を満たす日々。ある時胸にしこりを見つけ、闘病生活を余儀なくされる。
実際に乳がんを患った著者だからこそ書ける、リアルな苦悩と葛藤の物語。
まず切り口が変わっている。「あなた」を語る“私”は擬人化された癌なのだ。語る口調はフラットだけど、どこか優しい眼差しを感じる。
もう一点変わったところがある。それは、この物語にたびたび太字の箇所があるということ。“男の血を絶やさないように”、“最下層のブス”、“欲情される女”、“美魔女”、“若作りに必死なイタイおばさん”。どれも珍しくない、あちこちに転がっていそうな言葉だ。そして女性としての生きづらさを象徴するような言葉でもある。目に入るだけで苦しい。「あなた」がずっと躍起になって、こんなノイズと戦っている姿が痛々しかった。しかし病気になったことで、ラストでは「あなた」は大切な気づきを得る。濃厚な内容だった。
3
『VIO』は主人公が脱毛サロンに通うのをきっかけに、なぜか爆弾や核兵器などに興味を持つ話。ちなみにVIOとは下半身の毛のことをいう。施術してくれたのは、ヨウというまだあどけない顔をした外国人女性。レーザーによる施術がスイッチとなり、“燃やす”から兵器を連想した主人公。メイクや脱毛、ブランドにしか興味がなかったような、ガールズバー勤めの彼女が、その日から過去の虐殺や戦争、強姦など、残酷なできごとについて調べ始める。
“安全な国で脱毛をしている自分”と“過酷な環境下で命を脅かされる人たち”。ふとしたことをきっかけに、狭かった視野を広げられてしまう物語。
著者の作品にはわりときわどい描写が出てくる。でも全く艶かしさや、いやらしさを感じない。小学生の書く観察日記のように(稚拙という意味ではなく)正直で、恥じらいのない印象だ。まさか下半身脱毛の話から、原子爆弾や虐殺の話になるとは思わなかった。スマホをいじって動画を観たり、カフェで甘いものを摂取し、ショッピングに興じていられる人間がいる傍ら、その日生き延びるのに精一杯の人たちが同じ地球上にいる。その事実を忘れているだけで、自分のことを無神経で冷たい人間だと感じてしまいそうになる。でも同時にその鈍感さは、個々人が幸せに生きるために必要な気もする。自分がコントロール不能なことに暗く沈んでも意味がない。かといって、無知すぎるのも恥ずかしい。だからせめてこんなふうに伝えてくれている本やコンテンツに出会ったときは、真剣に取り入れ、咀嚼したいと思う。
4
『あらわ』も『あなたの中から』同様、乳がんの話。主人公の露は、Gカップの売れっ子グラビアアイドルだった。乳がんで両の乳房を切除し、仕事の需要もなくなる。普通なら落ち込むところを、露は胸がなくなり軽く涼しくなった身体や、治療で髪が抜け落ち坊主になった自分の頭を気に入る。清々しいほどに現実を受け入れ、飄々と生きていく主人公の姿に勇気をもらえる物語。
主人公の露は、少し変わっている。胸の再建手術をキッパリと断り、胸を失い、坊主頭になった自分でも当然アダルトビデオに出演できると思っている。そして周りの反応が以前と変わり、“触れてはいけない存在”になっても冷静にそれを認め、分析している。ズレてはいるし、ちょっと鈍感なところは否めない。けれど独自の考えを持ち、堂々と自分を表現するその姿勢には好感が持てる。やはり起こる出来事よりも、そこに対するその人の反応こそが、その人のその後の人生を大きく変化させていくのだと思った。
5
『掌』の主な登場人物は、大学に通う主人公のケイシーとその叔母であるアズサ。アズサはケイシーの母より一回り以上年下。ケイシーは、アズサといとこのような感覚で仲良くしている。ある時ケイシーはアズサから“掌を見ていると、その人の未来が分かる”と打ち明けられる。しかもそれは極めて特殊な状況下で、ごく短時間だけ見えるということだった。その、掌から人の未来を見ることのできる場に実際に立ち会うことで、ケイシー自身の抱える問題も明かされていく。性やアイデンティティーにまつわる、少し変わった物語。
物語を読み始めた時、引っかかったのは“ケイシー”という名前だった。叔母は“アズサ”で日本人らしいから、ハーフなのだろうかと疑問に思った。しかしそれは大事な伏線として物語のラストで回収されることになるため、ここでは書かない。
アズサが高齢出産で産まれた子で、昔は「恥かきっ子」と言われる立場だったこと。未来を見ることのできる瞬間の掌が、実は磨りガラスに身体を支えるために手をつく、性交中の人のそれだったこと。女性が性的な対象であることは求められているのに、快楽に積極的で奔放であることには、いい顔をされないこと。とにかく、ガシッと両の手首をつかまれ、まっすぐ目を見つめられ「ねぇ、どう思う?」と性的なことに関する疑問を終始投げかけられている感じがした。
オープンにしにくいテーマだからこそ、人に相談したり抗議したり声をあげにくい。でも悪いこともしていないのに、そこに羞恥心を抱くのはおかしい。疑問にも思っていなかった“おかしなこと”を炙り出し、考えさせてくれた話だった。
6
『Crazy In Love』。カナダのバンクーバーのホスピタルで、これからまさに両乳房の全摘出手術を受ける女性の話。彼女の名前は一戸ふみえ。職業は小説家だ。英語を介してフランクに会話する友達。明るい看護師たち。手術中にポップな音楽をかける執刀医。重い空気が漂ってもおかしくないその場所は、明るさと逞しさに満ちている。元気をもらえる物語。
明らかに著者の体験に近い設定で、実体験が元になっていることを考えずにはいられない話だった。印象的だったのは、ここに登場する医療に携わる女性たち。みんな明るい。まるで学校で女子トークをするようなノリだ。真剣でミスが許されない、張り詰めた空気が漂う日本の病院のイメージとはえらい差なのだ。命に関わるところだから、そこはしっかりしてほしい、とツッコミを入れたくなる場面もある。だけど、それを上回る安心感が伝わってきた。温かさと愛情と笑い。同情や心配も愛からくるものだけど、人を元気づけるのは太陽みたいに見返りを求めない、カラッとした明るさだと思う。
7
『ママと戦う』は、娘モモの目線で、ママを語るところから始まる。ママは努力してライターの地位を築き上げ、苦労しながらモモを育ててきたシングルマザー。仕事を選ばず、世間に求められるまま、恋愛や性にまつわる過激な内容を発信し続けてきた。しかし子宮筋腫などの病気を経て46歳になったママは、自虐的で煽情的な発信をしなくなった。代わりに「自身の性を肯定する」姿勢にシフト。支持もされるが、執拗に過去をほじくり返して攻撃してくるアンチもいる。
一方、娘のモモは高校進学をせず家にいる。ママとの関係は悪くないが、打ち明けていない悩みを抱えていた。性を通して母娘が向き合い、成長していく物語。
『ママと戦う』というタイトルを見た時、理解してくれない同性の親を説得にかかるようなシーンを想像した。しかし本文中にも出てくるが“一緒に戦おう”という言葉でも、対立するのか、タッグを組んで戦うのかは分からない。物語を読んだ後でも、どちらともはっきり言えない。けれど、ママとモモはあくまでお互いを想い合っている。ただママはモモに、何をするにもいつも「ごめんね」と申し訳なさそうな態度。モモはそこにもどかしさを感じている。そして自身も現状に歯痒さを感じているのが伝わってくる。
ラストは意外な抜け道を見つけたような、すっきり感を味わわせてくれた。煮詰まっている時の解決策は、その延長線上にあるのではなく、斜め上にあるものなのかもしれない。
8
『チェンジ』の主人公はデリヘル嬢。昼間はアパレル店員だ。初めて客に「チェンジ」と言われ、事務所に連絡をして帰る。かつて同じデリヘル嬢だった女の子との会話。常連客が語っていたこと。世の中のこと。家族のこと。回想しながら、自分の感情を解放していく。短く切り取られたシーンの中に、女性の赤裸々な感情、生きてきた背景がぎゅっと込められた物語。
最終話。予想はしていたけれど、やはり女性性にまつわる物語だった。デリヘル嬢。性的なサービスをしてお金を稼ぐ仕事。人は老いる。女性は特に二十代も半ばを過ぎると、“賞味期限”という言葉が頭にちらつく。特に若さに価値が置かれる商売では、年齢を重ねることに恐怖を感じずにはいられない。
面と向かって客に「チェンジ」と言われることが、どれほど屈辱的か。別に自分の全てを否定されたわけじゃないのに、価値のないもの、不要なもの、として捨てられたような痛みが伴いそうだ。しかし主人公の女性も若い頃は、合コンなどで出会った“ハズレ”の男性たちに、陰で「いやもう、秒でチェンジ」なんて発言を平気でしていた。
因果応報というのは簡単だけど、そんなつもりはなくても、人はきっと知らず知らず誰かを傷つけてきた。それ以上に、無理をさせごまかし嘘をつき、一番自分を傷つけてきた。人や世の中に対して怒りを吐き出せる主人公を、自分責めをするよりよっぽどいいと、頼もしく感じた。
最近、ちょっと読書記録を重たいと感じていた。付箋を貼りながら少しずつ読み進めて、全部読み終えたら振り返ってノートに軽く整理して。その工程を思うと、腰が重くなる。そこで今回は、ちょっと書き方を工夫してみた。ちょうど短編集を借りてきたこともあり、一話読んだらすぐにあらすじと感想を書くスタイルにしてみた。結果はというと‥‥どっちにしろ大変だった(笑)。でも一話一話、いつもより丁寧に読み込むことができて、濃厚な読書体験になったと思う。
8話もあるから分厚い本を想像するかもしれないけれど、最終話のページ数は“219”。読書好きな人ならサラッと読める量だと思う。肉体や性のことに限らず、生きる姿勢についても考えさせてくれる本だ。
西加奈子著『わたしに会いたい』。気になった方はぜひ、読んでみてほしい。